NHK札幌放送局

詳細・札幌オープンイノベーション勉強会 vol.7

札幌局広報・事業

2020年3月6日(金)午後5時30分 更新

 2月15日(土)にNHK札幌放送局で開かれたSOIも7回目を数えます。イベント当日に夕方ニュースでも速報されたこの勉強会の内容をあらためて詳しくお伝えします。

(Sapporo Open Innovation / Study Session)札幌オープンイノベーション勉強会 vol.7

北海道の宿がつくる★地域の新たなコミュニティー (#宿コミュ)

さまざまなジャンルのテーマで地域のことを考える「札幌オープンイノベーション勉強会」7回目となる今回は、「北海道の宿がつくる★地域の新たなコミュニティー」と題して、北海道内で宿をベースに地域のコミュニティをつくる先駆的な取り組みをしている方々をゲストに、みなさんの求める地域へのアプローチをご紹介いただきます。

<コメンテーター>
柏尾哲哉(弁護士・ホテルヌプカ創業者)
柴田涼平(合同会社Staylink共同代表・ゲストハウスWayaほか)
名塚ちひろ(ゲストハウスコケコッコー代表・一般社団法人ドット道東理事・クスろ副代表)

<ファシリテーター>
河上直美(「MEZZANINE」副編集長・NPO法人タブララサ理事)
瀬田宙大(NHK札幌放送局アナウンサー)

<グラフィックレコーディング>
下沢杏奈(北海道教育大学函館校4年)

■一人目は、柴田涼平さん。(ほっと通信92【瀬田宙大】でも紹介)

大学卒業してすぐ会社を作ったんですけれども、その始まりがゲストハウス経営っていうものになります。会社にミッションがありまして、場を通して人をプロデュースし夢を実現できる社会を作るっていうものを大事にしているような会社です。一期一会の出会いはもちろんですけど、1回つながった出会いをそのまま長くつなげていけるような環境づくりをしていきたいなっていう思いがあります。

ゲストハウスもホテルの小さいのもやってまして、札幌に4棟と小樽に3棟宿泊施設を経営してます。1号店がゲストハウスWAYAっていうもので、方言の「わや」ですね。ほんとは、めちゃくちゃハチャメチャっていうネガティブな意味かもしれないんですけど、僕らの世代だとWowのような、驚いた時に使うポジティブな意味でも結構使うようになったので、そういう驚きとかを海外の人にも提供できたらなと思ってゲストハウスWAYAっていう名前にしてます。小樽に5号店を作った時に広げてみました。小樽タップルーム、タップってあのビアタップのイメージですね、その名のとおりおいしいクラフトビールを1階のスペースで飲むことができます。ぜひビール好きには集まってほしいなと思っています。6・7号店は1棟貸しを小樽でやっていて会社の研修とかに使いやすいような宿をつくりました。

宿だけやってるのかってよく聞かれますが、宿はもちろんメインでやっていますが、それに付加価値を付けられないかという発想で新しいアイデアを吹き込んでいます。その1つが教育事業です。昨年10月にNPO法人 E - LINK ってエデュケーションでつながる法人を立ち上げ、そこで学童保育と不登校生向けの居場所作りをゲストハウスでやってます。それは、「世界を学ぶ放課後スクール」ものです。日本の子どもたちは、海外の人となかなか接する事ができない、海外の人と出会うと話すのも怖いし、そもそも目の前にいる時点で何していいか分からないから、変なアレルギー反応を起こしてしまうんですよね。世界の人口ってこれから110億人に向かって増えていく中で、日本は人口が減少していく。そんな出会い機会を自ら減らすっていう事は僕にはどうにも理解できませんでした。だったら、子どものうちから海外の人が横にいるとか、海外文化が日常的に触れ合えることで、選択肢がもっと広げられるんじゃないかなと思って、学童保育をしっかりと許認可をとって宿でやっています。

あとは全国に今、小中学校だけで17万人の不登校生がいるんです。そういう子たちが家と学校のどちらかの居場所を失った時に引きこもってしまったり、自分の居場所がないと感じてしまう事があると思うので、全国のゲストハウスとして連動して不登校生向けの居場所作りを大阪のNPO法人と一緒にやっています。ゲストハウスが自分のもう1つの居場所になったら素敵じゃないかな、外にもっと目が向くんじゃないかなっていう事で、こういう新世界の修学旅行という不登校生向けの居場所作りしています。

最後にゲストハウス基金というのもやっています。これは胆振東部地震が起きた時にうちの宿で300人を無料で受け入れをして、2泊3日、無料の炊き出しを行い、すごく感謝されました。さらに、その時泊まった人たちが再訪してくれる経験がありました。観光立国であり災害大国の日本が、来てもらうことだけを考えて、どう帰ってもらうかを考えていない。震災のときに多言語での情報発信せずホテルから追い出し、「何だこの国は」ってなったんですよね。そんな中でも、無償で何かしらアクションを起こして、困ってる人助けている人たちをたくさん見てきたので、災害に対する事前準備として月額100円から700円をクラウド上にプールしていって、災害が起きたときにそのお金を振り分けるような仕組みがあったら、もう少し災害対策につながるんじゃないかなと思ってやっています。

意義ある場の創出に魂を燃やしてますという、そういう思いで会社経営してます。

■二人目は、名塚ちひろさん。(ほっと通信93【瀬田宙大】でも紹介)

私は釧路市出身で今も釧路の阿寒町という所に住んでまして、18歳まで釧路で育ってその後函館の大学に進学して、2011年に富士通株式会社に入社して、2016年釧路に戻ってきました。今はコケコッコーというゲストハウスをやってます。あと「クスろ」という市民団体、昨年5月に「ドット道東」という社団法人を道東の仲間たちと立ち上げました。

キャリアとして一番長いのはデザイナーとしての仕事で、ずっと大学からデザインを勉強してまして、釧路に戻ってから独立して、デザインだけじゃなかなか食べていけないので写真を撮るようになったり記事を書いたりとか、幅広くいろんなことをするように今なっています。あとはCMのロケのコーディネートとかも担当しています。

19歳に進学で釧路出ようと。釧路が全然好きじゃなかったんですね。若い時ってスタバがあるのがいいとか無印があるのがいいとか、そういうのに憧れて、こんな何にもない町に戻ってくる事はないだろうと思い、意気揚々と釧路を出てきました。でもやっぱ就職して2年目で、なんかこの仕事向いてないじゃないかなと壁にぶつかった時期がありまして。ちょうどそれが27歳ぐらいだったと思うんですが、周りがどんどん結婚し始めたんですね。会う友達、会う友達みんな結婚の話しかしなくなっちゃって、あんまり結婚に興味なかったので、すごくつまらなくなっていたんです。

そんな時に、釧路に帰省した時に先にUターンしていた友人とふたりでサシ飲みをしました。当時、都会で働いていた子が地元に戻るってちょっと負け組みたいなイメージがあって、何でこんな人気者がと思って話をしました。そしたら釧路ってすごく楽しいよって。私たちが18歳まで知っていた釧路はすごく狭い世界で、実はもっといろんな人がいて、全然今イメージが違うんだよねと。そしたらちょっと興味が湧いたんです、釧路に。そして、その友人がこの町に関わりたいんだけど刺激が足りない、なんかしたいんだよねって話になって、じゃあ一緒にやろうかって立ち上げたのがこの「クスろ」です。

「クスろ」始めて楽しいと思ってるのが、いろんな人を取材するんです。昆布干しの漁師さんの昆布干しのバイトしたり、エゾシカのハンターなんですけどシカの解体現場を見せてもらったり、釧路のカレー屋さんと仲よくなったりですね。こういう人たちって今まで学校とか会社では出会わなかった人たちなんですね。こういう釧路のいろんな人と友達になるうちにすごく釧路の印象というのが変わってきました。

29歳の冬に、先の友人・夏堀っていうんですけど、毎日電話してくるわけですよ。きょう釧路で誰々さんと会ってこんな面白い事ができそうだって、すごくわくわくした話を毎日してきて、私は何のために東京にいるんだろうなみたいな迷いが重なって、釧路に帰るなら今かもしれないっていう事で30歳になる年に釧路にUターンしました。

Uターンした後半年ぐらい、釧路の自宅でデザインの仕事だけをしてたんですが、そうすると東京と働き方があんまり変わらなくて、会う人がそのクライアントさんと家族しかいないみたいな。すごくもったいないな、帰ってきたからこそできる事をしようと思って決断したのがゲストハウスでした。ゲストハウスは、場所を決めるときに釧路の街中という選択肢が一番身近だったんですけど、街中だと結構競合が多いとか家賃の問題があったり、あと北海道らしい景色があんまりなかったりとか、ちょっと引っかかっていた時にこの阿寒町を地図を見て、阿寒町っていいじゃんみたいな感じで。

阿寒町っていうと阿寒湖のイメージがあると思いますが、阿寒湖から40分離れていて、釧路からも40分離れている。空港と高速道路の出入口と近い町です。この町は通り過ぎる町で、阿寒湖行く途中のコンビニに寄るぐらいの町なんですよ。阿寒町の人たちは何となく「なくなってくだろう多分」ってみんな感じてたなと思うんですよね。そこに私は何か面白そうだなと思いました。17万人の釧路を舞台に「クスろ」ってやってた時に、全然町が動かないことへの苛立ちみたいなものがあったんで、小っちゃい町で挑戦したいと思いがあったので阿寒町でやろうと決めました。

当時築65年の旅館を改装したんですけど、オープニングスタッフとして移住してくれて、女3人でオープンしました。この辺のネタは全部(柴田)涼平くんたちをただまねしてるだけなんですよね。私はオープンする前のヘルパーをWAYAとYUYUであのやらせてもらって、そこでゲストハウスの運営のノウハウとか勉強したので師匠なんですけどね。オープンして大事にしたのが、ご近所とのつきあいを本当にこれでもかってぐらいちょっとしつこくやりました。そういうのをちょっと意識してやるようにした結果、オープニングの時ご近所の方が5、60人も来て下さりました。

それから一緒にバーベキューしたり、お祭りは絶対参加するようにしています。農家さんが人が足りなくて困ってるって言ったらスタッフにちょっと掃除早めに上がってもらって農作業していてもらったりとか、定期的に飲み会したりとか、こういう近所づきあいとかを非常に大事にしていました。

少しずつ阿寒が今変わり始めたなと思っているところです。この変わり始めたこのエネルギーをうまく継続させて今度は自分と同じように一緒に動いてくれるような若いプレーヤーを増やすにはどうしたらいいかなっていうのが今目下の課題です。

「クスろ」と「デザイン」と「コケコッコー」、この3つは何かバラバラに見えるんですけど、私の中でも「これからをデザインする」っていう言葉に共通した目標があります。「クスろ」は釧路のこれからの暮らし方から、新しいイメージを作っていく。明るいようなイメージを発信していくっていうとこだったり、コケコッコーは阿寒町ベースにこれからを作る拠点とかきっかけにしたいなと思ってますし、デザインは生産者さん・企業のこれからってのをデザインの力で見える形にしていきたいなっというふうに今思って、いろんな事やってちょっと手が回っていないか、というそんな感じです。私の自己紹介は以上になります。

■三人目は、柏尾哲哉さん。(ほっと通信94【瀬田宙大】でも紹介)

帯広にあるホテルヌプカの、柏尾と申します。

ホテルヌプカ は、2016年3月に帯広の中心市街地に開業した、部屋数が大体23+3つドミトリールームというような小さなホテルです。今日は、このホテルをめぐる話をメインにと思っていますが、最初に一般にホテルの役割、ホテルができる事にどのようなことがあるかについて、皆さんにお聞きするところから始めたいと思います。

ホテルの役割として、まずお客さんに部屋を貸してお金を受け取るというのは非常に典型的なホテルの位置づけなのかなと思います。ローカルフードを楽しめる食体験の場となること、さらに地域を旅する拠点としてのコンシェルジュ機能、これもホテルによくあるかもしれません。旅行者と地元の人が出会って交流するコミュニティーの拠点となると、大抵のホテルはお客様のための施設であって、地元の人と関わり合いっていう事は少なくなってくると思います。さらに、新しいまちづくりを主導し中心市街地の空洞化などの地域課題に取り組むこともホテルがやるんですよとなると、一体この人は何を考えてんだろうと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、僕らがホテルヌプカ を作り始めるときに、ホテルアーバニズムという言葉を基準にいろいろ考えてたんですね。これはどんなものかと言うと、例えば都市とホテルというのは似てると。都市はいろんな人が入れ代わり立ち代わりやって来てはまた別れ、そこでいろんな話やアイデアだったり、なにか具体的なものが生まれていくかもしれない。そういう都市の機能とホテルの在り方はすごく似ている。そこを生かして、小さなホテルの空間から、それを拡張する事によって新しい都市がつくれるのではないいかということを、吹田良平さんという方が言われました。吹田さんは2010年にグリーンネイバーフッドという本を書いて、アメリカのポートランドの魅力を世に知らしめていった方で、我々の出発点になりました。

私は、北海道の帯広市で生まれて、大学を卒業後社会人になってからは東京で暮らし、その後20年以上も弁護士として仕事をしています。東京での暮らしが長くなる中で、もう1つ自分の生活あるいは仕事の柱を作りたいって事で、2016年に帯広でホテルを開業しました。北海道展・十勝は、広大で農業が盛んな十勝平野に中心都市の帯広市がある地域です。去年は「なつぞら」の放送ですごく注目を浴びた場所でもありました。

これまで東京で長く暮らしていたのですが、いつか自分たちが地元の十勝のために関わる何かをできないかっていうことを、東京で集まる十勝出身の仲間で集まって話すようになりました。実際に何かやろうよっていう事で2013年に映画を作るところから始まりました。本当に酒を飲みながら、やるんだったら映画かなぐらいの軽い感じから始まった話なんです。クラウドファンディングで制作資金を集める形で映画ができあがり、「マイリトルガイドブック」という映画で完成しました。YouTubeにも公開されていますので、皆さん、是非見ていただければと思います。

当初は映画を作るという以上のことを考えていなかったのです、もしかしたらこの映画見てくれた人たちが、実際に十勝の帯広に来てくれるかもしれないね、そのときに自分たちなりにしっかりおもてなしをできる場を持った方がいいじゃないかという事で話がどんどん膨らんでいきました。その頃、帯広駅前に「ホテルみのや」さんという40年以上経営していたホテルが営業を終えていたことを知り、このホテルの建物を譲っていただいて、2016年にホテルヌプカができました。

その時一緒にこのプロジェクトを手伝ってくれたのが、坂口琴美さん。彼女は十勝の幕別町出身で、東京でカフェを長く経営してきた人なんです。十勝のために、地元のために何かやりたいよねって事で、このホテルのプロジェクトを一緒にやってくれる事になり、彼女が支配人という形で、十勝に移って日々の運営をしてくれています。

十勝は、農業エリアとしての強みがあるのに加え、景観としても非常に魅力的な場所です。昼は十勝の郊外でドライブやアクティビティを楽しみ、夜は中心市街地に帰ってきて飲食を楽しむ、そういう形で、今は空洞化現象にあるかもしれないけれども、新しいものを作るれるんじゃないかと一緒に話をしました。さらにその先に、十勝・帯広を舞台に、観光で人が来て、物やサービスが輸出される事で、全国世界とつながっていくという関係性を築ければと願っています。その変化を主導する役割を、帯広のまちなかやヌプカが果たせればと思っています。そんな壮大ことを考えているところです。

その中で非常に大事なところは、街を作る大事なことは、企業誘致ではなくて、むしろ多様な人材を引き付けて、人材が活躍する環境をつくっていく事であり、そこに大きな切り口を見いだしています。そういう観点で見たときに、実はヌプカは、いろんな人が関わっていろんな新しいビジネスが始まっています。先ほど申し上げた馬車BARは、永田剛さんという方の企画で。彼はもともと私たちお客さんの立場にいらっしゃる方で、ヌプカ のスタッフはなかった方なんですね。ヌプカの前から馬車を出発させたいという企画を頂き、これは素敵な企画ですねという事で、話が始りました。最終的には、一緒にやりましょうって事で、馬文化事業部をヌプカ 側で新設し、永田さんがその部門を率いる形で馬車BAR事業を実現することができました。

「デジタルサーカス」の岡本さん、これもNHKさんでご紹介頂いたりもしている「観光バーチャルリアリティー(VR)」の大津さん、あとは「湯・リモート」では、後藤さんのご一家が運営されている温泉をうまく活用しようという話だったりします。これまで別々の活動をしていた人が、ヌプカを起点に新しい事やろうよと言う事で一緒に形にしていくと。そういうモデルを持ってるのかなと思います。あともう1つご紹介したいのが森山真人さん。今日は会場の後ろにいて、夜のイベントのメインスピーカーのお一人です。彼はヌプカが東京で開催したイベントに参加してくれた際に初めて会って、それがきっかけで4か月ぐらいの十勝で開催される犬ぞりツアーのガイドを単身赴任で来て頂くことになりました。最初は知り合いがほとんどいない状況だったんですけれども、ヌプカを拠点に毎日カメラを持ってどんどん写真を映して、フェイスブックで友達ができて広めていくと。最近ではある種のメディア現象になりつつあって、森山さんのカメラに写ってみたいなとか、そういうユニークな流れができてきたりします。そういうことも、ヌプカ という場所があるから生まれた事だったと思います。

私たちが大切にしたいのは、すべての人はクリエイティブになれること。クリエイティブの本質は、ゼロから何か新しいものを自分の頭で考えて作っていくこと。そういう事は、いろんな形態がありえると思うし、年齢にも関係しない。「馬車BAR」を提案頂いた永田さんは人生の大先輩ですが、それまでの経験も生かして新しいアイデアで事業をつくっていきました。そういうものは誰にでもあるのだと信じ、その可能性に対して投資していくことが大事なんだと思っています。そのためには開放性、多様性、受容性が重要です。何か新しい事やろうとすると、不和が生じがちです。先ほどの阿寒町の話でも、最初はみんなポジティブに反応してくれなかった。それが何か新しいアイデアを殺してしまう可能性もあります。だから、新しいものは失敗しても不思議ではない、新しいものは変なものに見えるかも知れない、だからこそ温かく見守ろうということを大事にしていくべきではないかと思います。あと教育制度に関しても、人に迷惑かけてはいけませんよって縛る教育じゃなくて、何か面白い事を言ったらそれすごいよね、という意味での教育制度を考えていく。

あとそのクリエイティブな事をすればそれで失敗する場合もあるので、そういう失敗を奨励するとか、失敗しても守ってあげると。そういう構築をしていこうってことですね。成長という観点では、いわゆるお金がもうかれば成長だっていうような流れも、日本にありましたが、もっと「一人ひとりの幸せ」、「何に幸せを感じるのか」、「真の繁栄」を考えるべきじゃないか。これも僕のアイデアではなくて、「新クリエイティブ資本論」という本から持ってきた話ですが、都市というもの、あるいはクリエイティブな生き方っていうものが結び付いていきますという話であります。


■ディスカッション(ファシリテーターは 河上直美さん)

(河上)

私自身は今は東京在住なんですけれども、地元が中国地方の岡山県岡山市というところで、そこでしばらくまちづくりのNPOをしていまして、縁あって今東京におりまして、MEZZANINEという雑誌の副編集長、編集をしております。

今日のテーマのゲストハウスを経営されている方で、ご本人もプレーヤーであったりとか、よそ者である場合もあるし、あと受け入れ側の地域とのつなぎ目、であったりするし、いろんな役割を担っている方々だなと思っています。それを思いながらお話を聞いていて、アクティブでバイタリティーがあって社会課題もわかっていて、課題解決力もあって、なんてすばらしいんだろうって思っていました。それはどういうマインドセットから来てるのかすごく興味があるところなんですけれども、ちょっとヒントが聞けたらいいなと思っています。

まず、柴田さんは立ち上げはお友達3人で、大学時代の友達3人で立ち上げたと聞きました。

(柴田)

そうですね、1人が高校時代の友人で、その友人と同じ大学に通っていたもう1人と3人なので、仲良し同級生の3人組ですね。

(河上)

すごい理想形だなと思うんですけど、今までって順調でしたか?

(柴田)

全然順調じゃないですね

ただ、僕ら3人ってすごい大変な事が起きたときこそ笑っちゃうんですよね。「うわ、資金繰りやば」とか「うわ、宿で問題が起きたわ」とか。あと違うプロジェクトで「ここミスあったわ」っていう時に、へこむじゃないですか、普通。めっちゃ笑っちゃうんですよね。

なんでかというと、ただ順調に進むことを目指して会社をつくったわけでもなくて、ワクワクするような冒険が、きっとこの3人で起業した方が、その感覚が得られるんじゃないかなっていう感覚があって始めたんですよね。そもそもどんな事業をするかって、正直どうでもよかったんですよ。ただ僕は、就職活動の本来の意味を個人なりに掘り下げていった時に、何をするかじゃなく、誰と働くかを徹底的に考える期間だと思っていて、それで僕は、親友である河嶋と彼と一緒に働きたい木村というんですが、その同級生3人でやれば何やっても面白いと思うんですね。それがそもそもベースであるんですよ。なので、小さい企業ですし、何だろう順調なことばかりではもちろんないんですけど、何かしら問題が起きた時に笑ってしまうというかむしろ燃えるっていうメンバーが集まってますっていう前提があります。要は捉えようだなって思ってるメンバーなので、答えにならないですけどこんな感じですかね。

(河上)

3人はどういう役割分担をしてるんですか?

(柴田)

僕は人前に出て価値観や思いを伝える広告塔みたいな役割です。新しいアイデアを考えるのはすごく得意なので、そういう役割を担っていて。木村っていうのはすごくエラーに気付く能力とか分析力とかがある。あと交渉力があるので、そこ担ってもらって。代表である河嶋が一番、自分でも言ってるんですけど、個人の能力が卓越しているわけではないんですよね。

(河上)

多分代表の河嶋さんは、一番リーダーの素質を持っているかもしれませんね。そういうのがもしかしたら戦略かもしれません。頼れるとか、この人に言ったら任せられるっていう能力って、今の社会ですごい大切っていわれますけれど、もしかしたら河嶋さんの戦略かもしれないですよね。

(柴田)

面白いエピソード1つあるんですけど、僕ら場を作ってコミュニティーを作ってるじゃないですか。去年の6月に会社の5周年パーティーをしたんですよね。僕らの周年パーティーなんですけど、僕はふだん基本顔出してるので誰が来てるか分かるんですけど、河嶋と木村ってちょっと人見知りなんですよね、実は。でもパーティーに来た時に、初めて会う人と酌み交わそうとするあまり、飲み過ぎて一人で酔っ払って。それは自分のためじゃなくて、コミュニティーが必要な人いるよねっていう発想を彼が持ってるからおこった事なんだなと思うと、やっぱり適切な配置をするのにたけているのだなって思って、ある意味リーダー的なポジションに合うんだなっていう事を思ったエピソードでした。

(河上)

次は名塚さんにお伺いしたいんですけど、名塚さんも女友だち3人で?

(名塚)

東京にいた時に、手紙社っていう会社のボランティアスタッフ仲間で、私がUターンする2か月ぐらい前に知り合いました。隣の駅に2人とも住んでいたので飲み友達になって、友達になって1年たたずにふたりとも移住してくれたっていう感じなんですけど。手紙社の奇跡って言われています。ボランティアスタッフ集める時に、ゲストハウスまで開いちゃった子たちがいるんだよって言ってくれてるらしいんですよね。

(河上)

名塚さんはお友達を釧路に呼びたいと。呼ぶ時に来やすくなるための場所としてゲストハウスを作ったらいいんじゃないかなって思ったって。合ってますか?

(名塚)

そうですね。私東京に出た時に衝撃だったのが、釧路といったときに、釧路って一番上でしょう?とか一番下でしょう?と全然違う場所を言われて、私が思ってるほど釧路って知られてないなってことがまずすごい衝撃だったんですよね。釧路の入り口を作りたかったっていう感じですよね。それを分かりやすく友達が来てほしかったっていうふうに言ってるんですけど、若い人も来やすくなるような、タッチポイント増やしたかったっていう感じですかね。

(河上)

タッチポイントを増やす、もしゲストハウスコケコッコーがあればそこから先に紹介したいものはたくさんあるっていうのはその時も分かっていた?

(名塚)

そうですね、「クスろ」を3,4年やってからだったので、ある程度ベースが、釧路に人脈ができていたので、いきなりゲストハウスは多分できなかったなと思うんですね。「クスろ」で土台を作って、この人たちとつないでいきたいと思った先にゲストハウスだったような感じです。

(河上)

それでご自身がお住まいだった釧路市の中心部じゃなくって阿寒町を選んだって事なんですけど、阿寒町にもともとお知り合いはおられたんですか?

(名塚)

いや、全然いなくて、何となく、スキー場があったので、そこにちっちゃい時行ってたなくらいの記憶しかないような場所なんですよ。そこを最初に市役所の人に案内をしてもらって、たぶんその人が阿寒町のキーマンに最初に会わせてくれて、その時、意外と同年代の人が多いなっていうのを知りました。その年代の人たちも後ろ向きかと思いきや、「俺、阿寒町を変えたいんだよね」みたいなことを言っていて、可能性あるなと思って。そこで結構私も前のめりになっていったっていう経緯です。

(河上)

それからはどういうふうに?

(名塚)

阿寒町でやりたいって話を知り合いとかにしていたら、縁あってリュックしょって。話聞かせて下さいって行って見せてもらったら、すごくイメージどおりの、私が好きな空場所だったので、「これやらせてもらうとか無理ですかね」って言ったら「いややってよ、どんどんやって」って言われて、私も驚くぐらいにとんとん拍子に事が進んだんですよ。「よしやろう、じゃあ仲間集めだ」と思ったら、たまたま東京の友人が、仕事辞めて釧路に10日間ぐらい遊びに来るというので、釧路の人と仲よくさせて、そのままゲストハウスで働いて下さいってお願いをしたっていう経緯です。こういうふうにうまくいった事例って私の人生の中であまりないんですけど、このコケコッコー開く時は本当にうまくいったんですよね。半年で事が全部進んだみたいな。うまくいったので、ビビってたんですけど始める時って。でもうまく風が吹いているならその風に乗ろうかなっていう感じでやりました。

(河上)

ありがとうございます。

次に柏尾さんにお伺いしたいのは、柏尾さんの会社の名前なんですけど、十勝シティデザインっていうのがすごく分かりやすいなと思って。とてもすてきだなって思いました。事業を始める時にすごい綿密な設計図を描かれたとありました。もうその時、仲間と一緒にかなり詳しいものを描いていたっていう事だったんですけど、その時の仲間とか、一緒にその夢を妄想したときの仲間っていうのは、どういう方々が集まってたんですか。

(柏尾)

十勝シティデザインという名前ですけれども、単にホテルを作るんじゃないんだ、ホテルは町を作る事なんだっていう思いを込めて十勝シティデザインという名前にしました。最初の設計図、思いの裏にある計画みたいなものですけれども。たまたま建物として買ってこれからホテルにして町を作っていくという話をした時に、地元の人たちの最初の反応は、すごく面白いと応援いただきました。半分は無謀な取組への応援という意味もあったのかもしれないですけど。帯広市さんからは、市の予算では応援できないけれど、経済産業省の補助金を使うのはどうかっていう話を頂いたんです。その最初のステップが、調査事業という形でコンセプトを報告書にまとめる作業でした。ホテルで町をつくるという思いを抱かせてくださった吹田良平さんにお声かけして、その調査事業を一緒に行うことになりました。吹田さんと、BAUMの宇田川さん、坂口琴美さん、私の4人が中心になって、3泊4日実際に来てもらって、晩秋の北海道、冬の十勝を一緒にめぐって、その体験の中でどういう事を表現すべきかを考えるために、とりあえずみんなでしっかり遊びました(笑)。そのあと吹田さん、宇田川さんがプロジェクトの企画に関するプレゼンテーションをしてくださって、それがすごく面白かった。吹田さんはホテルで町をつくる、ホテルアーバニズムっていうコンセプトを提案して下さいました。ホテルで街を作るホテルとはどんなものなのかについては、宇田川さんが提案してくださいました。それを見て僕も坂口さんもすごいエキサイトして、それを報告書の形にまとめていきました。

(河上)

地元の人の思いと外部の新鮮なというか、客観的な視点が合致したっていう感じでいいんでしょうか?

(柏尾)

そうですね。その計画に対して地元の人ともディスカッションしました。正直、行政の方とかは話を聞いて大きな構想でどう実現するのか?という感じでポカンとされていたのが当時の印象でした。私たちとしては、吹田さんや宇田川が、私たちのご紹介したチーズ職人や、自然農法をされている方と会われて、すごく丁寧に話を聞いていただいて、そこから感じる風土みたいなものをホテルはこのように表現したらいいんじゃないかっていうご提案いただき、それを報告書にまとめていきました。

振り返ると、小さな仲間から生まれた熱量がそのまま形となり、それを地元の人に話しても、すぐに「すごくいいね」という反応があるのではなく、ちょっとポカンとされた感じでした。地元の人に本当の意味で受け入れられるためには、それをやり続ける中で理解を得ることが必要だったと考えましたし、開業から約4年を経て、それが徐々に形になりつつあるのかなって思います。そう考えると、常に何かを始める時にはみんなから賛成されていなければいけないと縛りを設けるのではなく、自分がまず感じることがすごく大事で、自分が確信していればそれをやり続けることができ、やり続ける事で誰かが信頼してくれるっていう流れだったのかなと思います。

(河上)

御三方ともなにか要望があってやったというよりも、自分がまずやりたい事があって、それを形にする時にゲストハウスがとてもいい形だった。まずは自分がやりたいっていうところが基本だったっていうのはすごく興味深いですね。自分がやりたいって思った時にゲストハウスとかホテルっていう形をとったと思うんですけれども、それを実際に動かす時に、それぞれの地域っていうのはやりやすい場所でしたか?

(柴田)

札幌は200万人ぐらいいる都市なので、逆にやりづらかったんです。コミュニティーが分散しちゃうんですよ。いろんな場所もありますし、やりづらいなって印象があります。ただ、当時はやりやすかったんです。というのも会社を作ったのが22歳で、改築をたくさんの人としたんですよ。合計200人ぐらいが駆けつけてくれて一緒に壁を壊したり壁を塗ったり、あとは装飾したりとか全てを多くの人とやって、オープニングパーティーも100人以上が来てくれて、みんなで「おめでとう」っていう言葉ではなくて「やっとできたね」っていう、一緒に作った感をすごくみんなが出してくれたんですよ。それで当時はすごくやりやすい場所なのかなと思ったんですけど、時を経るごとに、自分たちの年齢も上がってきますし、札幌ってあまり根づかない土地だなって個人的に思ってるんですよね。例えば単身赴任で何年か来てどっかに行くとか、地元に戻ると考えると、結局1年から5年のスパンでどんどん産まれて死んでの繰り返しで。札幌におけるコミュニティー形成ってかなり難しいなって、今実感としてあります。

(河上)

名塚さんはやり始める時にやりやすかったですか?

(名塚)

そうですね、人としてはすごくやりやすい町街だなと感じているんですけど、やっぱりアクセスの悪さっていうのがいざ宿をやり始めてからはネックになっていて。私は自分が車を運転するので、JR、公共交通機関を北海道で使う人なんてそんなに割合的に多くないって勝手に思ってたんですけど、実は結構多くて。釧路だとかなりJRの需要が高いっていうのを後々気付いたんですよね。なのでうちのゲストハウス、釧路駅からバスで来ると1時間ぐらいかかって、バスの料金も千円以上かかかるんですよ。最終バスが午後4時とかで、午後5時に釧路駅に着いたんだけど、今日いけませんっていう当日キャンセルが増えたり。冬場、交通の便が悪いからって来なくなったりとかデメリットをすごく感じましたね。

(河上)

それでも、交通の便が悪くても来たいという人は来てくれますよね?

(名塚)

そうですね。圧倒的にレンタカーが多いんですけど、インスタを見てきてくれる若い女の子とかがすごく多くて、かわいいから絶対ここに来ようと思いましたとか、そういう人は本当に、ねらいどおりだと思っています。

(河上)

実際立ち上げる時って、それやめといた方がいいよとか、足を引っ張るじゃないですけども、ブレーキになるようなことはなかったですか?

(名塚)

私が見える範囲ではなかったんですよね。かといってどんどんやるっていう人はいなかったですけど、割と私が当時接していた阿寒町の人は、何をやるのか興味津々だったっていう感じでしたね。私たちも戦略的に変な人たちを演じようっていう事で、悪目立ちをしようと思ったんです。最初阿寒町に女3人がいきなりきて、こいつら何だってみんなに見られるので、あえて屋根の上でお昼御飯を食べたりして、近所の人が「女の子が屋根に上ってごはん食べてる、お前ら何してんだ?」なみたいな。「これから宿作るんです、見てきます?」とか言って、積極的に変な事をしていったり当時はしてましたね。

(河上)

かなり戦略的ですよね。よく自分は人づきあい苦手なんですよとか、自分は変わり者なんでって最初に一声置く人いるじゃないですか。 すごくそれは戦略としてありだなって思うんですけれど、実際それを戦略としてやっていたっていうのはとても参考になります。

(名塚)

そうですね、女3人だっていうのが特にキーだったかな。当時は、つなぎで外歩くようにしたりしてましたね。釧路でも現状で30代で女性で起業してる人ってあんまり多くないんですよね。だから「クスろ」のメンバーとかっていうのはポジション的に目立つ存在ですね。

(河上)

ありがとうございます。次、柏尾さんにお伺いしたいんですけど、何をもって現地の人と一緒に、うまくやっていってるんでしょうか。

(柏尾)

ほぼ90%以上の時間は東京で暮らして、月1・2回で帯広に行って、あとはリモートでいろんなできる事をやっていくという形ですので、大部分の現場の仕事っていうのは現地の方で行わなければなりません。坂口琴美さんが事業のパートナーとして一緒にいて初めて行っていけます。彼女はもともと千駄木でカフェを運営していて、そのカフェ自体は今でもあるのですが、ホテルヌプカ の開業時に帯広に本拠を移し、90%の時間を帯広で過ごし、残りの10%を東京で暮らしています。彼女が日々の仕事で、特にスタッフとの関係性、採用からシフトあるいは全体のクオリティーであったりとか、ホテルとしてつくり出すべき空気感とか、そういう部分を現場に根をはって、見てくれている。それが支えですし、僕にとって一番の、プロジェクトを始める上での最大の正解だったのは、琴美さんに最初に「こういうホテルをやりたいんだけど一緒にやりませんか」と声をかけたことだったと思っています。

(河上)

坂口さん、現場側と東京側といっしょにふたりでされていて、現場側で思う事ってありますか。

(坂口琴美さん)

私たちのホテルはかなり本当に帯広駅前の繁華街、北の屋台からも歩いて1、2分の所にあって、人の流れ的にはやりやすい場所ではあると思うんですが、札幌と違って地方都市、本当にドーナツ化の象徴的な場所なので、日中人がいないっていうのを昔から、大学卒業する頃からすごく気になっていたんですよね。にぎわいをまた昔のように戻すっていうと多分難しいだろうなと思っています。だけれども東京でずっと飲食店をやっていく中で、21歳になる時に起業したんですけど、古いものが好きなのでリノベーション、古民家を改装しながらカフェだったり割烹だったり、立ち飲みだったり、そうしたものを場所に合わせて作ってたんですけど、そこで生まれ始める。ホテルヌプカの大きさも、サービス業をやった事ない人にとってみたら多分箱としては大きく感じるかもしれないですね。大手から見たらすごく小さな建物で。それもまったく経験したことのない人にとっては怖い物件。それを、私はある程度、町が変わっていく姿っていうのも期待しながら、地域のクリエイティブな人たちとつながる場所を作ろうと思って始めたので、そんなに難しさは感じなかったんですけども、本当にまだ未知の世界でした。

(河上)

御三方ともこのゲストハウスは手段であると。ゲストハウスがやりたいためにやってるのではない。もっとその先に見てるものがあって、ずばりゲストハウスの運営の先に見ているものは、何ですか?

(名塚)

町のためと言いつつ結構自分のためなんだなっていうのはいつも思ってるんですけど、私自身が阿寒町という町で楽しく過ごしていくためには絶対的に仲間が必要で、しかもこの先何十年とできれば一緒に走れる仲間が欲しいなと思ってるんですよ。そういう人たちが増えていくときっと私は楽しく過ごせるんだなっていうのを、ちょっと社会的な貢献度を上げていうとプレーヤーを増やしたいっていう事なんですけど、というのが一番なんです。あと都会で働いてたけど地元の事がすごい気になってて、機会があれば帰りたいっていう人って今すごく増えています。だけどその1歩が踏み出せないっていう人が多いので、阿寒町でまず実験的にやってみなよって気軽に誘えるように、町を成熟させていきたいなというのは思っています。

(河上)

ボトルネックになってる事とか、こういうふうな要望があるとかっていうのってありますか?

(名塚)

釧路って17万人都市で人口が多いのもあるんですが、小さい町って起業したら補助が出るよとかっていうか金銭的な補助があるんですけど、釧路は一切なくて、あったのはお金を借りたときに保証協会から8万円くらい出してくれるのと、金利が安かったってそれだけなんですよね。「そんな町に誰がわざわざ東京のキャリアを捨てて子が帰ってくると思ってるの?」みたいなのをすごく思っています。行政にそれを言いだしたところでただ文句を言う一市民でしかないので。「阿寒町の商工会青年部と民間ベースでそういう制度を作れないかな」というのを今思っていて、そういうのを阿寒町の青年部、40以下の商売やってる人たちに植えつけてます。意外と、ほんとに商工会の人たち全然悪気とかなくて、もり上げるとお祭りだと思ってる人が非常に多いんですよね。お祭りを増やせばいいと、本当にそう思っていて。今まで移住なんて言葉全然聞かなかったんですけど、私がで言い続けてたりとか、うちのヘルパーとかスタッフで移住者が増えてきた事で、移住者を増やせないのかなっていうキーワードをようやく3年目で聞けるようになったので、継続してその人たちをつついていって、制度を作りたいなと思っています。釧路市ではできないんじゃないですかね多分。阿寒町で先行事例をつくって、釧路市に小さい町でコミュニティーからいろんな商売とか移住とかが発展していくよっていうのを、まず釧路市に見せたいって思いがすごくあって。ちょっと意地になってますね。

(河上)

柏尾さんはその点、民間レベルのビジネスっていう感じがするんですね。それはもしかしたら今までの経験で、もしくは東京での経験と人脈とかで、事業化するっていう頭が出来てるのか、仕組みを知っているのか、そういう点はどうなんでしょう?ビジネス化っていうのがとてもお得意なように見えます。

(柏尾)

たまたま年齢的には長く社会人生活を経て、その中で大企業で働いたりとか弁護士事務所で働いたりとか、日本の会社で働いたり海外の会社で働いたり、ベンチャー企業だったり、そういう自分自身のキャリアの展開や、その中で時代の流れを感じる中で、こういう事を行うべきなのかなという部分がうっすらと見えている気がしてたんですね。40代50代でこれから残りの限られた人生の時間をどのように使っていくのか考えた時に、これまで定期的な給与の支払いを受け、あるいは組織の中で生きてきて、自分自身で何か作ってきたことが実はなかったことを強く感じました。そういう意味で、ヌプカ での取り組みは自分たちが成し遂げたいことを表現する1つの機会として位置付けてたりはします。といいながら東京での仕事も続けながらなので、中途半端で実験的な要素はありますが、まずは何かを始めてみるということで考えています。

ただ、何かを頼らないで自立するんだって事で考えた時に、馬車BARの話なんかもそうですけども、いろんな知恵が出てくるし、あるいは人との繋がりも生まれていきます。実際に取り組む中で、これまで見えてこなかったものが、見えてくる事ってあるんだなと。民間の活動の面白いのはそういう部分で、やっぱり本当に真剣に取り組んでいると、その先が見えてくる場面というのはいろんなところで出てきました。行政あるいは政治的なものは、そういうダイナミズムがない部分がある。特に行政の人は政治の世界で、議会でこういう問題が出てこられたら困るなとかメディアがこういったら困るなって常に意識してる部分があって、新しいことやるよりも、前例があるのかって事を考えますし。

例えば馬車BARが、今でも覚えてるのは、永田さんから提案を受けて面白いなと思って、こんな話聞いたことないしってすごくエキサイトしたんですけども、ある銀行の方と話したら「それは面白いけど前例ありますか」と聞かれたんですよね。それはどういう意味なんだろう、前例があったら応援するのか、前例がなかったら応援できないのか? 僕らは全く逆を考えていて、前例があるのだったら他の人ができることだからやらない。逆に前例がないから面白いと思ったんです。そういう意味で、これは銀行さんのお話しですけれども、立場によって見えること、感じることが随分違うのだなと思いました。それはそれぞれの立場で致し方なのだとは思いますので、大事なのは自分自身がどう感じるのか、自分を信じて動き始めることができるかだと思います。

とはいえ、望ましいのは、やっぱり社会や組織が、新しいことはよく分からないのは当然だし、おたがいさまだし応援し合おうよという場所になればいいなとは思うんですよね。全国で全部のことを一気に変えるのは難しいので、地域の役割は、ある意味小さな存在ですから、小さな空間、場所みたいな関係性を活かして、1つ1つ変化を作り上げていくチャンスがあるのではというふうに見ています。

(河上)

そういうしっかりとしたビジネス感覚や厳しい視点とかがありつつ、馬車BARとかリモートワークとかいろいろ事業を確実に広げられてるなと思うんですけど、そういう姿勢が見えるから、何かしたいなっていう時には柏尾さんの所に、ホテルヌプカさんのところに相談があるんでしょうかね。いつもオープンなんですか?

(柏尾)

オープンということで実は1つご紹介したい言葉があります。昨日金沢にいて、北城恪太郎さんという元日本IBMの社長を囲む勉強会みたいのがあったんですけども、彼が最初に会った時に経営で何が一番大事なんですか?という質問に、「ATMです」っていうんですね。「ATMって何なんですか」といったら、「明るく・楽しく・前向きに」っていう略です。IBMさんが初めてATMをコンビニに導入したっていう事でそういう言葉を使っているらしいんですけども、僕が最初に聞いた時、たくさん社員がいるのにそんなに簡単なことかなってちょっと反発を感じるようなところがあったんです。だけどヌプカを始めた時に、最初はいろんな矛盾を抱えている。売上げの話もそうですけれども、何もないとこから投資してやらなくちゃいけなくて、それはすごいストレスで、いろんな事がうまくいかないですよね。その時におかしいじゃないかと誰かを非難しても何も解決しない。人の心は離れていくし、みんな仕事が楽しくなくなっちゃう。そういうような一連の事を体験した時に、何か困った時も明るく楽しく前向きというのは、ああ本当に大事なんだなっていうことを思って、今は北城さんと会う時は本当にATM大事だったんですね!って言ってます(笑)

(河上)

柴田さんはどういう社会を夢みてますか?

(柴田)

そもそも何で地域コミュニティー形成においてゲストハウスなのかっていう手段の話を今さらながら少しすると、コミュニティー形成において一番大事なのって、肩の力を抜いて時間をかけて対話することだと思ってるんですよね。これが一番大事だなと思ってます。コミュニティーってそもそも何なのって言語を掘り下げて考えたときに、相互の賜物、お互いの互恵関係が成り立ってないものをコミュニティーと呼ばないんですよ。これが大前提なんですね。まず例えば仲間、僕の場合だと3人で会社つくったのでこういう社会作ろうよっていう共通の思いを持った仲間が中心にいて、ゲストハウスを作るっていって動き出した時に改築を一緒に手伝ってくれるようなサポーターが200人いたんですよ。そのサポーターたちが口コミで僕たちの宿の事を伝えてくれて、それで泊まりに来てくれたりとか実際にバーに遊びに来てくれたりしたんです。いっしょに事業までは行わないんですけどファンになってくれて、事あるごとに周りに「ああいう宿行ったんだけど楽しかったんだ」って、ファンとサポーターと仲間っていうか関係性が出来上がっていったんですよ。

そのあと5年ぐらいかけてゆっくりと、先ほど言ったとおり肩の力を抜いて対話できる場所なので、飲みに来てくれた時とかにゆっくり話をするんですよね。大学生が来て「僕こういう事やりたいですよ」と言われたら俺もこういうことで困ったりした事あったんだって言っていろいろ話してる中で、じゃあそれ試しにイベントで一緒にやってみようよっていうところで、ファンからサポーターに移行させていくんですよね。ファンは一番たいじ大事なのって楽しさだと思うんですけど、サポーターになる時に一番大事なのって情熱だと思うんですよ。なので一緒に何かやってみようぜっていう情熱を共有した時にファンからサポーターになると思っていて、最終的にそのサポーターになった人たちととことんさらに対話を繰り返した結果、じゃあ一緒にこういう事業を作ろうぜっていうサポーターから仲間にするフェーズがあると思うんですけど、そのフェーズで一番大事なのはビジョンの共有だと思ってるんですよ。なのでその円のカテゴリーごとに大事な部分って違っていて、それをコミュニティーに反映させると、まずはゲストハウスという方の力抜いて対話できる場所をつくる、そこに楽しいっていう切り口でいろんな人に来てもらう。その中で楽しいって思いを持っている人たちとの対話を通して、徐々に情熱を共有した結果、サポーターになってくれる。最終的に、理想的にはサポーターになった情熱を持った人たちとの対話をより繰り返していく中で一緒に事業化していく仲間にしていくっていうフェーズがあるなと思ってます。最終的に仲間にすればいいってもんじゃないんですけど、人によって距離感はあると思うんですけど、そういうイメージが僕の中にコミュニティーというもので頭にあるんですよね。

ゲストハウスっていう手段を通してその先に見ている世界は、僕はもちろん地域に対して何かっていう部分もあるんですけど、札幌でそれを語るには少しふたりとちょっと次元が違うと思うんですよね。バックグラウンドが違いすぎるので。僕はゲストハウスという手段を通して、終身雇用じゃなくて終身関係という、1度つながった関係性が永遠につながっていくような、同じ会社にいなくても、ここと例えばブラジルにいたとしても関係続いていくよねっていうような終身関係を持てる人たちのつながりが、世界に広がっていったらいいなっていうのが1つあります。学童保育も行ったりするので、あと関わってくれている人もたくさんいるので、世界との距離ってこんなにも近い、世界ってこんなに簡単に行けるんだ、世界で働くってこんなに簡単なんだねっていうような感覚を持てる、世界との距離を縮めるっていう事もう1つ大事にしています。そういうものを通して最終的に関わる全ての人にとって選択肢を増やして、自分が自分らしく生きられるような社会づくりに貢献できたらな、なんて大層な夢を抱いているんですけど、結構これは時間をかけて現実にしていきたいなと思っているので。ゲストハウスっていうもしかしたら小さなものかもしれないんですけど、最終的には世界に届くような大きな現象になりうるんじゃないかなと信じて活動しています。

(河上)

柴田さんの言われた事っていうのは、場を通じて人をプロデュースして、何か自分が思っている事を実現できる場所にしたいっていう事を言われてるんじゃないかなと。人をプロデュースするっていうのはとても難しい事だなと思うんですけど、場があって、関われる段階を用意してあげたら、やっぱり人は次に行ける。自然と場を用意されてる、それが今はゲストハウスっていう形なのかなって思いました。

名塚さんの最後に言われてたサポートは、本当に必要なことだと思うんです。呼ぶためにただその場が魅力的なだけで人が来るかっていったら、やっぱり生活もあるしもっと実現するためにはファイナンスも必要だし、そのためのサポート、とっかかりのサポートがあれだけで増えるかもしれない、もっと来る人の背中を押せるかもしれないそういうところは行政といっしょに制度を作っていく、時間かかるかもしれないけど制度つくっていくって事はすごく大切ですね。オープンイノベーションで助け合うっていう実績も作れたら、すごく阿寒町のこれからの、本当の成功事例になるんじゃないかと思いました。

柏尾さんの十勝シティデザインに関してはやっぱりとても、魅力的なコンテンツがいっぱいそろっていると。映画マイリトルガイドブック、夏と冬どっちもありましたけれども、すごく魅力的なんですよね。やっぱり行ってみたいって思うし、そこにいる人たちの顔とか生活とかがすごく生き生きと見えていて、それができるのもやっぱり実行力を持った外の視点と、それに賛同する地元の人たちとのチームアップというのがとても理想的な形でできているなと思いました。

北海道を外部の者から見ると、住んだ事ないものから見ると、やっぱりパイオニア精神とか広大な土地とか、ひと言で表せるすごいすてきな所だなと思うんですね。パイオニアスピリットっていうのを自分たちの住んでる場所の冠言葉として使えるってすごい。もしくはパイオニアスピリットがちょっと今停滞してるなと思うんだったらそれを逆手にとって、パイオニアスピリットの北海道ですからっていってそれをどんどん使ったらいいんじゃないかなって思いました。ありがとうございました

(瀬田)

ありがとうございました。グラレコすごく頑張って下さって、僕も触発されて一応話の内容をざっくりまとめさせて頂いたんですけれども、すごくいろんなキーワードが出てきているなと思って。それぞれフィールドが違うとはいえこういう機会を通じて、NHKも加わらせていただきながら地域のために一緒にできる事っていうのを探していろいろ発展させられればいいなというふうに思っております。引き続きどうぞよろしくお願い致します。

下沢さん、一番しっかりお話を聞いたと思うので最後にひと言ぜひ。

(下沢杏奈さん)

初めてオフィシャルな場でやらせていただいたんですけど、みんながそれぞれの場所で、自分がやっている事をどんどん周りに開放してくっていうか、自分の得意技を自分だけでもたないっていうのがこれからの社会なのかなっていうふうに思いました。私、石川県出身なんですけど、4年前に函館に来て、函館って一番下であんまり交流がなくて、すごく1人で。友人がシェアハウスを公民館でやってて、こういうのやるのっておかしいのかなとか思う時もあったんですけど、自分のコミュニティーを作ってる人がこんなにいるって事がわかって、書いていてとてもワクワクしました。ありがとうございました。

(瀬田)

本当に今日は皆様ご来場頂きましてありがとうございました。

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