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木古内町の寒中みそぎ 鍛錬と思い

  • 2024年1月29日

豊漁豊作を願い真冬の海でご神体を清める木古内町の「寒中みそぎ」。ことし194回目を迎え、去年には道の無形民俗文化財に指定されました。特に知られているのは、行修者と呼ばれる男性4人が真冬の津軽海峡に飛び込み、ご神体を清める「海水沐浴」の姿かと思います。しかしこれは最終日のみで、実は寒中みそぎは3日かけて町内にある佐女川神社で行われています。冷水を何度も浴びる「水ごり」が昼夜を問わず続けられているのです。1月13日からの3日間を追いました。

寒中みそぎとは

寒中みそぎの歴史は1831年にさかのぼります。佐女川神社の神社守の夢枕に「御神体を川と海で清めよ」とお告げがありました。このお告げに従い川の氷を打ち砕いて冷水で自身の身を清め、海に入ってご神体を清めたところ、豊漁豊作になったと伝わっています。

毎年1月13日から15日に行われ、鍛錬に励む行修者をつとめるのは独身男性のみ。4年間つとめる決まりになっていて、年によって呼び名があります。そしてそれぞれが異なるご神体を清めるのです。

▼4年目 別当
玉依姫命  佐女川神社の主祭神で初代神武天皇の母
▼3年目 稲荷
宇迦御魂神 お稲荷様として知られる商工業・農業の神
▼2年目 山の神
大山津見神 山を司る神。樹木を司る・開運、美人の守り神
▼1年目 弁財天         
七福神の中で唯一の女性で学芸と技能、財福の神

4人の中で4年目の別当はリーダー的存在となります。4人のうち1年目が毎年入れ替わるしくみで、ことしは知内町の男性の予定でした。しかし、健康上の理由などから急きょ挑戦できないことに。代わりにかつてのOBが1年目を務めることになりました。

ことしで194回目を迎える寒中みそぎですが、なり手不足も心配されています。
佐女川神社によりますと、かつては若い漁師が主ななり手で次の新人は毎年決まっているような状態だったと言います。

1958年の寒中みそぎ

しかし、地元では少子化や人口減少が進み、今では木古内町の出身者だけでなく、ゆかりのある人や道南に範囲を広げて情報を集め、お願いしているそうです。こうした一方で去年、道の無形民俗文化財に指定されました。

佐女川神社 野村広章 宮司
「時代が変わって漁師の方が少ないし少子化で若い人の人数も少なくなっている中で、なかなか行修者を確保することが大変になってきています。
先人の方々が受け継いできた伝統行事で、地域に根ざしたお祭り。主人公は4人の行修者で選んでずっとつなげていくことが一番大事です。若い人たちの力も少しずついただきながら、文化財に指定されたことにふさわしい運営をしていかなければいけないなと思っております」

つなぐ行修者

4年目でことしが最後の木水拓海さん(24)。木古内町で生まれ育ち、寒中みそぎのことは知っていましたが、いつも楽しんでいたのは屋台。ところが会社の先輩に連れられ、初めて見た行修者の姿に心を動かされたと言います。

「冬なのにふるえないで水をかぶっているのが男としてかっこいいなと思って、自分もやろうと思いました。自分との戦いなのでこの3年間で気持ちが強くなったと感じます。自分の姿を見て後輩がまねしてもらえるように、ことしは悔いのない恥じない姿で終わらせたいです」

その背中をみてきたのが、2年目の平野心太さんです。4人のなかで一番若い16歳で自分自身を変えるチャンスになると挑戦。去年は「いろいろだめだった」と悔やんでいました。

平野さん
「去年はすごくふるえてしまったり声が小さかったり、最終日の海では少しスムーズにいかなかったりしてしまいました。でもことしは去年と比べて内容もよく知っているし、覚悟もできていてやる気もあります。できるだけ精いっぱい頑張っていきたいと思います」

自分との戦い 鍛錬

▼初日(1月13日)
夕方には神社に集まっていた行修者の4人。OBたちの力を借りながら、ふんどしを巻いて白装束に着替えます。日が暮れた頃には神事が始まりました。

午後7時前。冷水を浴びる水ごりがついに始まりました。
寒さで歯を食いしばった時に舌を噛んでしまわないよう口に白い布をくわえた4人。気合いを入れて声を出したあと神社から外へ。水ごりをする場所まで一歩一歩、階段をゆっくり下りていきます。

水をかぶる回数は7の倍数と決まっています。そしていったん神社に戻ったと思いきや、また階段を下りて戻ってきて繰り返し水を浴びる4人。この時は3回ほど行き来してから社殿に戻りました。

そして1時間もたたないうちに2回目が始まります。いつも4人というわけではなく、2人や3人だけ、あるいは1人だけで、ひたすら自分で冷水を浴びることもあります。
この日の気温は氷点下で次第に雪が舞う天気に。それでも何度も何度も水ごりを続けます。

水ごりのあと社殿に戻ったらまず神棚に向かって手を合わせます。そのあとOBの先輩たちがタオルをすぐに持ってきて体を拭き、着替えていろりのそばに座って体をあたためます。水ごりが続く中での小休憩。指先も小さく震えていました。

▼2日目(1月14日)
水ごりは昼間も行われます。4年目の木水さんも1人で何度も何度も水をかぶっていました。鍛錬では水を勢いよくかけられるだけではありません。実は最も厳しいと言われているのが、頭に少しずつ水をかける鍛錬です。冷水を浴びながら、極寒の中ふるえないようにひたすら耐えます。

こうして鍛錬が黙々と続けられる一方で、寒中みそぎは観光客誘致にも大きく貢献しています。2日目の夜には、もちまきや花火などのイベントとあわせて行われました。
気温は氷点下に届いていないものの、雨が降り続きました。取材のため防寒具を身につけ現場にいた私たちも体の熱をどんどん奪われていきます。しかし神社には多くの人が集まり、ずぶぬれになりながら水ごりを見たり、カメラに収めようとしたりしていました。

訪れた人に話を聞いてみると…

「自分がやってみたら死にそう…」
「私がやるなんてとんでもない。本当にすごいです」
「4人ともいい顔をしていてかっこいいですよね」

ひたすら続く水ごりで心も体も追い込まれる行修者。
腰や膝に痛みが。特にひざは水を浴びる場所に敷かれているわらにすれて、真っ赤です。クリームを塗って次に備えていました。

「何回水をあびたかもうわからない。それでも明日に向けてまだまだ数えられなくなるくらい、水をかぶらないといけない」

そう話していました。

▼最終日(1月15日)
迎えた最終日。最も観光客が訪れる「海水沐浴」が行われる日です。
真冬の津軽海峡に飛び込みご神体を清めます。この日は悪天候で雪に強い風。気温はマイナス6度を下回りました。
しかし、鍛錬を続けてきた4人が海にやってくると、雪がやみ少しだけ太陽の光が差し始めました。4人はご神体を抱きかかえ、真冬の津軽海峡に飛び込んでいきます。そしてご神体に水をかけて清めます。

さらに浜に上がってからは水ごり。最後にはご利益があるとされる水を訪れた人たちに向かってかけ、ことし1年の無病息災を願いました。水ごりの時に敷かれていたわらを持ち帰る人もいました。

地元の親子
「水をかけてもらったので幸せになれればと思います」
「わらを家に持って帰って、家族の安全や健康を祈ります。かけがえのない地元の伝統なので長く続いてほしいです」

秋田からの観光客
「こんな寒いなかで、布がほぼない状態で水を受けていてすごい、本当にそのひと言ですね。びっくりしました。私は寒さが苦手なので正直やろうと思えないですね。それなのに、昔から上の世代が大事にしているからと若い方も率先して自分からやり、祭りを後世につないでいこうと続けていることがすごいです」

涙と笑顔 200回目へ

4年間、無事にやり遂げた木水さん。最後、その目には涙が。そして笑顔も。
声はかすれてしまっていました。一番きつかったことは選べず、すべてがきつかったと振り返ります。それでも本当にやってよかったと話してくれました。

木水さん
「悔いのないよう水をかぶれたので、最後はほんと最高だなってなりました。後輩もがんばってくれていましたし、今後はOBとして行修者を支えていきたいと思っています。
なり手不足は難しい問題かも知れませんが、かっこいいな、やりたいなと思う人が増えてくれればうれしいです。今後も何百回と長年続いていけばいいなと思います」

木水さんは平野さんにも声をかけ、OBとして手伝いに来ると伝えていました。来年はいなくなってしまう、ひっぱってくれた先輩。平野さんは、そんな木水さんのような存在になれるよう頑張りたいと話していました。

平野さん
「今はこの充実感を味わっていたいです。実際にやってみるとすごいと言われるだけの厳しさがあると思う。だからこそ周りの人からすごいと言われると素直にうれしいです」

挑戦して強くなれましたか?と聞くと…

「3日前よりは強くなったと思いますけど、まだまだなので来年強くなれるようにもっと頑張ります」

自分自身と戦い厳しい鍛錬を乗り越えて、ことしもつないだ寒中みそぎ。
2030年には200回目を迎えます。

2024年1月29日

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