「根室から国後島に瀬戸大橋のような橋を架けると良いのではないでしょうか」
国後島からわずか16キロ、根室市の中学生は日ロの交流に期待をかけ、スピーチコンテストで呼びかけました。
しかし、その直後にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が…。
中学生の気持ちは、遠い国で起きた突然の事態に大きく揺れ動くことになりました。
(札幌放送局アナウンサー 芳川隆一)
「ひいばあ」の記憶を伝える元島民4世

根室市に住む近藤妃香(こんどう・ひめか)さん(16)は、ロシアや北方領土の存在を身近に感じながら育ちました。
根室市の納沙布岬から最も近い歯舞群島の貝殻島までは3.7キロしか離れていません。
小学生のときにはロシア人と交流する授業もありました。

何より大きいのは、ひいおばあさんが聞かせてくれる国後島の話でした。
ひいおばあさんの西舘トミエさん(85)は国後島で生まれ育った元島民で、子どものころのことを妃香さんに懐かしそうに話してくれました。
西舘トミエさん
「天気の良い日には爺爺岳(ちゃちゃだけ)がよく見えてね。野いちごやリンゴなどを採ってきょうだいで仲良く食べたよ。『じゃっこ(魚)すくいにいこう』って友達やきょうだいと川に出かけたりね」
そんなトミエさんの楽しい思い出は、あるときから一変しました。
太平洋戦争末期、旧ソビエト軍が日ソ中立条約を無視して侵攻し、国後島を含む北方四島は終戦後の8月28日以降、占領されたのです。

西舘トミエさん
「父親から『ロシア人が来たら殺されるんだから、いざとなったら防空ごうに入って死ななきゃなんないからな』って言われて。涙がボロボロ出てね、それが忘れられない」
当時およそ7400人いた国後島の島民は、船で自力で脱出したり、強制退去させられたりして故郷を追われました。
トミエさんも家族とともに船で根室にたどり着きましたが、戦後の混乱で8人いたきょうだいはバラバラになり、再会できたのは数年後のことでした。
4代目にあたる元島民4世の妃香さんは、そんなトミエさんの話をひと言も漏らすまいとメモに取り、記録し続けてきました。
近藤妃香さん
「心の準備をする暇もなく、ひいばあはふるさとの島から追い出されてしまいました。もし私が今、ここを追い出されるとなったら、家族とバラバラになって連絡手段もなくなっちゃうかもしれないし、もう会えなくなっちゃうんだなって思ったらすごく悲しいです。今では考えられない、想像もつかないことが自分が生まれる前には起きてたんだなって思いました」
“根室と国後島に橋を”スピーチに込めた思い

妃香さんは、トミエさんから聞いた話をもとに中学3年生の時、北方領土をテーマにした全国スピーチコンテストに参加し、根室市から初めて入賞しました。
タイトルの「四島(しま)の架け橋」には、国後島と根室をつなぐ橋を架けること、北方領土問題の平和的な解決のため自分が“架け橋”になることへの願いを込めました。
「根室から国後島に瀬戸大橋のような大きな橋を架けると良いのではないでしょうか。船や飛行機に乗れないお年寄りでも橋を架ければビザなし交流も車やバスで移動ができます」
「曽祖母の夢は、曽祖母、祖母、母、私の四世代で生まれ育った国後島へ行くことです。その夢を何とか叶えさせてあげたいです」(スピーチコンテストより)
近藤妃香さん
「国後島は、今では日本人とロシア人のお互いにとってのふるさと、自分たちの居場所になってしまいました。今、ロシア人を追い出すと、ひいばあみたいな思いをする人が出てきちゃう。それなら両国が仲良くなって一緒に住めば、誰も嫌な思いをしないかなと思ったんです」
“ロシアの戦車が…” 揺れる平和への思い
しかし、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻とその長期化で、妃香さんの気持ちに迷いが生じるようになりました。
「今、もし橋を架けたらロシアの戦車が来ちゃうんじゃないか」

小学4年生の妹、姫愛香(ゆめか)さん(10)との会話でも不安を口にするようになりました。
妃香さん 「どうする、ゆめちゃん、今、ロシア人が攻めてきたら」
姫愛香さん「おうちに残る」
妃香さん 「なんで?」
姫愛香さん「クッキー(愛犬)がいるから。いつもさ、動物とか殺されちゃうじゃん?だからね、クッキーと残る。ひめは?」
妃香さん 「ひめ、だって、生きてたいから逃げたいじゃん…」
近藤妃香さん
「今は橋は無いけれど、もし何年後かにできたとして、その時にロシアが攻めてきたらどうする?と考えるようになりました。今のウクライナみたいなことになっちゃったらどうなってしまうんだろう。戦車だったら車だしすぐ来ちゃうかな…と考えるようになりました」
軍事侵攻の現実に直面し、妃香さんは身近に感じてきた北方領土についてあらためて考える必要性を感じ始めていました。
“それでも平和的解決を” 元島民4世の決意

4月に高校に入学した妃香さんが選んだ部活動は「北方領土根室研究会」でした。
北方領土問題の平和的な解決は本当に可能なのか、元島民の話を聞きながらいま一度向き合うことになりました。
歯舞群島の多楽島の元島民、工藤繁志さん(83)は、3年ほど前から昆布やウニ漁の端境期に語り部の活動を始めました。
工藤さんが妃香さんたちに伝えたのは、領土問題の解決が遠のきつつあることへの危機感でした。

工藤繁志さん
「侵攻後のロシアとの全ての交渉は今はできないような状態ですよね。まず先の見えない迷路に入ったような心境でございます。1日も早く島の大地に立って帰ってきたよって大きな声で叫びたい、そんな気持ちで胸が一杯です」
話の終わりに、妃香さんは工藤さんにどうしても聞きたかったことを質問しました。
「次の世代に伝えたい事はありますか?」
この質問に、工藤さんは根室でこれからも生きる若い世代に思いを託しました。
工藤繁志さん
「戦争は失うものはたくさんあっても得るものはないと思います。特に根室の場合は目の前に北方領土の問題がありますから。
世の中いかに変わっても、ロシアが隣の国ということは変わらないと思うんですね。『向こう三軒両隣、仲良く』という言葉があるように、外国であってもそのような気持ちを持って、お互いに仲良く、楽しく感じる時代を作って欲しい。今の場合は時間はかかるかもしれない。だけど若い人たちには、そういう時代を作って欲しいなと思っています」

近藤妃香さん
「元島民の人たちは若い世代を頼りにしていると思うので、体調が悪くなって動けなくなったり、亡くなったりする人がいる中で、いまの若い世代が動かなきゃいけないということを強く感じました。
ひいばあが生きているうちに北方領土がかえってきて欲しいなっていうのはあります。
元島民4世として、北方領土のことについて語り継いでいきたい。もっとどうやったら交流がうまくいくかとか、自分もたくさん勉強が必要だなと思いました」
受け継いだ期待を胸に、平和的な解決を目指して交流を続けていく。
元島民4世、妃香さんの決意です。

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