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北海道八雲町のウクライナ人姉妹 いま伝えたいことは

  • 2024年3月1日

2月24日でロシアによるウクライナ侵攻から2年となりました。避難生活が長期化し定住支援が課題となる一方で、関心は以前よりも薄れつつあります。
北海道には2月20日時点で25人がウクライナから避難しています。今回、道南の八雲町で暮らす姉妹が「少しでもウクライナのためになるならば協力したい」と、その思いを聞かせてくれました。いま私たちに伝えたいことは。 

静かに暮らしたい

八雲町で暮らす、ベツ・イェリザベタさん(30)と、マルハリータさん(20)。姉妹は首都キーウを離れ、おととし12月に日本へ避難し去年4月に八雲町に来ました。姉のイェリザベタさんは日本の文化や音楽などに興味がありウクライナで日本語を勉強していて、北海道の地名や特徴を以前から知っていました。その中から、支援体制が整っていて静かに暮らせそうな八雲町を選んだと言います。

八雲町での暮らしについて尋ねると…

「北海道のいいところをたくさんウクライナで聞いていました。八雲町は本当に静かな町で人もあたたかいです。ウクライナでもシーフードは食べられますが、北海道が一番おいしいです」

と日本語で教えてくれました。

八雲町ではウクライナの人々をいち早く支援したいと、ロシアによる侵攻からおよそ2か月後に受け入れを決めました。住宅のほか、家具などの生活必需品もあわせて提供し光熱費や水道代も無料に。さらに就職先や子育てなどもサポートするとしています。

岩村克詔町長は、将来的には地域の活性化につながるようお互いに協力できればと話します。

八雲町 岩村克詔町長
「ホームシックにかかってさみしくなるのではないか、こんな田舎の八雲で本当に大丈夫かと、いろいろ不安はありました。最初に2人に会ったときは緊張もしました。
ですが、受け入れてみると私たちが考えているよりも地域に順応してくれたと思います。今は八雲町に2人だけなのでさみしいかなと思いますし、引き続き受け入れ体制を整えています。また、日本の勉強をしたい習慣や文化を学びたいという人もいるので、そういった教室もできたらなと考えています」

想像できなかった未来 両親を思う

ロシアによる侵攻から2年が経過していますが、ベツさん姉妹の故郷キーウをはじめ、各地でロシア軍による攻撃が続いています。

姉のイェリザベタさんは、ロシアとの衝突により生まれ育った土地を何度も追われた友人から実際に体験している話をよく聞いていたと言います。
そして今では、この友人の体験や思いをより現実味を帯びて想像でき、思いを寄せることができるようになったとも感じています。

姉妹にとっても、特に戦争が始まってすぐは戦車や空爆におびえ「あす私たちはどうなってしまうんだろう」と考える日々が続きました。それまで母国が戦火にさらされると考えたことはなく、本当に突然、世界が一変したと振り返ります。
ロシア軍はウクライナの民間の人々を今でも攻撃し続けていると批判する2人。そして母国を守るためには、現実的に他国からの兵器の支援が必要だと訴えます。

一方、姉妹の家族はいま首都キーウで暮らしています。
姉妹がバスでウクライナを離れる日に両親と一緒に撮った、最後の写真を見せてくれました。こんなに長い期間、家に帰れず両親と離れているのは人生で初めてだと言います。

キーウで暮らしている両親は、ロシアによる空爆の度に地下のシェルターへ逃げる生活が続いていて、心配で毎日連絡を取り合っています。両親からの連絡では、「駅やその近くが空爆の影響を受けて通勤するにも難しい状況になりそうだ」といった現地の状況を聞くそうです。ベツさん姉妹は、自分たちの体験と比べれば国内にはもっと悲惨な状況の地域があると説明しますが、キーウも含めてウクライナに安全な場所はないと言い切ります。

ベツ・イェリザベタさん
「今でもロシアの侵攻を本当に恐ろしいと感じています。この戦争でいったい何人の人が亡くなるんでしょうか。ウクライナでは大切な人を失ってしまう状況がまだ続いているんです。
キーウではロシアからの空爆のほとんどが夜間に行われるので、ゆっくり休めず厳しい状況の中でみんな生活しています。それでも両親はなんとかやっていこうとしていますし、明るい雰囲気でいようと努めていて私たちと電話するときも笑顔なんです」

子どもたちと笑顔

そんな姉のイェリザベタさん、笑顔でいっぱいになる時間があります。
八雲町内の小中学校で英語を教えている時です。ウクライナでも英語を教えていた経験があり、今は外国語指導助手(ALT)の補助役として働いています。

この日はウクライナ語も交えた授業を行いました。はじめに子どもたちはウクライナの民話がもとになっているお話し「てぶくろ」をウクライナ語で聞きます。
それから、ウクライナ語で1から10の数字を学びました。

「1はウクライナ語でオドゥン。少し日本のおでんと同じだけどちょっと違います」とイェリザベタさんが日本語で説明すると、子どもたちは笑いながらも一生懸命、発音を練習。1から10まで元気いっぱい学びました。

イェリザベタさんにとって大好きな子どもたちとの触れあいが、今一番の光になっていると言います。

「今日はウクライナのことをたくさん知れたので楽しかったです。ウクライナでは戦争をしていて大変だということは知っています。だけどリザ先生が学校に来てくれたことはうれしいです」

イラストで支援

妹のマルハリータさん。ウクライナではイラストレーションやアニメーション、アートを専門に学んでいて、将来はゲーム業界で自分のイラストや3Dアートなどを使った仕事をしたいと考えていました。

しかし、侵略後にこうした考えは一変したと言います。
日本に来てからはウクライナのために何かしたいと、描いたイラストで母国の人々を励まし、兵士への寄付にもつながるプロジェクトに参加しています。日本のアニメにも興味を持つようになり、中でも宣伝や生活用品をはじめ日常生活にアニメのさまざまなキャラクターが使われていることに驚いたそうです。

日本語の勉強も頑張っているマルハリータさん。
まずは平和なウクライナに帰りたいと願っていますが、将来はいつか日本で働きたいと考えています。

マルハリータさん
「将来のことはロシアによる侵攻の前後で全く違う考えになりました。
以前の計画は別の人の人生のように感じるし、もうほとんど思い出せないほどです。
ウクライナの動画やアニメーションをつくることでゲーム業界を目指すだけでなく、母国をより広く知ってもらえるようウクライナについて発信していきたいです」

忘れないで

北海道で暮らし始めて、もうすぐ1年になる2人。
いつか日本に行ってみたいと考えていましたが、戦争が理由になるとは思ってもみなかったと話します。つらい体験が続く中で、日本での出会いや支援に心から感謝していると笑顔を見せます。

「日本の皆さんはいつも笑顔でサポートしてくださいます。日本のどこに行っても、いつもあたたかいハグをくれるような人たちがたくさんいるんです。
私たちもウクライナも本当に感謝しています」

一方、母国での戦闘は続いています。首都キーウの中心部には、戦闘で亡くなった兵士らの名前をひとつひとつ記した国旗が立てられています。ベツさんたちが撮影したころから増え続け、今では数え切れないほどだと言います。

2年という月日が経ったいま、日本でも世界でもウクライナへの関心が薄くなっていると感じている2人。さらにウクライナがロシアに負けてしまった時、世界に与える影響は大きいと考えています。ロシアとの間で北方領土問題を抱える日本にとっても、ウクライナの現在の状況は人ごとではないと話していました。

イェリザベタさん
「ウクライナのことをどうか、忘れないでほしいです。
日本の皆さんにはウクライナのことを話題にしたり、ニュースを発信したりし続けてほしい。それがとても大切なことなんです」

2024年3月1日

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