NHK札幌放送局

『手紙』のうんちく、聴いてくレター??

北海道まるごとラジオ

2021年4月9日(金)午前11時21分 更新

新年度1回目!2021年4月1日放送の北海道まるごとラジオは、神田山陽の『うんちく問答』をお送りしました。オホーツク海側 大空町出身の講談師 神田山陽さんが、毎回テーマを決めて50分間しゃべくり倒し、私たちを素敵な世界に連れて行ってくれます。

ということで、ゲストは神田山陽さん

MCは鈴木遥アナウンサー佐藤千佳キャスターです。

昨年度、うんちく問答は4回放送しましたが、スタジオにお越しいただけたのは1回だけ。久々のスタジオ出演です!

山陽さん:きょうは緊張感もってやりますよ!よろしくお願いします!
佐藤:テレビ用の広いスタジオで、結構距離をとっていますけど、同じ空間で放送できるのは、改めていいなぁって、本当に思いますよ!
鈴木:ねー!!やっぱり生放送の一体感ってありますよね!!

さて、今回のテーマは、

\「手紙」です!/
✉たくさんメッセージ届いています!

「私は小学校高学年から文通をしていたことがあり、今でも年賀状交換しているペンフレンドがいます。最近はメールが多くなっていますが、やはり手紙はいいですね。亡き母はよく手紙を出していて、私もその道具や本を受け継いでいます」
「残念な話が。やがてめぐる夏の季節、昨年まで販売されたはがき“かもめーる”が、ことしから販売されないとのこと。理由は売り上げが減少しているらしいです。デジタル化の時代の波でしょうか。私はアナログ派。はがき便箋は常に手元に。手書きのお便りはお友達に。そして四季折々の季節の香りを乗せて、亡き夫へ、手紙をポストに投函。郵便配達していただいています」
「手紙は、中国ではトイレットペーパーの意味だそうです。それが日本では全く違う意味になったのは何故でしょうか?ちなみに、私がこれまでの人生の中でもらった一番短い手紙は、大学4年生の時にふられた彼女からもらったものです。文章は「さようなら」の一言でしたね」

山陽さん:いいね~!!(楽しそう)

鈴木アナと佐藤キャスターで、番組の前にテーマについてちょっとだけトークしているビフォアートークで「手紙なかなか書かなくなりましたよね~」という話が出ていましたが、「書く派」のメッセージもたくさん届いていました!ビフォアートークは、WEBで公開していますので、あわせてお聴きください♪

さて、今回のテーマは、『手紙』

山陽さん:鈴木さん、佐藤さん、最後に手紙を書いたのはいつですか?
鈴木:いつでしょう…あ、とはいっても、先月取材のお礼状を書きました!でもそれも久しぶりでしたね。
佐藤:私も、1月かな?取材先に書きました。
  
山陽さん:あー、ビジネス、仕事上ですよね。わたしは手紙を書くのが好きなんです。ここのところ、出て歩けないでしょう。ほら、携帯も私持ってないから、持っている方はすぐに人と繋がれるんだろうけど、私はいまだに手紙を書くんですよ。それで、久しぶりに手紙をもらうことがあるんです。

沖縄で毎年会っていた人が「今年は来られないでしょう」って、もずくを送ってくれたりするので…もずくも嬉しいんですけれども、「こんなんで、こんなんで、」って様子を書いてもらうと、非常に嬉しいんですよね。それを、メールじゃなくてやっぱり『手紙』でやりとりするって言う。だからこれから先、春・別れのシーズンが終わって4月になると出会いが始まるかもしれないですけれども、ちょっと別れちゃった人に近況報告したりするのは、やっぱり『手紙』がオススメなんですよね。

ということで、テーマ『手紙』でお送りします。手紙がお好きな山陽さんは、10年以上のつきあいになるペンフレンドがいるんだそうです!山陽さんが出演しているEテレ「にほんごであそぼ」で共演していた、奥森皐月さん。最初は3~4歳で、スタジオで渡し合う手紙だったのですが、ずっと手紙のやりとりを続け、高校2年生になったいまも文通をしているんだとか。しかし!山陽さん、奥森さんから年末に来ていた手紙に、まだ返事を書いていないんだそうです…。(この放送が終わったらすぐ書いてくださいね!きっと待ってますよ!!(笑))

さぁ、うんちく問答、スタートです!

歴史上の人物が送った有名な手紙を3つご紹介します。まずは、鎌倉時代!

『徒然草』の作者・兼好法師(吉田兼好)から、頓阿法師(兼好法師と同じように隠遁生活をしていた僧・歌人)に、短歌を送る話。山陽さんの名調子でどうぞ!

兼好法師(鎌倉~南北朝時代)

兼好法師から、

「夜も涼し 寝覚めの仮庵(かりほ) 手枕(たまくら)も 真袖も秋に 隔てなき風」

頓阿法師からは、

「夜も憂し 妬く我が背子 果ては来ず なほざりにだに しばし訪ひませ」

これね、意味は「夜中に目が覚めて風が入ってきて寒くてしょうがないよ」っていうのが、兼好法師からの。頓阿法師からは、「夜はつらい。ねたましいじゃないですか、あなたが全然来てくれないから。少しは訪ねてくださいよ」って。で、文面だけ見るとそういうことなんですけれども、これ、頭の一字ずつをとっていくと…、「よねたまへ ぜにもほし」という!「米がないから送ってくれないかい?銭もほしいんだけど」っていう(笑)。で、頓阿法師からの返事が、いちばん最後の文字だけ拾っていくと「よねはなし ぜにすこし」っていう!

頓阿法師は“和歌四天王”って当時言われたぐらいの方で、こういう道に優れていたんですね。兼好法師も兼好法師でこういう方ですから、こういう返事がスルっとできたんじゃないかと。考えて考えて考えて作ったんじゃなくて、遊び心満載で作ったっていうのが、いまだに残っている!

山陽さん:こんな手紙、一回書いてみたいですよね。で、これ、「上の一字を読んでくださいね」とかって注釈はつけないんですよ。相手が気づくかどうかっていう。

鈴木:最近テレビのラテ欄でありますよね!新聞の、ラジオテレビ欄。「この番組こういう内容です」って紹介していくもので、一行何文字って決まっているんですけど。その文の頭だけ拾っていくと、メッセージになっているんです。

佐藤:野球とか、スポーツの時のラテ欄に多いですよね!

遊び心でスラスラと…兼好法師も頓阿法師も、すごいですね。「ラテ欄」を書く人は、結構苦労しているようですよ(笑) 皆さんも思い出したら注目してみてください!さて、続いては。

坂本龍馬(1836~1867)

つづいては坂本龍馬!随分手紙を書いた人で、大好きな乙女姉さんへ出しているんですよ。お姉さんに出した中で一番有名なのが…一番かわからないですけれども(笑)、「エヘンの手紙」というのがあるんですよ。これは地元高知ではお菓子の包装紙にもなっているくらい!

「此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり申候。~中略~ すこしエヘンにかおしてひそかにおり申候。達人の見るまなこはおそろしきものとや、つれづれにもこれあり」

…まぁ、「勝海舟に一目置いてもらっている」っていう自分を、お姉さんに「エヘン」って、「偉いだろ」って自慢している。可愛らしい。それが、文久3年5月17日に日付がついているのだから、なんとなく生きたもののように見えますよね、やっぱり手紙というのは。「P.S.」がありまして…「他の人には見せないでね」って。「一人で読んでね、恥ずかしいから」っていうような内容があって(笑)。これは可愛らしい!龍馬の人柄がよくわかる。

鈴木:これ!ビフォアートークをお聞きになっていた皆さんは、「キタ!」って思っていらっしゃるかもしれませんね!!

山陽さん:わたし実物の手紙を見たことがあるんですけどね。わりと雑というか、字が乱暴に書いてあるんですけれども、何て言うんだろう。配置がうまいんですよ。決して良い字ではないんですけれども、見ると、なんか額装したくなるなっていう。内容ももちろん面白いんですけれども、字としても大変面白い感じがします。

鈴木:だから包装紙にもなるのかもしれませんね。

ゴッホ(1853~1890)

3つ目は、ゴッホの手紙。ゴッホはものすごくたくさんの手紙を書いた方で、一番多く書いた相手が、生活を支援してくれた弟・テオなんだそうです。

鈴木:あ~!おととし展覧会ありましたよね、上野で。
佐藤:ゴッホ展!札幌でもありました、見に行きましたよ!

山陽さんが読み上げた、ゴッホがテオ宛てに1887年の夏に書いた手紙が、こちら。

「君の便りと一緒に同封のものを有難う。
 たとえ成功しても、絵では必要経費さえ取戻せないのがやりきれない。
 『まあ、だいたい元気だが、会うと悲しくなってしまう』と、君が家族のことを知らせてくれたのは、つらかった。

十何年か前だったら、うちはいつまでも安泰で万事うまくゆくと信じきれただろうに。
君の結婚がうまくいったらお母さんはさぞ喜ぶことだろう、それに健康のためにも仕事のためにも独身でいては駄目だ。

僕はーーー結婚したいとも子供をほしいとも思わなくなったが、それにそんな風には全然考えもしないのに、それでも三十五にもなってこんな有様なのが時には憂鬱だ。
 だから、絵との悪縁がときどきいやになる。

リシュパンがどこかでこんなことを言っていた。
 『芸術愛は真の愛情を失わせる。』

まったくその通りにちがいはないが、その反対に、ほんとの愛情は芸術をきらうのだ」

山陽さん:…嘆いてばかりいたんでしょうけど、弟も兄さんにこんなに頼られて面倒くさいこともあったでしょうね。テオは耐えたんですね。もっと偉かったのはテオの奥さんのヨハンナ。ヨハンナも、ものすごくゴッホのためにいろいろ働いたんですよ。テオも亡くなってしまった後に、日付のない、この弟との往復書簡を、一生懸命日付を推定したり。「これはいつ出されたもので、この時にこんな絵を描いてたんだ、どこにいたんだ」っていう、気の遠くなるような作業をして、友人のベルナール(この人にもゴッホはたくさん手紙書いてるんですけど)と協力して、初めて『ゴッホの手紙』っていうものが出版されることになったんです。だから、テオの妻ヨハンナがいなかったら、ゴッホはこういう考えを持っていた人だというふうには後世に伝わらなかったんじゃないですかね。

リスナーからも、「✉この手紙でゴッホの絵の評価が上がったようです。」と投稿が。

山陽さん:そうなんですよ。なんだろう、まともな神経を持った人が描いた絵とは思えないって当時は言われてたんですけれども、ゴッホの繊細さが、この手紙によって証明されたんですね。

行間を、読む

続いては、山陽さんが大好きだという沖縄出身の詩人・山之口貘さんの『妹へ送る手紙』

放送では、この詩を、山陽さんが、しみじみと朗読しました。

「なんという妹なんだろう
―――――兄さんはきっと成功なさると信じています とか
―――――兄さんはいま東京のどこにいるのでしょう とか
ひとづてによこしたその音信(たより)のなかに
妹の眼をかんじながら
僕もまた 六、七年振りに手紙を書こうとはするのです
この兄さんは
成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思うのです
そんなことは書けないのです
東京にいて兄さんは犬のようにものほしげな顔しています
そんなことも書かないのです
兄さんは 住所不定なのです
とはますます書けないのです
如実的な一切を書けなくなって
といつめられているかのように身動きも出来なくなってしまい
満身の力をこめてやっとのおもいで書いたのです
ミンナゲンキカ
と、書いたのです」

山陽さん:…「ミンナゲンキカ」しか書けないっていう、ね。だから手紙って、メールよりずっと、、、当たり前のことを言いますよ?行間に書けない文字が埋まっている気がするんですよね。「みんな元気か」さえ書けない日があるんですよ。いや、あったんですよ。。。私の打ち明け話をしてしまいましたけど(笑)

山陽さん、この詩は自分の気持ちと非常に重なる詩だったんだとか。発見したときに「何か、よかったな、俺だけじゃないんだ!こんな(一言しか)書けないやつは」と思ったこともあったそうです。(何があったのか、いつか聞いてみましょう。)

あなたに見せたい この風景!

さて、番組後半戦です!札幌テレビ塔にNHK札幌放送局が設置したカメラがあるんですが、東から西に大通公園が見えるんです。ちょうどこの季節のこの時間(午後5時半あたり)、夕日が正面に見えてきれいなんですよ。

鈴木:山の稜線に隠れて、沈んでいく夕日が、きれいなんですよね~。
山陽さん:また雲のかかり方がね!「なんだか絵のようだ」なんて陳腐な例えだけど…こんな風景見たときに「あの人に伝えたいな」と思って、昔の人は手紙を書いたんですよ。言語化しづらいですけどね、夕日は。
佐藤:いまは写真撮ってすぐ送っちゃいますからね。「夕日きれいだよ~!」みたいな(笑)

✉リスナーから

「私は旅先から友人何人かに、手紙というか「絵はがき」を送ります。海外からのものは私がすでに帰国しているのに遅れて届くというオチがつきます。旅先の消印や切手もお土産のひとつになります」

山陽さん:観光地に絵はがきのコーナーはあるんですけど、ちゃんと…ちゃんとって言うと変ですけど、その場で書いて出す人って少ないでしょうね、きっとね。だってみんな自分で写真撮って送っちゃうんだから。メールで。
佐藤:たしかに…すぐ送っちゃうなぁ。

鈴木:わたしは海外に行ったら、絵はがきを自分宛に送るようにしています。その時の絵はがきを使って、その時思ったことを、詩人になったかのように、ポエムのように、自分の思ったことを。自分宛てに届くので他に誰に見せるわけでもないので(笑)。で、海外からだと、何通かに1通は、届かないんですよね。それはそれでいいなと思ったり。うちの両親は旅行が好きなんですけど、おみやげをたくさんもらったところで、自分に思い入れがなかったりすると、ちょっと自分で消化しきれないじゃないですか(笑)。だけど「お便りはちょうだい」と。絵はがきだったら、場所も取らないから取っておけるし。
山陽さん:イタリア人の友達が、旅先から手紙出すのは「旅先であなたのことをふと思いましたよ」ということだというんですよ。「今この景色を一緒に見られたらな」ということでしょう、きっと。とても嬉しいことですよね。

✉リスナーから

「私の幼なじみが「スマホを初めて持ちました」と手紙が来ました。手紙にはスマホの電話番号もアドレスも書いてなく、私は返信を手紙で送りました。そんな幼なじみ、これからもずっと手紙で連絡を取り合います」

佐藤:わ~、そういうの、なんかいいですね!すてきです!

もう一通ご紹介しましょう。

「高校生のころ、仲の良かった同級生の家に行ったときカレーライスを出してもらったことがあります。
私の家は厳しくて外食も禁止だったため、手をつけられず困っていたら一緒にいた心優しい男子が、こっそり私の分まで食べてくれました。作ってくれた人への感謝の気持ちがあるんだなと感じました

鈴木:…優しい男子ですね!
山陽さん:うん、優しい男子と幼なじみっていうのでいうと…(と、うんちくを話そうとするが・・・)
鈴木:あ、これまだ続きがあるんです!

山陽さん:え、なに!

(続き)卒業後、ずっと音信不通だったある日、その人が幼児向けのテレビ番組に出ているのを偶然見ました。講談師になられたとは聞いていましたが、こんな形で再会できるとは思っていませんでした。山陽さんのご活躍にたくさん元気をいただいております。いつかお礼の手紙を送りたいなと思っていました。ありがとう」

佐藤:…え!え?優しい男子って!まさか!??

山陽さん:ほんと?それほんと!?(笑)きょうはエープリルフールだからねぇ!ほんと!?え…誰だろう、ラジオネームしか書いてないけど!!!(爆笑)

リスナーから山陽さんへ、こんなサプライズもあったところで、次に行きましょう!

「幼なじみ」との手紙~三浦綾子

北海道で「手紙」といえばこの方でしょう!作家・三浦綾子さん。『氷点』、『塩狩峠』…名作を旭川から続々と出した大作家でございます。この方の自伝『道ありき』という中に、自分の生い立ちが書いてあるんですけれども、その中で素敵な男性と出会ったことから、そこからどうなったかってことが書いてあるんですけど、そこにも欠かせないのが「手紙」なんですよ。

『道ありき』(三浦綾子)~山陽さんによるあらすじ

三浦綾子さんは、歌志内の、炭鉱町の学校の先生(代用教員)だったんです。16歳11カ月で!昔の旧制中学かな?高校かな?ギリギリ卒業するかしないかで、先生が足りないので行け!という時代だったんですね。16歳11カ月なので、高校生が小学生を教えるようなもんです。でも子供が大好きで下校する姿を見送っていると涙が出てくるっていうぐらい何かこう感情移入する先生だったんだそうです。そんなに大好きな学校の先生を、7年間で辞めます。なぜかというと、戦後今までの教育の形が一変してしまって、(教えていた当時)「軍国主義の片棒を担いでしまった」ということが、自分でたまらないんです。辞めただけではすまなくて、もう自分のことが嫌で嫌でしようがなくて、責任をどうやって取ったらいいんだって。結婚しようとするんですけれども、そのとたんに胸を患う(肺結核)。それでもう、自分が嫌になって、なんと斜里(北海道の知床の付け根あたり)という町で自殺しようとする。それを、婚約者だった人がすくい上げてくれるんですけど、結婚も、もう、自分が幸せになるなんてことが許せなかったんでしょうね。病気のまんま、大して療養もせず、酒も飲み、たばこを吸い…肺が悪いのにどうしてそんなことをするんだ!って感じですよね。お酒もね、なんかいろいろ細かく読むと、おちょこに2杯くらい飲むともうダメだったんだそうですけど、それでもなんかこう…やけになっていたんですね。その時に現れたのが、幼なじみの前川正さんという方だったんです。この方が「そんなんじゃダメだ、そんなんじゃダメだ!」と言って三浦綾子を励まし、生きる力を与えてくれたんです。

ところが!この方、北大の医大生だったんですけれども、、、やっぱり胸を患っていて、なんと亡くなってしまうんです。で、初めて会ってから、一回目の、前川正さんからから綾子への手紙が、こんな文面なんです。

「静臥(せいが)中をお邪魔致し、申訳ありませんでした。原稿を書く方はなかなか出来ませんが、同窓会の雑用等がありましたら、お手伝い致したく思っています。御健康を祈りいます。また」

お見舞いに行った次の日かな?短い手紙なんですけど、ものすごく行間に愛情が溢れているんですよ。「今やっていることを、何でもお手伝いしますよ」という、「生きる希望を失わないでください」ということを、とつとつと言って、なんと5年半の間に、お互いが2000通交換したんです!1日1通ですよ!相手の返事を待たないうちに書いていたかもしれないです。前川さんが亡くなってしまって、ものすごくがっかりするんです。何年たっても忘れられない、というような短歌も書かれています。

ところが!約5年、33歳のときに、前川正さんにそっくりな人と出会う。びっくりするぐらい似ている。周りの人も、「あれ?前川さん?」と呼ぶぐらい似ている、三浦光世さんという方なんですけれども。この方と、綾子は結婚するんです。もう、ものすごい、こう…「手紙」によって、前川さんとプラトニックな2人の関係を結んでいくんですけど、その前川さんが亡くなった後に出会ったのが、前川さんにそっくりな三浦光世さんという方。三浦綾子については、前川さんの手紙なしには、後世の大作品『氷点』も『塩狩峠』もなかったと言っても過言ではないぐらい、大きな影響を与えた方。その大きな影響が、手紙でほとんど行われてたんです。

お互いに病気だったので見舞い合うことができなかったんです。三浦綾子は短歌もいくつか書いているんですが、切ないのがね、「マーガレットが飾られた棺を、私は見ることができなかった。葬儀に行くことができなかったんだけど、その様子を話に聞いたので夢に見ますよ。」っていう。会いたくて会いたくてしょうがなかったんだけど最後のお別れもできなかったんですよ。そういう時代だったんです。

そういう時代に、手紙を、なんと2000通交換し合ったプラトニックな恋人が、昔北海道に、旭川にいたっていうと…旭川っていい街だなと思いません?あ、そうじゃなくてもいい街ですよ!!(笑)

鈴木:何かこう…文豪というか、作家の方がしたためたものって、手紙ひとつとっても、こんなにオシャレというか、いい作品になっちゃうんだなぁ、というふうに思いますね。
山陽さん:三浦綾子記念文学館で、現物、いまは見られるかわかりませんが、手紙って、現物見るとやっぱり伝わってきますよ。

三浦綾子記念文学館(旭川市)、開館しているそうです。(2021年4月1日現在の情報です。)感染対策をしっかりして、おでかけください。

✉リスナーから

「ことし小学生になった甥(おい)からの手紙はうれしかったです。「いつもおじさんありがとう」というメッセージとともに、私の似顔絵がついていました。似顔絵で似ていたのは頭の形のみでしたが、クレヨンで一生懸命描いたというのが伝わってくるものでした。大きくなったとき、「子どものころおじさんにくれた手紙だよ!」と、見せてあげられるように大切に保管しておこうと思いました」
「もう若いとは言えない私。アナログです。“あけおめ”“ことよろ”なんてメールよりも、やっぱり手書きの年賀状の方がすごくうれしいです。手紙も書きます。郵便料金、いつの間にかどんどん値上がりしていますよね。夏のはがきが今年からなくなることは知りませんでした。金魚とかアサガオとかのイラストもよかったのになぁ」

山陽さん:“かもめーる”、切手のところにカエルの絵が描いてあるのが好きでね。いまだにうちにとってありますよ。…何すんだろうね(笑)。

ではうんちく問答に戻りましょう。

つづいては、山陽さんが自分の教科書のように思っているという種田山頭火(自由律俳句の俳人)のお話。この方は生涯に、いま残っているだけで49人の宛先に1268通(!)の手紙があるそうです。そのうち467通は木村緑平さん(この方も自由律の俳人)という「心の友」に宛てて書かれているのだそうですよ。

では、山陽さんの語りで、どうぞ!

「心の友」への手紙~種田山頭火

昭和11年のこと。山頭火は当時55歳。今の私と同じ年でございます!100日近い旅行するんですね。

山口県にいたんですけれども、岡山、広島、それで門司から神戸に出て、大阪、京都、伊勢、名古屋、浜松、東京に行って甲州地をぐるっと回って新潟行って、長岡、出雲崎に行って仙台へ行って、平泉へ行って、大阪から船で広島で、山口に戻ってくると。その間に、木村緑平さんに何通も手紙書いているんですよ。

(※以下の詩は、山陽さん自身が準備し、お読みになったものをそのまま掲載しています)

「4月24日 伊勢は暖かく死ぬるによろしい波音。ノンキだね。今日は沼津 明日は箱根。明後日は層雲中央大会へ。ゼイタクだね。いずれまた」

こんな短いのもあれば

「草津では雨に降り込められて時間を浪費したようなものでした。ここ万座までは上り三里下り一里に過ぎないのですが、雪がある所はすべるし、とける所はぬかっているし、7時間余りかかってようやく溢れる熱い湯に浸ることができました。古風で文化的でないのがうれしく、ランプをつけてこたつに入っています。滑ってつえも一緒に転んで、近代になく疲れました。明日は雨かもしれません」

…こんな手紙が続くんですよ。6月になると旅もだいぶ疲れてきたので

「良寛和尚の遺跡巡りをして新潟でのんびりしすぎました。おけさを聞いたり競馬を見たり、酒もうまく女も美しく風景もよろしく。これから仙台へ向かいます。お葉書拝見いたしました奥様によろしくお大切に」

その後は、仙台に行ってから帰ってくるまでの間も手紙のやりとりを続け、「これは私のSOSです。お便りお待ちしています」という一文も。

…この、「お便りお待ちしています」ってのは、先ほどの兼好法師の「ぜにもほし」じゃありませんけど、この時に木村緑平は、旅先に7円を送っているのだそうです。山頭火の生活も心も両方支えたこの木村緑平さんという方は「雀のろっぺいさん」と言われた方で、すずめの句を3000句も作った方なのだそうです!福岡県柳川の出身で、その後炭鉱町でお医者さんをずっとされていた方なんですけど、この方の句で私が好きなのは、「おしめ洗って 干してたたんで 春の一日」。なんだかほっとする感じがしません?洗い終わって、乾いてよかったなって。奥様が病気だったらしくて、みとり看病されていたんだそうです。だから山頭火の手紙にも「奥様によろしく」ってのがありましたけど。そういうことを、苦労を一つも言わず、なんかこう…日向の縁側にちょうちょがヒラヒラ飛んでくるような、そんな風景が見えるような。悲しみを全然出さない句なんだけれども、話を知ってみると「なるほど、山頭火が心を許した人なんだろうな」って。山頭火は20冊ぐらいの日記を、亡くなった後に、緑平さんに託したんだそうです。誰にも言えないことも、この緑平にだけは話したんじゃないですかね。

『これがお別れになる日記の重さ膝に置く』

これは、山頭火の日記を受け取った時の緑平さんの句ですね。この人たちが、どんな気持ちで相手の手紙が来るのを楽しみにし、こんな句ができた!というのを待っていたかと思うと、その時代のほうが、何か、待たされる分、待つ分、豊だったんじゃないかなっていう気がするんですよ。

山陽さん:ちょっと説明は雑ですけれども、待っている間の楽しみって、かけがえのないものだと思うんですよ。「何で来ないのかな」じゃなくて、「来てくれた!届いた!」っていう。それを思うと、私はこの全文を見たいんですけど、全文はなかなかないんですけどね、、、この2人の文通みたいなものはものすごく羨ましいと思うんですよ。生きる便りとして、甘え、打ちあけ、金を請い、秘め事を赤裸々に語った。狭く深くしかなかった友情に支えられて生きたのが、山頭火。
絶食する日があっても、はがきを書かない日はなかったそうです。

佐藤:いかに重要だったか、わかりますね。

山陽さん:当時、封書が3銭で、はがきは1銭5厘。半分の値段だったんですね。金がないから、山頭火は、とにかくはがきを買い置いたんです。お金がなくなると、そのはがきを持っていって「頼む!明日金払いに来るから、このはがきを質がわりにして酒飲ませてくれ!」っていう。地方へ行ってはがきをおいてお酒を飲みに行ったこともあるぐらい、はがきは常に置いといたんだそうです。
鈴木:「はがき分」飲むって、あんまり飲めないですね(笑)。
山陽さん:カップに3分の1とかでしょ。大事に大事に飲んでいたんだろうな。

三浦綾子さんも、はがきで書いていた!

山陽さん:封書よりも安いので細かく書くと、はがき裏表に1200字書ける(!)って。『道ありき』の中に出てくるんですけど、1200字って相当細かい字ですよね。そのぐらいの思いを込めてはがきでびっちり来るんですよ。これもうれしいでしょうね。
鈴木:でも2000通って、切手・はがき代も、かなりのものですよね。
山陽さん:ただそれしかやり取りの方法がなかったんですよ。
鈴木:物がないときこそ、その思いが伝わりやすかったりするかもしれませんね。
山陽さん:受け取る方が、やっぱり大事に思うでしょうね…、大事に思ったんだろうなぁ。
鈴木:いまのコロナ禍なんかとも若干似ているかな、と思って。山陽さんとスタジオでやるのも何回かぶりというくらいなんですけど、やっぱりスタジオにいらっしゃるとうれしいじゃないですか。楽しいし。そういうのが、お手紙にもね…なかなか今のメッセージアプリのようにすぐ送ったら届くっていう感じじゃないじゃないですか。だからこういう、「間(ま)」って言うんですか、行間とかも、いいかもしれないですね。
山陽さん:この55歳の山頭火の旅の間に、やっぱり木村緑平さんを訪ねて行っているんですよ。炭鉱町にいるので「逢ひたい 捨炭(ぼた)山が見え出した」という山頭火の句があるんですけど、それはもう、山が見えると、緑平さんがいる!って、それを句にしたんですね。こんなの書かれた手紙が来たら、嬉しいでしょうね。
佐藤:さっきの山陽さんおっしゃっていた、いまの札幌の様子の描写をしたときにこの景色を見せたいと思って手紙を書いたりしたのかなというのが、今のお話を聞いても思いますけど…昔の人はみんなそうやって、思っていたんでしょうね。
山陽さん:そして行間を読みあったんでしょうね。

“P.S. ”使ってる?

『手紙』といえば、「P.S.」って何の略だか知ってます???と、山陽さん。よく使いますが、皆さんご存知でしょうか?

英語で「PostScript」。Scriptは「書く」ということ、Postは「〇〇のあと」なので、PostScriptは「書いたあとに」、「後に書いてあること」。もともと、これはラテン語なんだそうです。イタリア語では「scrive」っていうのが、書くっていう意味なんだそうですよ。

山陽さん: 「PS」、つけたし、あとでもう一個書きますよ!ってことね。これ、私もよく知らなかったんだけど、「PPS」とか「PPPS」とかもあるらしい(笑)。
鈴木:
どんどん付け足していく!?
佐藤:PSのPSみたいな!
鈴木:書き直しなさいよ!って感じですね!(笑)
佐藤:もう、本文に入れましょうって感じですよね!!(笑)
山陽さん:書いていって、最後に思いついてか、まだ別れ難いような、、、「もっと話したい!まだもっと書きたいことがあった!!」というのが伝わって、僕は追伸のない手紙っていうのは、物足りないよう気がするんですよね~。
鈴木:でも、わたし追伸っていうのは「目上の方には使うな」というふうに習いましたけどね。
山陽さん:そう、目上の方への手紙は難しいですよ~!

さまざまな、「さま」

山陽さん:「○○様」、例えば「鈴木様」って書くときの「様」の字が違うんですよ。「様」って漢字、つくりの下のほうに、「水」を書くでしょう。あれは目下の人か友達に。はるか目上の人には、そこに「永」という字を。ちょっと目上の人になると、「次」という字を書んですよ。ご存知なかった!?

鈴木・佐藤:へぇ~!!!(驚き)
鈴木:勉強不足でした、ごめんなさい。
佐藤:わたしも知らなかったです。メールだと「さま」って平仮名にしちゃいますもん。
山陽さん:さらに恐れ多い方にはさらに「机下」とつける。「机の下に置いてください」と。「直接渡せません、お付きの方が開けてください」と。
鈴木・佐藤:へぇ~~!!!!(さらに驚き) いろいろありますねぇ!
山陽さん:そのぐらい丁寧に、目上の方に手紙書くのは難しいです。わたしが永六輔さんにどれだけ怒られたか…(笑)。(←このエピソードも今度聞いてみたいですよね)
鈴木:わたし、山陽さんにいつもメールで仕事の話をさせていただくんですけど、ちょっと、「様」…、「水」だとか「永」だとか変換で出るように設定しなおさないといけないですね(笑)

▼番組で紹介した曲 

『木綿のハンカチーフ』 / 太田裕美
『手紙~拝啓 十五の君へ~』(チェロとピアノのInstrumental)/林はるか 林そよか
『Letters』/宇多田ヒカル

・・・

今回は手紙に関する曲をお届けしました!「木綿のハンカチーフ」は山陽さんのリクエスト。大好きなんだそうです。若いころ、酔っ払って歌いながら泣いたこともあるそうですよ(笑) 確かに、連絡手段が手紙しかなかった時代、離れてしまった恋人との心の通わせ方…想像してみるとなんとも切ないですね。メールやメッセージアプリはいつでもすぐに連絡が取れる便利さもありますが、メッセージを簡単に消すこともできるし、不具合で消えてしまうこともあるかもしれません。その点、手紙は捨てないかぎりずっと残りますもんね。(偉人たちのようにはいかないかもしれませんが…)

誰かを想った時間を切り取ったような『手紙』。改めて魅力を感じました。みなさんはいかがだったでしょうか。

今回、郵便での「お手紙」は1通も届いていなかったのですが、WEBからの投稿、ファックス、ツイッターでは、たくさんのメッセージをいただきました!放送を聞いて手紙を書きたくなったあなた!番組までお寄せください!引き続きお待ちしております。

P.S.放送に入りきらなかった話やお便りを、アフタートークで紹介しています。今回は久々のリモートじゃない放送!ということもあり、いつも以上に盛り上がりました!ぜひぜひお聴きください。うんちく問答の楽しみ方、こぼれ話など、WEBのコンテンツもあわせてお楽しみくださいね。次回もどうぞお楽しみに!

P.P.S.
お手紙でメッセージをお寄せの方は、

〒060-8703
札幌市中央区大通西1-1
NHK札幌放送局「北海道まるごとラジオ」係

までお願いします。

2021年4月8日

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