視聴者の疑問を調査する「道南の声受信中!」のコーナー。今回は、道南森町の町名について、疑問の声が寄せられました。
七飯町や木古内町などは「ななえちょう」や「きこないちょう」のように町と書いて「ちょう」と読みますが、森町だけは「もりまち」のように「まち」と読むのはなぜでしょうか?
実は森町は、北海道内にある129の町の中で、唯一「まち」と読む自治体です。そのほかの128の町はすべて、「ちょう」と読むのです。なにか「まち」と読む理由はあるのでしょうか?早速調査開始です。
町をあげての大調査でも、理由はわからず・・・?
さっそく、森町役場を訪ね、総務課の方になぜ「まち」と読むのか聞いてみました。
森町役場総務課 白石秀之さん
「当時の資料にも記録があるのですが、当町は昭和62年に「もりまち」を正式呼称にした形としております。それまでは「もりまち」と「もりちょう」という呼称が混用されていました。」
白石さんに、「当時の資料」を出していただきました。森町の呼称を統一するためにまとめられた資料です。
昭和62年、どちらが本来の呼び名なのかをはっきりさせるべく、町をあげての調査を行いました。
関係機関の書類を確認したり、町内の郷土史研究家に聞き込みをしたりしましたが・・・「まち」なのか「ちょう」なのかをはっきりさせる根拠は、残念ながら見つからなかったことが記されています。

昭和62年当時、道内には156の町がありましたが、そのときから「まち」という読み方が存在しているのは森町だけでした。
そこで、自治体としてユニークであるという理由などから「まち」を採用することが決定!晴れて正式に「もりまち」が誕生です。
同年6月の広報で、「もりまち」が正式名称であることが町民に周知されました。

そもそも、森に町制が施行され、森町が誕生したのは大正10年のこと。およそ65年もの間揺れ動いていたことになります。
森町になる以前の名は、「森村(もりむら)」でした。
森村が森町になるときの北海道庁の告示が、北海道立文書館にある北海道公報第438号に残っています。
よく見ると・・・確かに、「茅部郡森村は、森町と改称する」と書かれています。しかしこの告示にも、ふりがながないことがわかります。

はじまりの告示に「まち」か「ちょう」かが書かれていないとなると、やはり公的文書から遡るのは難しそう・・・
北海道外にヒントが!?
ということで、ここからは町民の間で伝わる仮説を独自に聞き取り調査していきます。
「知らない」「考えたこともなかった」という声が多く聞かれた中、「この人ならわかるかもしれない!」という有力情報を手に入れました。会いに行きます。
岩島隆幸さんです。岩島さんの先祖が北海道に入植したのは1888年。
現在5代目の隆幸さんは、「まち」読みの由来について、お父様から語り継がれていることがあるといいます。
隆幸さん
「遠州森町が「まち」って読む。だからそれにならったんではないだろうかという説です」

なんと、静岡県森町にならったという説!?北海道を出るとは驚きです。
さっそく調べてみます。
静岡県森町へ
静岡県森町は、静岡県の西側に位置しており、お茶の栽培がさかんです。
少し内陸に入ると、「秋葉山」という山があります。この山には火の神が祀られており、火事が多かった江戸時代は多くの人に参拝されていました。
そのような背景から、静岡県森町は、この秋葉山に続く「秋葉街道」の宿場町として栄えました。

実は、静岡県森町も、県内で唯一「まち」と読む自治体です。
なぜ静岡県森町は「まち」と読むのでしょうか。静岡県森町の歴史に詳しい稲葉さんに、理由を聞いてみました。
静岡県森町教育委員会 稲葉優介さん
「森町の中心部は、江戸時代から明治にかけて「森町村(もりまちむら)」と呼ばれていました。間の町という字は、栄えたところという「町場」の「町」からきています。」

明治22年、静岡県森町村に市制・町村制が施行されました。変化の時です。森町村が町になったら、もしかして「森町町(もりまちまち)」になるのでは!?
静岡県森町教育委員会 稲葉優介さん
「それだと変なので、町を一つとりました。ですが、森町村のときと読み方はそのままで「森町(もりまち)」になりました。」
なるほど。これが静岡県森町が「まち」と読む理由なのですね。
静岡県森町が「まち」読みをする理由は分かりましたが、それが北海道森町につながってくるのでしょうか?距離もかなり離れています。

架け橋は、森の石松!?
稲葉さんにこの疑問を投げかけたところ、あくまで個人的な見解ではありますが、ある説を教えてくれました。
静岡県森町教育委員会 稲葉優介さん
「森の石松というものがありまして、この森っていうのが静岡県森町のことなんですよね。森の石松とともに、静岡県森町も全国に名前が響き渡っていたので、北海道森町の方もこの「まち」という読み方にならったのではないでしょうか」
幕末~明治を生きた侠客・清水次郎長の子分である、森の石松。大正時代以降、講談を通じて名をはせていました。
森の石松のゆかりの地として、静岡県森町も同時に有名になっていた可能性があるといいます。

そう、北海道の森が村から町になったのは大正10年。同時期です。
森の石松が有名になり、森の石松とともに静岡県森町のことが北海道森町の人の耳に伝わっていたとしたら・・・?
これは説の一つに過ぎませんが、北海道森町の「まち」呼びは、森の石松とともに静岡県からやってきた・・・のかもしれません。
【取材後記】報告:高橋葉
NHK函館放送局でディレクターをしています、高橋葉と申します。今年4月に入局しました。
私は、昨年度1年間、大学の授業をオンラインで受けながら森町に住み、森町をテーマに卒業研究に取り組んでいたという過去があります。森町について考えることは人一倍してきたはずですが、なぜ「まち」と呼ぶのかについては考えたことがありませんでした。調査していると、全国における「まち」と「ちょう」の傾向が明らかになりました。
実は、関東以北において、「まち」よりも「ちょう」と読む自治体が多い都道府県は北海道と岩手県のみ。もはや、森町の「まち」読みがイレギュラーなのではなく、ほかが「ちょう」と読むことがイレギュラーという説も・・・!!
「もりまち」呼びの由来について、もし何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ以下の投稿フォームからご意見をお寄せください。また全力で調べたいと思います。
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