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“ソ連”占領下で暮らした男性 ウクライナを懸念

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2022年9月7日(水)午後5時01分 更新

9月3日はロシアが定めた「第2次世界大戦終結の日」。サハリンや北方領土では今年も対日戦の勝利を強調する式典が開かれた。一方、この日は北方領土の元島民にとって、ふるさとを奪われた決して忘れることのできない日だ。 あれから77年。占領下の暮らしを体験した元島民の男性は、当時と今のウクライナの現状を重ね合わせて複雑な思いで見つめている。 (釧路局 佐藤恭孝) 

占領下は“ろう屋”

北方領土の1つ、択捉島出身の山本忠平さん(87)は、今は神戸で暮らしている。山本さんは10歳のときに島で終戦を迎えた。

ソビエト軍は、日本が降伏した後の昭和20年8月28日に択捉島に上陸し、遅くとも9月5日までには北方四島すべてを占領した。北海道に近い島々の住民は船で逃げる人もいたが、遠い択捉島では島から脱出できず、ほぼすべての住民がソ連の占領下で暮らすことになった。

山本さんが暮らしていたのは択捉島の最も北にある蘂取村(しべとろむら)。上陸したソ連軍の兵士が土足で家に踏み込んできたという。山本さんはそれから12歳までの2年間、占領下の島で暮らした。抑圧された辛い日々だった。

当時、四島にあった村役場などから根室支庁に送られた公文書を集めた「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」には、「人家を荒らし金品を強奪」「民心極度に動揺す」などといった電文が記されている。ソ連兵による横暴や住民の混乱した状況がうかがえる。

山本忠平さん
「占領下の暮らしはろう屋そのものでした。ソ連兵が土足で家宅捜索して、着物とかすごいきれいなもの、カメラとか欲しいものがあると『持ってこい』と。高級品はすぐ没収された」

島の『ソ連化』

山本さんが通っていた小学校は当局管理下に置かれ、ソ連式の教育が行われた。

「ソ連兵が先生になって日本語が全然わからないから、全部ロシア語でロシア語を教えていた。教室の壁にはレーニンとスターリンの肖像がかけられて、憲法の授業では共産主義的、社会主義的といった言葉ばかりが書いてあるテキスト読んだ」

島民は私有財産の所有をほぼ禁じられ、仕事は毎朝当局に割り振られた。島を社会主義化し、「ソ連化」を進めていったのだ。

「集合すると労働局の幹部が、発動機船に乗って輸送をする人、漁業をする人、雑用する人と振り分けていった。すべて向こうの指示通りだった。それまではみな自分の畑を持っていて野菜をつくっていたが畑にも入れない。漁業する人は農業ができないから、だから野菜不足ですわ。決まったことに反したらすぐに捕まった」

密告社会の息苦しさ

いわゆる「ソ連化」が進む島で、子ども心に感じたのは自由にモノを言えない息苦しさだった。それは日本人だけでなく、ロシア人も同じだった。お酒を飲んでふと本音をこぼしたロシア人が、その後当局に連行されたこともあったという。

「3人以上、人が寄ったらいかん。集会禁止です。もうだからとにかくしゃべらない。ロシア人どうしは本音で話をしない。でも何かしら、ちょっと酔っ払って本音を言う人がいたら、ふっと姿を消していなくなる」

9歳当時の山本忠平さん

やがて日本人の中にもソ連側に密告する人が現れ、島民どうしが疑心暗鬼になる状況が生まれていった。

「日本人の中にも、いろんなことを向こうに伝える人も自然に出てきたりして、だんだん日にちがたつに連れて、日本人どうしもモノが言えなくなってきた。『あの人怪しい』、お互いに『怪しい、怪しい』と」

占領から2年後の昭和22年。ソ連当局は日本人を島から追放すると決定。島に残りたければソ連の国籍を取るように迫られ、拒否すると故郷を追われた。

「最初は喜んで『ああ、帰れる』と喜んで船に乗るんやけど、やっぱり船が離れていく時はみんな泣き出したりしてね」

引き揚げ後、秋田県に移住した山本さんは、その後、就職をきっかけに神戸市に移り住んだ。故郷の択捉島を再び訪れることができたのは、島を追われてから44年後だった。
山本さんは北方墓参や自由訪問、ビザなし交流の枠組みに10回以上参加している。今も語り部として島の記憶をつなぐ活動を続けている。

ウクライナでは『ロシア化』進む

ロシアによる軍事侵攻が半年以上続くウクライナ。ロシアはいま、侵攻したウクライナの一部地域で、いわゆる「ロシア化」を押し進めている。掌握した町でロシア国籍を証明する身分証を発行したり、ロシア語による教育を強要したりしている。山本さんは、こうしたウクライナの状況が77年前のみずからの体験と重なって見えるという。戦後77年たった今も繰り返されているロシアの暴挙に憤りを感じている。

「ロシア人は素朴で、自分が接した人は好きだが、プーチン大統領は大嫌いです。帝政時代から強いやつが支配する、それでがんじがらめにしている。平和的に返すものは返して、奪ったものは奪ったとして返す心がロシアにできてくれたら」

【取材後記】

ソ連軍による北方四島の占領で、多くの日本人が故郷の島を追われたことはよく知られていますが、多くの日本人がその後数年間、ソ連の軍政下で暮らしたことはあまり知られていません。山本さんの証言から分かるのは、勝者として乗り込んできたソ連軍が、本国の社会主義を強引に四島に持ち込んだこと、その結果として、本国のような密告社会が四島にも生まれていたことです。ソ連からロシアに国は変わりましたが、四島で行われた強引な「ソ連化」が、今ウクライナでも繰り返されているとしたら、地域社会に簡単には癒やしがたい傷を残すはずです。外国の軍隊に占領されること、それを身をもって体験した山本さんの「ろう屋そのものだった」という言葉が重く響きました。

佐藤恭孝 釧路局記者

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