NHK札幌放送局

三宅唱さんインタビュー「名づけえない“特別な瞬間”を撮りたい」

ほっとニュースweb

2023年1月6日(金)午後2時00分 更新

現在、公開中の映画『ケイコ 目を澄ませて』を監督された、三宅唱さん(札幌市出身)。映画を撮るうえで考えてこられたことを伺ったインタビューの全文を公開します(一部、映画の内容に触れています)。

―『ケイコ 目を澄ませて』拝見しました。本当に素晴らしかったです。

三宅唱さん(以下、三宅)「ありがとうございます」

―圧倒されるばかりだったんですけど、特に主演の岸井ゆきのさんの背中、肩にものすごく惹きつけられました。役者さんの身体を撮るにあたり、三宅さんの中で大事にされていることはあるでしょうか?

三宅「おお、そうですね。むちゃくちゃ難しい質問、しょっぱなから(笑)」

―あ、違う質問から行きますか。

三宅「いやいやいやいや、どうしよう…。同じ役者という職業でも、人それぞれ芝居に対する考え方も当然違うし、身体つきとか身体の使い方も違います。スポーツ選手のような運動神経とはまた違う意味で、役者という人たちは自分の身体を使って仕事、身一つで仕事をしているので、何だかやっぱり理由は分からないけど、つい惹かれてしまうものがあるので、何だろうな、その人が腕を挙げるとか、ちょっと右を向くだけで、世界がガラっと変わって見えるような瞬間というのを、今まで見せてきてもらったので、今回はそれで岸井ゆきのさんが本当に素晴らしい集中力で演じてくださったので、もう僕の仕事は肉体をそのまま撮ることだっていうことに徹しました」

俳優・岸井ゆきのさんが、耳の聞こえない女性プロボクサー・ケイコを演じた

―準備期間の3か月、監督も岸井さんと一緒にボクシングをされたと、お聞きしています。これは当たり前のようであって当たり前では全然ないと思うんですけど、監督の希望だったのでしょうか?

三宅「はい、僕の希望です。僕にとっては、今までボクシングのファンでもなかったくらいなので、そんな人間がキャメラの後ろで、OKだのNGだの言うのは、単純に仕事にならないだろうなとも思いました。なので、まずは自分も身体を動かして、一緒に学んでいきたいというのが、本当に出発点だったので、特別なことをしているというよりは、もう単純に最低限のこととして、第一歩が一緒に練習をするということでした。でも、いざ始めてみると、何で今までファンじゃなかったんだろうと思うくらい、ボクシングに熱中できたので、単純にやっている間はすごい楽しかったです」

―岸井さんも一緒トレーニングされていて、3か月の中でどう変化されたでしょうか?あるいは一緒にご自身もボクシングをされたことによる発見がきっとおありだったと思うんですが?

三宅「はい。最初の頃は、岸井さんは正直に言って、戸惑っていたと思います。単純に人にパンチを当てること、当てられることに、疑問を感じていただろうなというふうに思いますね。1か月くらい経ってからでしょうか、徐々に彼女が自分の力をセーブせずに、ボクシングに向き合っていけるようになったのは。何か覚えているのは、僕自身も最初殴るのが、殴られるのが怖いというより、人にパンチを当てる距離にまず立つこと自体が、ものすごい怖いことだなと思って。ただ、ボクシング指導についてくれた(とともにジムのトレーナー役を演じた)松浦慎一郎さんと時間を重ねていくと、彼を信頼できれば、彼にパンチを当てられる距離に近づいても、照れくさくもないし、恥ずかしくもないし、もう安心してパンチを打てる、打たれるという、何か、このスポーツのベースにはこういう信頼関係があるんだなということが、一番最初のかなり大きな発見でした」

―それは、やっぱり演出にも大きく影響したでしょうか?

三宅「影響しました。ボクシングは、リングの上では孤独に戦っているものだと思っていて、それ自体は間違ってはいないと思うんですが、ただ孤独に1人でリングの上に立つ前には、いろんな人たち、ジムの会長であるとかトレーナーだとか、あるいは相手選手との間にいろんな信頼関係があるうえで、初めてあのスポーツが成立しているんだということを学べたので、そう思うと、映画撮影の現場でも同じだなと思いました。(役者は)キャメラの前にはたった1人で立ちますが、スタッフだとか、全員と信頼関係を結べれば、より自信を持って、キャメラの前に僕らも送り出せるし、役者たちも立てるんだろうな、なんていうこともぼんやり考えながら、ボクシングの試合に立つ準備をするかのように、僕たちも、準備して信頼関係を築いて、現場に臨もうというふうに考えていったというのは、すごく新鮮というか緊張感のあるいい仕事だったなと思います」

―モデルになったプロボクサー・小笠原恵子さんの原作『負けないで!』があって、それを原案として全く新しい脚本を立ち上げて、オガワケイコ(小河恵子)さんという新しいキャラクターが生まれています。そぎ落とされた非常にシンプルなストーリーで、分かりやすい壁やきっかけが、めくるめく展開で出てくるものではないと思います。三宅さんの映画にとって「物語」はどれくらい重要な要素でしょうか?

三宅「この仕事をするに当たって、いろいろ考えが変わっていきました。たぶん、映画を始めた頃は、「物語」に強い興味はなかったのが正直なところだと思います。「物語」を語るには、映画よりも小説であるとか、あるいは日本の場合、マンガであるとかのほうが、より洗練されていて、たくさんのことが伝えられる。で、映画は「物語」以上の何か、「物語」にならないようなものをつかまえられるのが、映画のキャメラなんじゃないかなと、かなり頑なに考えていた時期もあったんですが、でも、僕はもともとアメリカ映画が大好きですし、古典映画も大好きで、いろいろ見ていくと、そういう「物語」があるからこそ、役者であるとか、その場所もどんどん変わっていく。同じ「物語」でも役者が違えば全然違って見えるということは、役者を輝かせるために、その場所を輝かせるために「物語」があるんだと考えると、必要不可欠なものなんだなというようなことも、考えるようにはなりました」

―事前に2本の参考映像集、ムルナウの『都会の女』の電車のシーンや、フレッド・アステアの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」などが入っているビデオを作られたということだったんですけど、それに込められた意味を、教えていただけるでしょうか?

三宅「とにかく新しいボクシング映画を作ろうというのが出発点でした。とはいえ、新しいボクシング映画を作ろうという言葉だけをスタッフと共有しても、みんな、「おお、分かった」と言いつつも、プロですから、ある種、それ以上具体がなければ、既存をなぞってしまうというか、そんな簡単に新しいものは作れないだろうなというふうに思ったので、参考ビデオを作って、こういうことをやりたいんだ、こういうことをやりたいんだっていうことを具体的にどんどん共有していく、そういう作業をしましたね。それは初めてのことだったんですが、やってみてすごく評判もよかったですし、いい手段だったなと思います。今、言ってくださった以外の映画にも幾つかいろんな映画を編集して作りました。あくまでスタッフ向けで、もう本当にラフなものなので、僕が横で解説しながらじゃないと見れないようなものといいますか、ただ単にそのビデオだけ見ても、何が何だか分からないようなものだとは思うんですけど」

―そのことが、何かある種、結実したなというふうなシーンはおありでしょうか?全てのショットがそうだと思うんですけど。

三宅「ああ、でも単純にたとえば、映画が始まってちょうど5分ぐらいでしょうか。ケイコと、(松浦慎一郎さん演じる)トレーナーのまっちゃんがコンビネーションミットをやる場面がありますが、大抵ボクシング映画というと、キャメラも一緒にリングに上がって、選手越しに、臨場感あふれるキャメラワークで撮られるっていうような映像って、いろんなボクシング映画で使われていて、ついついそれを想像しがちなわけですが、僕らが取った手は、そうではなく、リングの外にキャメラを置いて(カメラを固定して動かさない)フィックスでそのコンビネーションミットを、一連をとらえるのだというのは、事前に見ていた『バンド・ワゴン』のフレッド・アステアのダンスの場面の撮り方であるとか、ほかのダンス映画の撮り方のショットであるとか、別な映画のビジョンを共有していたから、かつそれが面白いということをスタッフ全員で確信できたので、現場でキャメラがリングの中に入らず、キャメラが動かずに、ただ我々はそっと見つめているだけだということでも、全員がそこに確信をもちながら、これは面白いのであると信じて撮ることができたっていうのは、結構大きかったかなと思いますね」

三浦友和さん演じるジムの会長(中央)や、
三浦誠己さん(右から2人目)、松浦慎一郎さん(右端)が演じるトレーナーが主人公を支える

―ほぼフィックスショットで構成されたと思うんですけど。

三宅「はい、ほぼフィックスです」

―これはどうしてだったのでしょうか?

三宅「被写体が動くものであり、まず肉体自体が、ボクシングの場面でたくさん動きますよね。かつ主人公が、何ていうんですかね、あまり感情を表に出すタイプではないけれど、心の中ではものすごく大きなうねりがあって、その心の中の大きなうねりが、ほんの少しだけ小さな変化として、表情であるとか、身体の動きに映し出されると。その時にキャメラが動いてしまうと、その動きが見えなくなってしまうので。もう既に被写体自体が、まるで水のように、小さい波のように動いているので、それを見つめるには、フィックスである必要があるだろうことを事前に、キャメラマンの月永(雄太)さんら全員と共有していて、動くものを撮るために、僕らは固定キャメラで撮影したというのが、シンプルな方針でした」

―カット割りは、事前にかなり準備されていたのでしょうか?作品によって違うのかもしれませんが。

三宅「今回は16ミリフィルムでの撮影であって、回せるフィルムの数も多少限られていたので、ある程度事前にプランは立ててはいました。とはいっても、全て細かいことまで決まっていたかというよりは、いわゆるマスターショットと呼ばれるその場面全体がとらえられるショットをここで表現するのだということを決めておいて、あとはもう、撮影現場でケイコであるとか、みんなが動いてみて初めて見えてくるものもあるので、その時には柔軟に対応できるように、「近づいてみよう」とか、「ここは近づかなく、この距離でいいんだね」といった判断をしていくという、それを現場で判断するために、最初の基礎の部分を固めておいたという、そんなプランだった記憶があります」

―濱口竜介さんであれば、サブテキストを役者さんに準備していらっしゃると思いますが、三宅さんが役者さんに対して演出というか準備をしていくときに、大事にしていることは、何かおありだったりするんでしょうか?

三宅「その役者さんが、映画の中でどの役を演じるか、どれぐらいの分量を演じるかによって、多少変わってくると思うんですが、事前にというより、撮影現場に入ってから前もってよく喋っているのは、ついお芝居となると、皆さん真面目ですから、目の前の相手にものすごく反応するので、その繊細さたるや本当にすごいなと思うんですが、我々はふだん生きていると、目の前にいる相手にも反応するけれど、今遠くで鳴っている電車の音であるとか、光であるとか気温であるとか、いろんなものに反応してこの身体が成り立っていると思うので、ややキャメラの前だと相手に反応し過ぎることが、むしろちょっとだけ、何ていうかな、何か本当は感じているはずなのに、それを我慢、抑えてしまっているところがたまにあると思うんですね。なので、僕の映画の場合は、反応してよいと。鳥が鳴けば見てよいし、眩しければ眩しいし、うるさければ声は大きくなるだろうし、静かに喋りたければ静かに喋れるしっていう、何か相手だけじゃなく、この環境全体っていうものに、身体のセンサーを開いてほしいっていうことを、ここまで丁寧にというよりは、もう少しラフな言葉でですけれど、喋ったりはしてますかね」

―この映画について語られる監督の対談を事前に読んでいて、電車のシーンはすごく期待していて、そしてその想像を超えて、高架下のシーンはすごかったんですけど、あのシーンってどうやって撮られたんでしょう?

三宅「あれは事前に、制作部の大川(哲史さん)という人間やプロデューサーの城内(政芳さん)という人間と、あのロケ地となった荒川周辺をよく散歩して、ロケハンというよりほぼ散歩ですかね。たくさん歩いていて、歩きながらその街のことも知るし、おしゃべりしながら映画の話もするし、「ケイコがここにいたらどんなこと考えるのかな、どう感じていてどう見えているのかな」っていうことをいろいろ見ていくと、そういう時間を丁寧に取れたんですが、ある時に、「この橋の下にいると、僕らはその橋の轟音によって電車が通過したことを知るけど、きっとケイコはこの光の反射によってこの電車の往来を知るよね」っていうことを発見して、「それ撮ろうよ」と。で、そうするといい場所が、あの橋桁の下を歩く道が見つかり、そこに撮影部、照明部とみんなで見に行って、実際にその電車から漏れる光というものが映るものか、フィルムに映るものなのか、映らないのかっていうあたりを検証してっていう、何だろうな、準備の時間がありました。でもやっぱ、だから最初に重要だったのは、自分の身体でその場所を歩いていろいろ見つけていくということができたのは、自分にとっては大きかったかなとは思います」

―あの照明をどうやってつくられたのか、ちょっとだけ聞いてみたいなと。

三宅「もちろんもちろん。実は、キャメラのフレームの中には電車自体は映っていなくて、つまり本番中というのは、電車は走っていない瞬間を狙っているんですが、何かね、銀盤みたいなものを、特殊な装置を照明部が用意してくれたんですよ。その銀盤がくるくる回るわけですね。そこにライトを当てると、その回ってくる光を当てて当てて当ててで、さも電車が通っているかのような光と影が生まれるっていう。僕の説明が下手過ぎるんで、あんまりイメージしてもらえたか分かんないですけど、割と単純な装置ではあるんですが、そこに強いライトを当ててばーっと回しましたっていう、そんな感じです」

―そういうことこそ、クリエイティブですね。

三宅「いや、めっちゃいいなって思ったし、早くメイキングを公開したくなってきましたね、そう思うと。でも、そういうふうにものを作れたなっていうふうに思います」

―これは勝手な僕の感覚なんですけど、画面上を、左から右にケイコさんが闘う方向性みたいなのがあって、逆に、左方向に逡巡と、でもそこに三浦友和さんが寄り添うという意味合いで構成されてるのかなと思ったりもしたんですけど、そういう画面上の流れなどは意識されたでしょうか?

三宅「ああ、なるほど」

―何か、間違いだったら申し訳ないんですけど。

三宅「いえ、間違いっていうことではなくて、でも、正直そこまでコントロールしてなかったっていうのがあります。もうその場その場の、うん、方向性に関しては、その場、その直感的なものだったかなと思います。ここは左にはけてほしいとか右に行ってほしいっていうのは直感に近かったので、たまたまその直感が、全部意外と理屈のようにつながっていたというふうなことを、今、気づかされました」

―すみません。勝手に。

三宅「いや、全然いいんです。ありがとうございます」

―雑誌の『ユリイカ』で、映画研究者の平倉圭さんが書かれていましたけど、ケイコが橋桁の下にいるとか、高速の下にいる、階段も…

三宅「下でしたね」

―下にいる、何かの底とまでは言わないけど、大きなものが上にあって、その下にいるっていうふうなことは、かなり意識されていたのでしょうか?

三宅「それが実は、あれは平倉さんのあの批評によって、まさに僕たちはそういう仕事してたんだって気づかされて、僕らスタッフの中でも驚いていたんです。ラストショットで、土手をぐっと駆け上がる、低いところから上に駆け上がるんだというものは、最初からプランにあったので、高さと低さがある、階段にも高さと低さがあるっていうことは、認識していたんですけど、それ以外の場面においても、その深さの劇として構成しているという意識は、実はそこまでなかったというと何か変な、間違っているみたいな意味に捉えられたくないんですけど、でもその批評によって発見できた僕たちの仕事だったなと思って、何だろうな、とても読めてうれしかった批評の一つでした」

―もう生理的な判断、あるいはさっきの話でいうと散歩されたことが結構大きかったのでしょうか?

三宅「うん、そうですね。こう言うとすごい嘘っぽくなっちゃいそうで、ややうまく説明できるか分かんないけど、でももしかすると、さんざん歩いてる間に何か土地の雰囲気とかが自分の身体に入っていて、それでどこを歩くべきかって、いざ考えるときに判断できるようになっていたんじゃないかなという気はしますね。もしたとえば駅前で、ペデストリアンデッキの上を歩くか下を歩くかっていうときに、何も僕らが考えていなければ、上を歩いても違和感なかったかもしれませんが、たぶん、いろいろとこの物語にぐーっと入っている状態がつくれて、準備できていたから、「まあ下だよね」っていうふうに選べたのかなっていう気はしますね。はい、そこに関しては、だから事前の設計図があったわけでは、実はないですね」

舞台となった東京・荒川近辺。三宅さんは、この土地を繰り返し、歩いたという

―「クローズアップの顔を毎回撮ればいいかというと、それだと面白くないものができ上がってしまう」と、以前、対談でお話しされていましたが、今回、アップはすごく少ない印象がありました。でも、ケイコはそこに間違いなく存在していると感じるんですけど。顔を、どんなときに撮って、どんなときに撮らないか、どう判断されていたのでしょうか?

三宅「うーん。僕もその完全なルールがあれば、仕事が楽になるんですけれど、本当その都度その都度で変わってきます。ただ、『ケイコ』のときに少しだけ発見したのは、本当に目の前にその出来事がある、たとえば目の前に会長がいて、会長の芝居が目の前に本当にあれば、実際にそのリアクションが起きるので、それは撮れるだろうと。でもそうではなくて、脚本の都合というか、脚本の要請によって、目の前で起きていないけど心を動かさなければならないような場面っていうものがたまにあるんですね。たとえば、ジムが閉まるというメールの知らせをもらって、それを見る反応っていうのは、何だろうな、もうそのとき初めて実際に知るなら、おおっていう顔が撮れるかも分かんないですけど、もうシナリオにも書いてあるし、メールを見てるだけなので、そこで何か驚くっていう芝居のOKかNGかっていうのは…、たぶん、本当に正直なところ、岸井さんであれば余裕でできちゃうと思うんです、説得力ある、そのジムが閉まるという衝撃的な瞬間を。でも、僕がそれに対してOKを出せるかどうか分からないというか。何だろうな、それが本物なの…、本物というか、何て言えばいいんでしょうね。うーん。OKかどうか判断できないので、そういうものは、まあ、違うショットを、全身のリアクションとして想定しようという撮り方をしましたかね。すみません、何かちょっと変な例だったかな。でも、目の前で実際に起きるか起きないかで変えるというのは大きくあります」

―それは三宅さんが言及される「一回性」みたいなことにつながってくるんでしょうか?

三宅「ああ、なるほど。そうな気がします。1つは「一回性」だと思います。やっぱり何度もやると、幾らどんな優れた俳優でも多少変わってしまうだろうと僕は思ってもいます。でも、本当に矛盾するようだけど、岸井さんと今回仕事して驚いたのは、岸井さんと最初喋ったんです。「その「一回性」にかけて、僕は演出を今回したほうがいいか、それとも事前にテストを重ねて、お互い確認をしてからやったほうがいいのか、どちらがいいですか」って、割と乱暴な質問を事前にしたら、彼女はどちらかというと、「いや、事前に確認して、今何が起きるかって知ったうえでやったほうが安心して「一回性」にかけられる」と。なので、その「一回性」にかけるために何度も実はテストをして、本番前にも本番かのような、キャメラだけ回っていない本番かのような、「本テス」と呼ばれるものもしたうえで本番をやるっていうことがやれていたので、それはもう、いわゆるその演者としては素人である僕が考える「一回性」とかとは全然違うレベルの「一回性」っていうものの中に、(岸井さんたち役者は)生きてるんだなという気もしています。何か、何かが違うらしいですけども、それでも」

―あ、やっぱりその岸井さんの言葉は大きかったんですか、そのテストを重ねることについては。

三宅「ああ、それは大きかったです、はい。そこでもし彼女が、「いや、テスト少なくて、わりと私一回のほうがいいんです」って言ってれば、そのような撮り方にしたと思いますし、むしろ安心した状態でやりたいって言葉は、僕としてもそれはすごいしっくり来たので、そういうことを聞ける関係で映画撮影に臨めたのは大きかったかなと思います」

映画には、ろう者の俳優・山口由紀さん(左)、長井恵里さん(右)も出演した

―ショットという言葉を、僕も分からないまま使っていて、本当にちょっと恥ずかしいんですが、ショットは「物語」にむしろ逆らうものというか、あるいは広げていくものだというふうな感覚を、たぶん、三宅さんはお持ちなんだろうなと思っています。滑らかにスムーズに違和感なく撮っていくっていうことではなく、「物語」を超える瞬間や時間というのを大事にされているっていうふうな感覚なのでしょうか?

三宅「ああ、そうだな。うーん。何か、何に抗ってるかというと、「物語」に抗うっていうのをもう少し言葉を変えると、僕が思うのは先入観とか、イメージみたいなもの、きっとこういうシーンってこうだよねっていう偏見というか、思い込み、それを撮影現場で、いや、角度を変えて何かしかるべき演出をすれば、あ、実はこの瞬間ってこういう場でもあるんだっていう、たとえば人が人に告白して振られる瞬間ってなったときに、まあ振られる瞬間だと千差万別な気もするけれど、何となくイメージされる振られる瞬間とか、あるいは何でしょう、ある登場人物の恋人と前の恋人が鉢合わせるなんていう場面があると、「うわ、それ気まず」って思うかもしれませんよね、大抵の人は。実際そういう場面があったら、きっとこれ気まずいシーンだろうなと思うと思うんですが、でも、もしかすると、演じてみたら、その今の恋人と元恋人は、ともすると意気投合する可能性だって人生にはあって、もしかしたら、いわゆる恋人、元恋人という役割というか、自分に与えられてる、ある種の属性というかレッテルを超えて、新しい関係が垣間見える瞬間っていうものが生まれるかもしれなくて。そういう意味で言うと、そういうイメージ、偏見、先入観、レッテルみたいなものをずらす、揺さぶりをかける。そういうことができると、何か映画っていうのはすごいサスペンスフルでドキドキするものになるし、むしろそのイメージとか、こういうシーンってこうだよね、こういう人ってこうだよねとかって強化するほうに行くと、何だろうな、ちょっとつまんないかなって僕自身は思うっていうのが、自分なりの言葉でしゃべると、こんな感じです、はい」

―見た人に委ねるっていうこともあると思うので、あんまり映画のことを全部お話いただくのがいいとも思わないんですけど、今のような感覚って、『ケイコ』の中にもたくさんあったと思うんですけど、とくに、こういうシーンで表現できたなっていうようなことは、おありでしょうか。乱暴な質問なので、ちょっと難しければ大丈夫です。

三宅「ああ、いえいえ。うーん、何でしょう。何だろうな、たくさんあるな。まあ本当にこの映画、企画自体、根本でそのいわゆる聞こえない方でボクサーである、女性ボクサーであるっていう言葉だけ並べたときに思い浮かぶイメージをどう、そうではない姿というか、何だろうな、そこで思ってしまう何らかの偏見とか先入観とかを、わざわざ覆してるわけではないけれど、どう見ていくかっていうのが僕らの仕事だったので、全体と言えば全体なんですが、たとえば僕が気に入っているのは、うーん、本当に細かいショット、すごい短いショットなんですが、玄関の前で一瞬帰ってきたケイコと弟がすれ違う瞬間に、ちょっと手話のやりとりをしてるんですね。そこでは、弟が「今から恋人と一緒に映画に行くけど、姉ちゃんも行く?」「いや、私は行かない、じゃあね、気をつけてね」なんてやりとりを手話でしてるんですが、そのときの表情っていうのは、たぶん、ほんの一瞬使ってるショットなので短いんですが、何か新鮮な一面、ケイコという人がいろんな面がありますけど、あのショット撮るときに、あ、もう一個こんな面があったのねっていうものが撮れた瞬間ではあったかなって気がしますかね」

―穏やかな笑顔でした。

三宅「そうです、そうです、そうです。で、何か結構格好よくて、何だろうな、すごい好きなショットでした」

取材を行った去年12月24日、三宅さんは新宿の映画館に登壇。多くの観客がつめかけていた

―三宅さんは、今回の『ケイコ 目を澄ませて』や『きみの鳥をうたえる』といった現代劇、『密使と番人』のような時代劇、ホラーの『呪怨』、ドキュメンタリーである『THE COCKPIT』、ドキュメンタリーの要素も大きい『ワイルドツアー』など、すごく幅広いジャンルで作られています。ジャンルを超えてものを作るときに意識的に変えていらっしゃることと、意識的に変えずにいらっしゃることって何かおありでしょうか?

三宅「基本的には毎回違うことをしようと思ってます。今まで仕事してきた中では、前の作品を反省するというか、ある種、前の作品を否定するかのよう…、自分の中だけですよ、評価という意味じゃなくて、前これをやったから、でも映画の表現はそれだけじゃないはずだっていうことで、じゃあ次は違う方法を試してみようということで、なるべく毎回違うことをやろうとしています。ジャンルというよりは、もう映画そのものの考え方みたいなところであるんですが。ただ、やってもやっても意外と同じ部分は同じ部分で変わんないなってことは、後から発見をしていますかね、自分がやってることは。そうですね、事前にというよりは後から発見してることのほうが多いですかね。ジャンルの選択は、本当にたまたまそういうオファーが幸運なことにあってそうなったので、選んでるわけじゃないんですけど、でも、そうだな、何か特別なことをしてる意識はなくて。でも、人に言われるんですよね、「何やりたいか分かんないよね」っていうふうに言われて、それを「絞ったほうがいいよ」って言われるときがあったんですけど、いや、待て待てと。スピルバーグなんて毎作ジャンル違うじゃないかと、アメリカ映画の監督なんてみんなジャンル違うんだから、毎回…、まあホラーならホラーっていう人もいるけれど、結構ジャンルは変わるもんだと僕は思っているから、それは今後も変わらず、興味深い題材があればどんなジャンルであれ、その題材にふさわしい表現方法を発見してやるというのが自分の仕事なのかなっていうふうには考えています」

―後から気づいてみたら、自分はここが変わってないんだなっていうところって、今おっしゃったのは、どういうところなんですか?

三宅「たとえば、家族とか兄弟とか同僚とか、名前のついてる関係ってあると思うんですけど。僕が興味を持ってるのは意外と名前のついていない関係性。友達っていう名前はありますけど、友達ってね、親友からちょっとした顔見知りまで人によって定義も違うし、その関係が続いてる期間も違うし、それぞれの友達によって得られている幸福度とか、何だろうな、全然違うと思うんですけど、だから実質、何だろうな、雑な言い方というか、だと思うんですけど、何かそういう中で何かこう名づけえない、まだあんまり名前のない関係性みたいなものの中にある、特に幸せな瞬間みたいなものがキャメラに映し出せればいいなっていうことはずっと考えているのかなという気がしますね。うーん…かな。『きみの鳥はうたえる』だったら、恋愛を上位に置いてしまうと友達関係、恋愛未満ってなると思うんですけど、別に恋愛は常に上位にあるわけではなくて、そこには上下ないと思うんですけど、何かこう、あの3人の中でしかない、一応は友達とか三角関係と呼ばれもする、でも通常の三角関係で想像される脂っこい関係とも違う、何か瞬間ってものをつかまえるのが僕らの映画での僕らの仕事だったと思うし。『ケイコ』であれば、そうだな。ある種の師弟関係であるとか、ジムの仲間、トレーナーとの関係っていうのはありますけど、何かそれ以上の名づけえない、愛情とも違う、家族とも違う、全然違う、たまたま同じジムで出会った異質な他者同士が、こんな幸せな時間、一瞬生まれるときがあるよねっていうものが幾つかで撮れてると思うので、で、それを撮りたいと思って撮ったので、そういうものはどの映画にも共通してるかなと、最近になって気づきました」

―そう伺って、ぱっと思い出すのは、松浦さんが一回引っ込んでまた出てこられた…

三宅「泣いて、はいはいはい」

―あのときの岸井さんの笑顔も素晴らしく、何かちょっと、ああ、何か多分そういう瞬間なのかなと思いながら…

三宅「ああ、そうですね。えーと、さらにその後の泣いて出てきた松浦さんを、ケイコが笑顔で迎えて、2人でミットの練習始めたら、それにつられて、それをただ下で観察してただけの三浦誠己さんともう一人の柴田貴哉さんが演じている練習生のボクサーが、リングの上をまねして一緒にステップを踏み始めるっていう、何だろうな、リングの上でもステップ踏むし、リングの下でもステップ踏んでるっていうような、あの瞬間とかは、実はシナリオには書けなくて、どうしても。ただ、そんな瞬間があればいいなと思って、結構現場では難しかったですけど、撮れてよかったなと思える瞬間の1つですかね」

―Netflixでも監督されていますけど、劇場で鑑賞されることが前提となる作品と、配信で鑑賞されることが前提となる作品で、画面は自宅のテレビモニターやスマートフォンかもしれないですけど、何か演出方法や意識において違いってありますか?

三宅「うーん、いや、根本では別にないといえばないですね。キャメラがあって俳優と信頼関係築いて、シナリオに一緒に格闘するという意味では全く一緒だとは思うんですが、ただ、そうだな、やっぱり、僕の思う映画監督とかの仕事っていうのは、役者やスタッフと働くこともそうですが、観客も演出の対象だと思っていて、俳優の心を動かすだけじゃなくて、観客の心をどう動かして、どういう可能性があるかっていうことを探るってことだと思うんです。それが映画館だと、ああ、こういう場所で観るっていうのがもう全世界で統一して、暗くてみんなで2時間じっと座ってっていう環境があるので、で、それは知ってるから、あの場で起きることの可能性は探りやすいですけど、配信となると、それぞれの自宅でのモニターの大きさから周りの環境から全然違うので、単純にどこに球投げればいいか分かりづらいというか、僕はまだ分かってないと思いますね。映画館のほうがやりがいを感じているというか、もうそういう世代に生まれたので、今後もそういう仕事をしていきたいなと思います。映画館で作るような映画を作っていきたいなと思います」

―最後に、ちょっとこういう質問はどうかな…と思いながらなんですけど、映画のなかで「なぜケイコさんはボクシングされるんでしょう?」という質問がありますが、同じようなことを聞かせてください。映画を撮る理由というか、なぜ三宅さんは映画を撮られるんでしょう?

三宅「ねえ、なぜなんでしょう、うーん。取りあえず自分を納得させてる答えは、もしこの人生が2回とか3回とか4回チャンスがあるんだったら、まあ映画なんてわざわざ撮らなくてもいいやと思うと思ったんですね。というのも、1回見逃しても、また2回目見りゃいいやっていうことが起きると。だけど、1回しか起きないから、じゃあそれ撮っとかないともう二度と起きないいじゃんって思うっていう感じ。うわ、うまく説明できなかったかな。でもたぶんね、僕がっていうより、映画に限らず絵画とか演劇とかも、たぶん、根本そんな気がしてるんですよね。「昔、こんなことあったよ」っていうことを伝えようとしても、もう目の前にそれはないわけですよ。でも、それどうしても伝えたいために壁に絵を描いたやつらがいてみたり、うん万年前に。壁に絵を描いて、「こういう狩りをすれば、うまくいくよ」っていうことだとか、あるいは「ここに、こんな人がいましたよ」っていうことを、その人は死んでしまうかもしれないけど、その王様は死んじゃうかもしれないけど絵に残しておくとか。それはもうそういう王様みたいな権力のある人だけじゃなく、「ここに、こんな川が流れて、こんな風が吹いていましたよ」っていうものを記録したいと思って、それを誰かにどうしても伝えたいっていうために、いろんなフォーマットのジャンルの芸術が生まれてきていて、たぶん僕もそれの流れの中にいて、自分は映画を作っているのかなという気はしていて、いますかね。ってなると、僕は映画じゃなくていいのか。でも、単純に映画は、でも楽しいですよね。複数でやれるっていうのはすごい楽しいですね」

―ああ。

三宅「複数でものを作るのは、うーん、しんどいこともたくさんありますけど。でもやっぱり、何かいろんな人間で頭寄せ合って話していくと、思ってもいないことがたくさんあるし、そこで生まれる関係っていうのも、それこそ家族とか、ただの同僚とか友情っていうのを超えた、何か本当特別な関係性がスタッフとか役者との間にはあると思っているので、それは結構、一度味わうとやめらんないなっていう気はしてます」

―ありがとうございました。

(札幌放送局ディレクター 山森 英輔)

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