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若き“気象通信兵”の死

  • 2023年8月25日

 沖縄戦では10805人の北海道出身者が戦死しているが、彼ら全員が、歩兵や砲兵などの“戦闘員”ではなかった。沖縄の日本軍(第32軍)には、食糧を調達(時に強制徴収)運搬する輜重隊、飛行場建設を担う飛行場大隊、軍馬の管理・飼育・治療を行う病馬廠、軍事物資を港湾から陣地まで運ぶ特設水上勤務中隊(朝鮮半島から多くの人を徴用・動員している)などの“支援部隊”があり、相当数の北海道兵が属していた。
 そして、彼らも。
 沖縄戦が断末魔の様相になっていくにつれ、小銃や手榴弾を持たされ死んでいった。
番組取材班 国分拓ディレクター) 

山崎敏男さんも、そうだ。
所属は第10野戦気象隊第3中隊(総勢100人)。軍務は、沖縄の気象情報を収集し(実際に観測していたのは那覇の気象台職員)、福岡管区気象台に打電すること。何のためか。特攻攻撃を「成功」させるためだ。九州には特攻部隊の基地があり、その部隊では、山崎さんたちが打電した気象情報を元に出撃の可否を決めていたのである。山崎さんの部隊が軍務に忠実であればあるほど、そして、特攻攻撃に良いとされる気象情報の打診に成功すればするほど特攻隊員が死んでいく……そんな皮肉な軍務だった。

画面下 沖縄戦の日本軍特攻機とされる機影

 山崎さんは十勝・池田町で生まれた。遺族によれば、父親は早く亡くなり、母のモヨさんが農家の手伝いをしながら育てたという。

母 モヨさん

尋常小学校を卒業後(一枚限りの遺影はその卒業写真と思われる)、旭川での丁稚勤めを経て、東京で仕事を得た。どんな仕事だったのか、覚えている遺族はいなかった。
ただひとつ、モヨさんから聞いた話を姪の英子さん(94)が微かに覚えていた。

「これから戦争に行くと、東京から電話があったそうなんです。小さな部隊、通信の仕事、だと。鉄砲を持って戦う部隊じゃないのだから、もしかすると生きて帰ってくるのでは…。そう思ったようです」

姪 英子さん

母親の想像に反して、通信部隊の軍務は過酷、かつ危険だった。観測地点は首里の久場川にあったが、身を隠すことができる壕は戦闘部隊が優先的に占有していたため、砲弾が直撃する北側の斜面に陣取り、周囲にあった亀公墓(沖縄地方特有の墓)の中から打電せざるをえなかった。
 首里撤退後、状況はさらに過酷になった。部隊は北海道兵が500人以上戦死した真栄平(現糸満市)にあり、終日、激しい攻撃を受けていた。

 そして、6月12日。山崎さんの部隊に新たな指令が下る。「真栄平96高地を死守せよ」。
観測・打電だけではなく銃を取って戦え、というのだ。だが、部隊には対戦車用の武器などなく、全員にゆきわたるだけの小銃さえなかった。

沖縄県 真栄平

今から思えば、部隊長は最善の決断をしたのかもしれない。同行していた気象台職員を「解散」(だが、彼らの多くはその後死ぬことになった)し、軍人だけで斬り込みを続けながら、本島最南端の喜屋武(所属する師団の本部があった)に向かうことにしたのだ。
 そして、部隊はその間も気象情報の打電を試みている。
気象庁に保管されている昭和20年の全国の天気図によれば、6/15、6/19、6/20と沖縄の天気が記されている(6/13、14、16、17、18日に打電はなく沖縄の天気は空白になっている。打電ができないほどの状況だったことは想像に難くない)。だが、苛烈な撤退戦の中で、どのように気象を観測し、どんな機材で福岡まで打電したのか、殆ど何も分からない。
第10野戦気象隊第3中隊からの打電は6/20を最後に途絶えた。

昭和20年6月19日の天気図には沖縄の天候・風向きなどが記録されている

昭和20年6月14日の天気図には沖縄の天気の記載がない

6/12に真栄平を撤退してからの9日間で、100人いた部隊は30人になっていた。70人が戦死したのである。
その中に、山崎さんもいた。公報によれば、戦死日は6/19、戦没地は喜屋武となっているが、喜屋武のどこで、どのように亡くなったのかは分からない。他の大部分の兵士と同様、遺骨も戻ってきてはいない。
姪の英子さんも、公報以上のことは何も知らなかった。ただ、何度も何度も、「おじさんは静かで優しい人でした…」と言った。

 山崎さんが属した野戦気象隊の情報を元に、4/12から6/21まで、10回に渡る特攻攻撃(菊水作戦)が行われた。そして、4379人が戦死した。

北海道スペシャル「北海道兵、10805人」番組ページ
再放送:8月27日(日)午後1:05分~ 総合テレビ・北海道
放送後、NHKプラスでも配信予定!北海道外の皆様もご覧いただけます

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