今年、函館は市になってから100年目を迎えました。
函館といえば「水産業の街」。
大正時代から函館の経済を支えてきました。
なかでも北洋漁業がもたらした経済効果は莫大でした。
そんな函館の〝ある時代〟の出来事を紹介します。
心惹かれる函館の情景!
海に囲まれた街、函館。
人口約25万人。
江戸末期からの国際貿易港らしい異国情緒あふれる町並みが広がります。


漁業と共に生きた街
この100年、水産業は函館の発展を支えました。
なかでも明治に始まった北洋漁業は、計り知れない経済効果をもたらしました。
1950年代、北の海に向かって船が出航する様子です。
この頃は加工設備を備えた大型の母船と、数十隻の作業船が大船団を組んで、北の海で漁をしていました。

ひとつの船団で働く人はおよそ千人。
およそ3か月間、毎日のようにサケやマス、カニを獲っていたのです。

獲った魚は、すぐさま海上で缶詰に加工されていました。

当時の北洋漁業を知る人がいます。
船団の一隻に乗り組んでいた、加藤清郎(かとう・きよお)さんです。

元水産会社取締役 加藤清郎さん
「みんな目を三角にして働いている。現場には近づけない。みんな血相を変えているから。一匹でもはやく魚を処理して鮮度のいいうちに釜に入れてやるっていうそれだけですからね。ヘタをすると2日も3日も寝ないでやっていた。魚さえ入ってくれば、絶対に寝ちゃだめだと」
そんな北洋漁業の最盛期は、函館の街も活気にあふれていました。
毎年5月には、出航直前の船員たちは、毎晩、街へ繰り出していました。

故郷を離れて働く船員たちのことを、函館市民は、親しみを込めて「北洋さん」と呼んでいました。

そして、地元の商店は、船団に積み込む大量の食料などの用意に大忙しでした。

酒店店主 葛巻脩さん 妻 幹代さん
「2トントラック2台、積んだことがありましたね。
自分が乗っている船の仲間を連れてきてくれて、そしてうちに注文してくれて」
函館の“いか”
北洋漁業は、1970年代中頃に、水産資源保護のための制限が設けられ、衰退していきました。
その後、函館では、近海漁業が盛んとなります。

その主役は“イカ”です。

“イカ“は名物となり、函館は”イカ”の街として知られるようになりました。
<函館いか踊りの様子>

♪函館名物いか踊り~♪いか刺し♪塩から♪いかソーメン~ ♪♪♪
♪もひとつおまけに♪いかポッポ~♪イカイカイカイカ、いか踊り♪イカイカイカイカ、いか踊り♪
次の100年に向けて
漁業の未来を予感させる取り組みも始まっています。

それは、最先端のAI漁業です。

漁業者はタブレット端末に漁場や漁獲量のデータを入力して、仲間同士で共有しています。
獲りすぎを防ぐことなどに役立てようというのです。

これからの100年に向けて、函館市では、水産業の未来を開く取り組みが続いています。
函館市では、漁業者と研究者が一体となって、資源保護や増殖などの技術の開発、普及を進め、
水産業の街の歴史と伝統を未来に伝えようとしています。

北洋漁業の歴史は、函館市五稜郭の北洋資料館で知ることができます。
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