今年は作家の三浦綾子さん生誕100周年にあたり各地で記念事業が行われています。三浦さんの小説「塩狩峠」の舞台になった和寒町の塩狩峠では、現在塩狩駅を中心に整備が進められています。塩狩峠について探ってみました。 (2022年10月放送 )


「塩狩峠」について
塩狩峠は上川盆地と名寄盆地を結ぶ、古くからの交通の要衝。明治期の「天塩国」と「石狩国」の境にあったことから、両国から一文字ずつ取って名づけられました。現在の和寒町と比布町の境界に位置し、国道40号線と道央自動車道が走っています。また旭川駅から稚内駅を結ぶ宗谷本線の「塩狩駅」が峠の頂上付近にあります。駅前の桜の名所「一目千本桜」では5月中頃に1600本のエゾヤマ桜が咲き誇ります。

長野政雄さんと小説「塩狩峠」
三浦綾子さんの小説「塩狩峠」主人公のモデルとなった長野政雄さんは、明治13年に愛知県で生まれました。若くして働きながら母と妹を養うなど苦労を重ねる中でキリスト教と出会い洗礼を受けました。明治42年2月28日に塩狩峠付近で機関車の最後尾の連結が外れ逆走。偶然乗り合わせていた長野さんが自ら車両の下敷きとなって止め、甚大な被害が生じるのを未然に防ぎました。三浦さんは長野さんの信仰に感動し、また三浦さんが通った「旭川六条教会」の日曜学校の初代校長を長野さんが務めていた縁もあり、小説「塩狩峠」を執筆しました。1966年4月から1968年9月まで月刊誌上で連載された後に刊行され、三浦文学を代表するベストセラーとなりました。近年では、殉職した2月28日にちなんで228個のアイスキャンドルを灯して故人を偲ぶ催しなども行われています。

塩狩峠記念館について
塩狩峠記念館は、旭川市内にあった三浦綾子・光世夫妻の旧宅を一部移設して復元したもので、小説「塩狩峠」の舞台にちなんで、塩狩駅のそばに建てられました。1999年に開館。館内には三浦さんが営んでいた雑貨店や居住空間などが再現されています。三浦さんご本人も生前に来館されました。道内外からの来場者は年間3000人を超え、特に桜の季節には多くの方が訪れます。近年は新型コロナの影響もあり来場者は減少したものの、少しずつ戻って来ているとのことです。


塩狩峠周辺の整備について
かつて塩狩峠では温泉が湧き、塩狩駅は連日多くの湯治客でにぎわいました。2005年に温泉施設が閉鎖となって以降は利用客が激減して廃駅の危機を迎えましたが、駅の維持費用を和寒町が負担することで存続が決まりました。多くの方の寄付にも支えられ、令和3年のふるさと納税では、駅の維持存続の為に7,852,000円(686件)が集まりました。和寒町ではより多くの方に塩狩駅を利用してもらおうと塩狩峠周辺の整備に着手し、景勝地である「夫婦岩」までのフットパスが整備されました。また、塩狩から「南丘森林公園」までの往復約14kmの道路両脇には桜が植えられており、春には桜を眺めながらウォーキングなどが楽しめます。

編集後記


和寒町は「かぼちゃ」の名産地で、作付面積日本一を誇ります。取材に伺った10月には、役場の玄関に多くのかぼちゃがハロウィン用に着飾って並んでいました。秋に収穫されたキャベツを冬の間雪の下に寝かした「越冬キャベツ」も大人気です。実は「競技玉入れ」発祥の地でもあります。魅力あふれる和寒町へ是非お越しください!
旭川放送局 高野陽平
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