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WEBニュース特集 戦後75年・特攻で散った幻の五輪候補

北海道WEBニュース特集

2020年8月19日(水)午後2時52分 更新

かつて、戦争のため中止された冬季オリンピックがありました。今から80年前に開かれる予定だった、幻の札幌オリンピックです。その候補選手になりながら、戦争で大会出場の夢だけでなく命まで奪われた若者がいました。その足跡をたどりました。

幻の札幌五輪

昭和15年に開かれる予定だった札幌冬季オリンピック。札幌市公文書館にはポスター案や開催プログラムが今も保管されています。当時の新聞でも開催決定時には大きく取り上げられていました。

「待望の札幌決定に全道興奮と歓喜のるつぼ」
「大地も揺らぐ大行進 歓喜の歌よ旗は鳴る 夜空に輝く提灯行列」
新聞記事の見出しからは札幌市民が大いに盛り上がっていたことがうかがえます。しかし、昭和12年から始まった日中戦争が激化したことから、日本政府は開催権を返上し、実現されることはありませんでした。

小樽の若き五輪候補

幻になった札幌オリンピックのスキージャンプ競技で、代表候補になっていた選手が小樽市の久保登喜夫さんでした。旧制小樽中学の学生だったころから全国大会でトップクラスの成績を残していました。
オリンピックでの活躍が期待されましたが、出場することなく特攻機のパイロットになり、23歳の若さで戦死しました。

久保さんのことを小樽スキー連盟の先輩たちから聞いていたという小樽スキー連盟の元常任理事の高谷建二さんに話を聞きました。

小樽スキー連盟元常任理事 高谷建二さん
「ジャンプは非常に豪快なジャンプなんだけども、性格そのものはそんなに豪快な人ではなかった。とにかく折り目の正しい人で、きちんとしたけじめのしっかりした人でした。あいつがいればオリンピックに出てただろうなっていう話は皆さんおっしゃってました」

当時、小樽は全国一といえるほどスキー競技が盛んで、多くのオリンピック選手を輩出していました。久保さんはその中でも特に期待をかけられていた存在だったと言います。
政府がオリンピックの中止を決めた後も、久保さんは競技を続けていました。オリンピック中止が決まった翌年の昭和14年に行われた全日本スキー選手権にも出場し、優勝を果たしています。

旧制中学卒業後、一度は就職しますが、久保さんのスキージャンプの才能を惜しんだ周囲の後押しで大学に進学し、競技を続けることになりました。

五輪候補が特攻機パイロットに

しかし、時代は久保さんからスキーをも奪います。昭和18年の学徒出陣です。日本は戦況が悪化する中、兵力不足を補うため、在学中の学生をも徴集しました。久保さんはスキーではなく、特攻機のパイロットとしての訓練を受けます。そして、多くの特攻機が出撃した鹿児島に配置になりました。

昭和20年4月28日、久保さんの所属する部隊に出撃が命じられます。任務は沖縄近海に侵攻してきた米軍の軍艦への体当たりでした。久保さんは母親宛ての遺書を残して出撃し、そのまま帰らぬ人になりました。

遺書に託した母親への思い

久保さんの遺書は広島県にある海上自衛隊の施設に保管されていました。海上自衛隊によりますと、遺書とともに残されていた資料には、昭和24年に久保さんの母親のタマさんと面会したと書かれてありましたが、それ以上の詳細な記録が残っていないため、遺書が保管された経緯ははっきりしないとのことでした。

遺書にはこう書かれていました。

「本日沖縄に飛んで敵艦船に体当たりします。きょういろいろ作戦打ち合わせも終わり、B29の爆撃の音を聞きながら最後にこの便りを書いています。スキーの大会でジャンプ台に向かう時とはまた違った緊張ぶりです」
「思えばずいぶんとご心配ばかりかけました。父上が亡くなってから母上と二人で寂しい毎日を過ごしましたね。それに私がスキーで家にいなかったので、母上はどんなに寂しかったかと思います。母上より先に父上に会います」
「何か書けそうで何も書けません。とにかく立派に散る覚悟です。くれぐれも御身大切になさいますよう祈ります」

75年越しの遺書

戦後、久保さんの母親のタマさんと暮らしていた親戚の和田良子さんは、生前のタマさんから息子の話を何度も聞いていたと言います。

親戚の和田良子さん
「おじさん(久保登喜夫さん)はスキーのジャンプの選手だったから、特攻隊で一番先に弾として逝ったんだという話はおばあちゃん(母親のタマさん)から聞いていました。一人っ子だったから、やっぱり頼りにしてたんだと思う」

和田さんはタマさんから遺書については聞かされておらず、遺書の存在を知らなかったと言います。遺書の写しを見た和田さんは目に涙を浮かべながらこう話してくれました。

親戚の和田良子さん
「本当におじさんもそういう気持ちだったんだね。戦地に行くというのにこれだけ書けると言うことは、ずいぶん強い人だね。やっぱり、おばあちゃんが言ってたように親思いだったんだろうね。おばあちゃんはおじさんの話をすると泣くから。『登喜夫が生きていたら、生きていたら』ということは言ってました」

来年は東京オリンピック

来年は東京オリンピックが開かれます。そして札幌市は2030年の冬季オリンピックの誘致も目指しています。しかし、平和の祭典であるオリンピックがかつて戦争で中止になり、選手たちを含めて多くの人々の命が失われたことを私たちは忘れてはなりません。
取材した人たちに、久保さんが戦争に行かずに生きていたらどうなっていたかを聞きました。

小樽スキー連盟の高谷さんは「絶対にオリンピックに出場していたと思う。競技引退後も指導者になり、小樽のスキーをけん引したのでは」と予想していました。
和田さんは「立派な人だったから小樽をもっと盛り上げてくれていたと思う」と考えていました。
母親のタマさんは「登喜夫が生きていたら、結婚して一緒に暮らしていたのに」と話していたと言います。

生きていたら、戦争がなかったら、久保さんにはどんな将来があったのでしょうか。

(札幌放送局・眞野敏幸 2020年8月14日放送)

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