NHK札幌放送局

“遠すぎる”郷土 北方領土返還への思い

北海道クローズアップ

2019年11月20日(水)午前11時32分 更新

ロシアによる実効支配が続く北方領土。元島民たちはふるさとを返してほしいと訴えてきましたが、その願いはかなわないままです。平均年齢84歳を超えた元島民たち、その数は終戦時の3分の1ほどになりました。
そんななか国後島出身の漁師・古林 貞夫さんは、自らのふるさとへの思いを風化させまいと動き出します。戦後74年目にしてなお揺さぶられる、元島民たちの思いを見つめます。

ふるさとを返して 募る思い

国後島の元島民・古林 貞夫さん(80)です。根室の浜で漁師をして65年。

「かすかに見えるね。あれが泊山で、向こうに見えるのが羅臼山。国後の山。今はほとんど自由に近づけないからね」(古林さん)

冬は湖での漁。春が来れば貝堀り。ふるさとにそびえる山を見ながら、1年中漁師として働き続けています。

生涯漁師』。古林さんの生き様を育んだのは、ふるさとでした。豊かな自然に支えられ漁業が盛んだった国後島。古林さんも、幼い頃から家族の漁の手伝いをして暮らしていました。

しかし1945年。
第二次世界大戦末期に、ソビエトが北方領土を次々に占領しました。

古林さんは突然、家族とともに島を追われます。
写真1枚も持ち出せないまま、生まれ育った場所を離れざるを得ませんでした。

平成になって島を訪問する事業が活発になり、古林さんは4回、国後島を訪れました。

しかし、生まれ育った瀬石(せせき)地区の集落には1度も立ち入ることができていません。島にある家族の墓にも行けずにいます。
国後島にはいま、ロシア軍の部隊が駐留。国境警備隊の施設もあり、訪問には厳しい制限があるのです。

「自分の生まれ育ったところに行ってみたいという気持ちは、誰しも持っていると思うんです。そういう思いはずっと募ってきていましたから。自分がふるさとを出たならまだしも、強制送還されたという形のなかでは思いが募るんですよね」(古林さん)

亡き父と同じ思いを胸に

2018年11月。風向きが変わります。
日ロ首脳会談の結果、領土問題に関わる交渉が進む可能性が出てきたのです。1月、6月と、立て続けに首脳会談が行われることも決まりました。

今度こそ領土問題が動くのではないか。
期待の声が高まりました。古林さんの期待も高まります。

迎えた1月の日ロ首脳談。
領土問題に関する具体的な進展は見られませんでした。
会談から一夜明け、古林さんはこれから何をすべきか考えていました。

このまま待っているだけでは、自分の思いは忘れられてしまう。

「国にばかり頼らないで、国以外のところに領土返還運動の願いを理解してもらう。今ごろ反省しても間に合わないけど、そう思うんですよ。いまになって」(古林さん)

ふるさとへの思いを風化させるわけにはいかない。
古林さんの覚悟には、もう1つ理由がありました。

漁師だった父・益雄さん。生まれ育った国後を追われたあと、1年ほど炭鉱で働きましたが、すぐに根室へ引っ越しました。

「自分のふるさと、国後に少しでも近い根室で漁業やりたいって気持ちで来たんだと思うんですよ」(古林さん)

しかし、一家に悲劇が訪れます。

1960年5月。大津波が根室周辺を襲いました。
貝掘りのため海に出ていた古林さん親子。丘に近いところにいた古林さんは間一髪逃げることができましたが、父・益雄さんは波にのまれ帰らぬ人となりました。

享年50歳。すぐそばにあるふるさと、国後に帰ることはできませんでした。

「元島民としての思いはみんな同じだと思ってますから、いまの自分の気持ちをおやじも持っていたと思う。本当の墓地に行ってお参りしてきたよって報告したいですよね」(古林さん)

次の世代に思いを伝えたい

父、そして自分の思いを次の世代に伝えたい。しかし、古林さんは長男・克茂さんに島についてあまり語ってきていなかったので、抱えてきた思いをどう話せばよいのか考えあぐねていました。

古林さんの長男・克茂さんは15歳で根室を離れ、いまは東京で暮らしています。ここ10年ほどは漁の繁忙期を迎えると、仕事を調整して父・古林さんの手伝いのために根室に帰ってきてくれます。

「もう年だからおやじに好きなことさせて、せめてね。だから、おやじが漁師やめるって言うまではつき合おうかなと思ってるけど」(克茂さん)

2年前に帰ったとき、たまたま訪問事業の話が持ち上がり克茂さんは国後島を訪ねたことがありました。

克茂さんが目の当たりにしたのは、すでに島で暮らしを築いているロシアの人の姿でした。

「この感じって昔の根室っぽいなって。普通にみんな生活してるから、返してもらってもこの人たち一体どうするんだろうなと思って」(克茂さん)

克茂さんは、父の願いの強さを知っています。
しかし、父の願いを実現するのがいかに難しいかも知っていました。

2019年6月29日。再び日ロ首脳会談が行われました。
朝3時から漁をしていた古林さん。
いつもは8時に床につきますが、この日は会談の結果を待ちます。

(ニュース)
「安倍総理大臣は、難航する北方領土問題を含む平和条約交渉について、過去の首脳会談での合意を改めて確認し、引き続き推進していくことで一致したことを明らかにしました」

「何もないね。いままでのこと踏襲しただけだ。こうやる、とかいったはっきりしたのないでしょ。時間がかかるね、これ」(古林さん)

1人でニュースを聞いていた古林さん。
81歳になろうとしています。

翌朝。
家族で食卓を囲んでいるとき、古林さんは夏に計画されている島への墓参りのことについて話始めました。

「克茂は8月とか9月とかの墓参、休み取れるのか?無理して取ってこい」(古林さん)

「無理して取ってこいって、日にちを完全に確定してくれないと」(克茂さん)

「だから確定したら教えるよ」(古林さん)

この日、古林さんは最後まで克茂さんを墓参りに誘い続けました。

「(父親は)もしかしたらふるさとで、ふるさとのことを話しておきたいのかもしれない。現場に行ったらいろいろ見られるから」(克茂さん)

「息子がこれからいろんな機会で島に行っても、仮に島が返ってこなくても、島を自由に往来できるようなかたちのときでも、あぁ、おやじ説明しててこうだったなって、そういう思いを伝えていくような形にしたいと思っています」(古林さん)

若い世代の協力で見えてきた光

2019年、古林さんは新たな試みを始めようと動き出します。
この日は元島民や関係者で作る団体の施設を訪ね、ある人を紹介してもらうことになっていました。
春に根室の高校を卒業した、髙岩 凜さん(19)です。

古林さんは、自分の体験を若い世代によりわかりやすく伝えるために、絵を使おうと考えました。その絵を髙岩さんに依頼したのです。

「強制送還されて引き揚げてくるときに小さい船に乗ってね、本船の大きい貨物船に移乗させられたんです。荷物積むときにモッコっていうものでウインチでつり上げて、そして本船に積むでしょ。そんな(荷物の)ような形だったの僕ら。そのぶら下がっている状況をイラストに描いてもらいたいと思ってる」(古林さん)

悲惨な体験を話し終えた古林さん。
さらに、戦後の訪問事業のこんな話も始めました。

「何回か(国後島に)行ってきたけど、(ロシア人は)いろんなことお世話してくれて、本当によかったと思って。だから島が日本に返ってきても、ロシア人と一緒に暮らしてもいいもんね。僕らみたいに『日本のになったからお前ら行け』、じゃなくてさ。僕はつくづくそう思った。仮に日本に返ってきても、僕らみたいな思いはさせたくない」(古林さん)

古林さんの思いは、若い人たちに伝わるのでしょうか。

古林さんの思いを聞いた髙岩さん。
絵の下描きを作り始めていました。

強制送還される体験を描いた絵。当時の古林さんはどんな気持ちだったのか。
想像しながら、何度も描き直します。

髙岩さんはこんな絵も描いていました。

島の占領後、日本の子どもがソビエト兵からお菓子をもらっている絵です。古林さんの手記を手に入れ、繰り返し読み込んで絵にしようとしていました。

「ロシア人と日本人が仲よく共存できるような島がいいとおっしゃってたので、この絵もソ連兵の人と日本人の子どもたちが仲よく交流してるので、古林さんが言ってた『仲よく暮らす』っていうイメージでいいのかなって思ってます。難しいですけど、なかなか」(髙岩さん)

戦後74年。古林貞夫さん、80歳。島が見える場所で、いまも漁をしています。

2019年7月12日放送
北海道クローズアップ
「“遠すぎる”郷土 ~元国後島民の歳月~」より

※年齢表記は放送当時のものです

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