北海道安平町で、メロン栽培をしている高橋康二さん。追分アサヒメロン組合(以下、組合)の1人として、まちの特産品であるメロンづくりに取り組みながら、道外からの新規就農者を受け入れて、指導しています。複数のまちの人から、高橋さんの名前を聞いて、一体どんな人なのか、訪ねました。
―生い立ちから教えてください
生まれは静岡県伊勢原市。親の転勤で東京に移り、小学校卒業後に、両親の実家がある札幌に移った。IT関連の会社に就職し、東京や仙台などで勤務した。
-独立をしようと思ったきっかけは
IT関連の仕事は面白かったが、年齢とともに立場が上になって、中間管理職になると自分のやりたいことがやれなくなってきた。それと、時間に追われて落ち着いて物事を考えることができない状態が続いた。「じっくりと考えながら、仕事をしたい」という思いがあって、会社を辞めて自分でやれる仕事を探した。その中で、農業が短期間で軌道に乗せられるんじゃないかと考えた。
まちの人たちに感謝
-安平町で農家を始めたきっかけは
当時、あまり募集をしているところがなくて…、自分で片っ端から電話をかけて、受け入れをしているかを聞いていった。そしたら、合併前の旧追分町役場の担当の方が「本当にやる気があるなら、一度来てください」って言ってくださったので、藁にもすがる思いで、すぐに行った。そこで、「メロンがこの地域の特産品」であることを知った。もともと、農業を目指すと思った時に、量で収益を上げるよりは、質で勝負したいと思っていた。メロンは自分の目指すところにぴったりだった。

―ご自身の就農について
2006年に林出さん(第3回で紹介)の御宅に研修で入らせていただき、その後、就農という形を取らせていただいた。当時は、今のような国の支援制度があまり充実してない時代だったので、自己資金がないと農業で独立するのは難しい時期だったが、皆さんに気を遣ってもらって、助けてもらった。おかげで、結果的に今の形に持ってこれた。自分の力だけではないと痛感している。
―農家の世界は
お勤めをされている方とは感覚が違う。特徴は、それぞれが独立している、上下関係が存在していない、家族経営が大半を占めているということ。そのなかで、どれだけ自己管理ができるか、が重要になってくる。
我々の組合に関しては、アサヒメロンというブランドを各々の生産者が背負っているので、比較的組織としてのまとまりがある。それでも、会社のような組織にはなりきれないなかで、一つの方向を向いて無理やり引っ張るのか、全員を説得していくのか、それをどっちかに向かせるのは至難の業だ。林出さんは自分の経営をしっかりとしながらも、組織の将来のあるべき姿を見据えて、明確な価値観をもっていた。林出さんがいてくれなかったら、こういった形にはならなかった。

―新規就農者の育成を始めたのはなぜ?
就農して9年が経った頃かな。組合の人数がすごく減って、出荷量が激減しているという危機感を持っていた。いろいろ調べて、新規就農者を募集する「新・農業人フェア」の存在を知って、「出なければ」と思っていた。ちょうど林出さんも同じようなことをお考えになっていて、新規を増やす事業をやろうという話になった。事業を起こして、町内農協さん、地域の方にも支援・協力していただいた。それ以降は、研修生を毎年受け入れている。
―新規就農を希望する人たちに対して
話を聞いてくれる方は、私が新規就農を経て独立し、経営が成り立っているという実績の裏付けがあるから、信用してくれていると思う。現在は年4回、東京・大阪で開催されるフェアに参加することもあるが、今までと違う世界に飛び込んできてくれるのはありがたい話だし、頑張ってもらいたいと思っている。それでも、仕事を始めると、必ず「思ってたのと違う…」と感じる時期もくる。農業は後戻りが簡単にはできない分、できるだけ踏み込んだ話をするようにしている。
―組合を大きくしていきたい?
現状では、北海道内に大きなメロンの産地がいくつかある。その中でも我々みたいな小さい産地は、5~10月まで出荷して、品質の面で安定しているということで評価をいただいている。
知名度の問題とかあって、北海道や全国でナンバーワンの産地になるっていうのは、現実的に非常に難しいけれど…。それでも、私は、出荷量と品質を確保して、アサヒメロンという地位・価値を「北海道内でもトップクラス」だと言ってもらえるようにしたい。5~10月までの出荷時期において、そのような産地にしなければいけないと思っている。
―今後の取り組みは
今までは道内の市場や消費者の方々を相手にギフト需要に応えていたけれど、例えば、関東の方たちに対しても、買ってもらえる仕組みを考えていきたい。

教える側になり、新たな気づきが生まれた
研修生を受け入れてきて、わからない時に聞いた言葉というものは、いつまでも残ってしまい、言われた言葉に囚われてしまう傾向が強いことに気づいた。後は自分の作り方が確立する前に、私の作り方をやりすぎると、環境が合わないことの弊害がマイナスに出ることがある。だから、栽培技術に関しては、基本論から外れないような説明の仕方にしていて、作業技術に関しては、結構高度なものを要求されるんで、しっかり教えている。研修生自身の作り方に合わせて、自分の感性を磨いてほしいんだ。

―これまで1番楽しかった時は
本来なら就農して最初の年にメロンを収穫できたときと答えたかったが、私の場合は研修期間が今の人たちより半分だったので、あまり余裕がなかった(笑)。今では、1年の仕事が全て終わって、片づけをして、「今年はこれで終わり!」っていうタイミングが一番楽しい。
-家族経営をしていて奥様の存在は
嫁さんは、従業員や仕事のパートナーというよりは、人生を一緒に歩んでいる家庭の延長線上になる。嫁さんがいないとできない仕事だから感謝もしていて、会社勤めしている時より、少しでも一緒にいれるということが大きいなと思う。本人はどう思っているか分からないけどね(笑)
-安平町を漢字一文字で表すとしたら
「穏」… 心穏やかに暮らせる。自分の置かれている環境も含めてね。今ここに住んでいる気持ちを表しなさいと言われたらそうなっちゃうかな。(語り手:高橋さん 聞き手:廣田)

