NHK札幌放送局

「ザポリージャに帰れない」 ウクライナ人女性が語る

ほっとニュースweb

2022年3月7日(月)午後7時35分 更新

ロシア軍の攻撃に遭った原発の近くに、家族を残している札幌市在住のウクライナ人女性。
「これが最後の電話になるかもしれない」
不安を抱きながら家族と連絡を取り合う日々、その胸の内を語ってくれた。
(札幌放送局 佐藤優芽)

“ウクライナの現状を知って”

2月27日、JR札幌駅の南口広場でロシアの軍事侵攻に対する抗議デモが行われた。その中でもひときわ目を引いたのが大きなウクライナ国旗を掲げる女性、ウクライナ出身のベロニカ・クラコワさん(27)だ。おととし語学留学のため来日し、日本人男性との結婚を機に半年ほど前に札幌市へ引っ越してきた。

「帰るところがなくなるかもしれない」

居ても立っても居られず日本の皆さんにウクライナの現状を知ってもらいたいとデモに参加したベロニカさん。奇しくもロシアの東、ウクライナとは反対側に接するこの地で生活し、帰れぬ故郷の平和を訴える彼女に、私は声をかけた。

3月1日、札幌放送局にベロニカさんが訪ねてきてくれた。戦禍のウクライナについて詳しく話をうかがいたいという私の申し出に快く応じてくれたからだ。

故郷の町は緊迫 原発への攻撃も

ザポリージャにいた頃のベロニカさん

ベロニカさんはザポリージャという町で育った。
ウクライナの南東部にあるこの町は激しい攻撃が続くドネツク州の隣にある。国内屈指の工業都市で、戦況を大きく左右する重要地域とみなされ予断を許さない状況にあるという。
4日には、ロシア軍が州内にあるヨーロッパ最大規模のザポリージャ原子力発電所を攻撃し、掌握した。

その故郷には母親のナタリア・クラコワさん(53)が1人、残っている。
軍事侵攻が始まってから、母親を思い眠れない日々を送っているというベロニカさんは疲れ切った表情をしていた。

“子どもも死んでいる” 母親が伝える現地の窮状

シェルターに避難している母親のナタリアさん

インタビューをしていると、ベロニカさんの母親からテレビ電話がかかってきた。日本時間で1日午後4時過ぎ、ウクライナは朝だった。

ウクライナ現地時間 1日午前9時

「今日も70人ぐらい死んだ。子供も死んでいる」

泣きながら話す母親。外を歩いていた。母親がテレビ電話で見せてくれた街中には人の姿は見えない。ベロニカさんにとって、子どもの頃から育った歴史ある美しい町の姿とは大きくかけ離れた光景だった。

母親が撮影した現地の状況をまとめた動画はこちら
           ↓

現在ウクライナでは各地で夜間外出禁止令が出ている。夜7時から朝6時まで出歩いてはならないため、今日は8時前に家を出たと話す母親。町では輸血のための血液が足りず市内の病院で献血に協力してきたばかりだという。

母親のナタリアさん
「私は婦人科系の病気があり本当は献血できないけれど、今回は仕方がないから献血したわ。献血の途中でサイレンが鳴ったけど、その場にいただれも中断しなかった。母親に連れられてきた小さな男の子がすごく怖がっていた。65歳くらいの自分より年上の男性も献血に協力していた。きっと彼も本来は献血ができない人だと思う」

街中を歩く母親に、危険だから歩いて帰らないで、どうしてバスで帰らないのかと娘が聞くと、今は本数が少なくとても長い時間待たなければならないので歩いて帰った方が早いと話した。1時間ほどかけて自宅に戻るそうだ。

寒いシェルターへの避難 軍のボランティアも

ウクライナ現地時間 1日午前11時。

再び母親から電話がかかってきた。無事に帰宅したそうだが、部屋の中は暗い。ウクライナでは攻撃対象にならないよう、住民は昼間でもなるべく電気をつけずに窓から離れて生活しているという。

母親が避難するシェルター

母親はサイレンが鳴るたびに近くの学校のシェルターに避難していると話した。そこには近所の人が集まり、大人も子供もみんな肩を寄せ合いながら過ごしている。この時点で母親が住んでいるところではまだロシア軍による空爆や侵攻は確認されていないという。しかし10キロメートルほど離れた軍事施設が爆撃されていたり、同じザポリージャ州の他の都市でロシア軍が侵攻していたりと状況は日々切迫していると話した。

母親のナタリアさん
「とても寒い。床が冷たいから丸まって座っているの。暖かいウールの靴下と冬用のブーツを履いている。最初は勝手がわからなくて着の身着のまま避難していたけど、今は家からリネンや毛布も持ってきたわ。大人は大丈夫だけれど、子供はもっと大変だと思う」

母親がシェルターに持ち込んだリネン

ベロニカさん
「日本にいて、何もできなくて、お母さんの手をつなぐこともできない。お母さんがシェルターにいても、私はすごく遠いところにいるから、自分の温かさでお母さんをサポートすることができなくてとてもつらい」

ベロニカさんは私にこう語ってくれた。悲痛な表情が印象に残っている。

母親は現在、近所の人たちとウクライナ軍のためにボランティア活動を行っている。武器などを覆うカモフラージュネットを用意するため、迷彩色の布をネットに手で巻き付けたり、兵士や避難者のために炊き出しを行ったりする日もある。まさに戦時体制そのものだと感じた。

実家の部屋には1人娘のベロニカさんが描いた日本の絵が壁に飾られている。
最後に母親は、私たちにその絵を嬉しそうに見せてくれた。

母親のナタリアさん
「愛する娘が安全な日本にいるのはすごく安心します。自分の娘は戦争から遠いところにいるのがいい」

ベロニカさんの“戦争”

「ザポリージャの近くで空爆があったらしいけど、
お母さん、ちゃんとシェルターにいるの?」

日本にいるベロニカさんは戦闘が始まってから毎日、日に何通も母親へメッセージを送っている。YouTubeやTelegram(テレグラム)というSNSを使い、情報を集めている。テレグラムにはウクライナ人によるさまざまな規模のグループが設けられ、自治体からの情報や住民による目撃情報などが随時投稿されているという。政府の情報をもとに周辺の住民による口コミをつぶさに調べ、投稿された動画は見覚えのある景色なのか、地名や人物名など情報に矛盾がないか、ウクライナ語が正しく書かれているかなどフェイクかそうでないかを見極めながら母親と共有する。

ベロニカさん
「ロシア語とウクライナ語はとても良く似ているが、やっぱり違いがある。しゃべっている発音や綴り、ウクライナ語独特の表現など。少しでも怪しいと思ったらすぐに削除申請している。避難するお母さんのために少しでも力になりたい」

スピードと正確性が左右する、まさに情報戦。昼夜問わずニュースが流れてくるので、母親が眠っている間は時差を利用して情報を集めるのが自分の大切な役割だとベロニカさんは話していた。

それでも、日々、母親と連絡を取るたびに、ベロニカさんの頭には不安がよぎる。
「これが最後の電話になるかもしれない」と。

運転手の父は軍に参加へ 複雑な心境

父親のオレグ・クラコフさん

ベロニカさんに、いま父親はどうしているのか尋ねた。父オレグ・クラコフさん(55)はトラックの運転手としてヨーロッパ中の国を回りながら働いている。ポーランドにいたがロシア軍侵攻の知らせを受けて、3月2日には国境を越え、ザポリージャを目指して電車を乗り継ぎながら進んでいるらしい。父親は母親と合流後、政府軍への加入を望んでいるという。

ベロニカさん
「私の父は自分の国を守りたいという気持ちがすごく強い。ウクライナ人としてのプライドもすごく大きいし、なんで若者が戦地へ行って自分は行かないのかと言っている」

父親は元々ロシアのシベリア出身だ。曽祖父がザポリージャに移住していたこともあり、幼少期から父オレグさんはウクライナとロシアを行ったり来たりして育った。そして1991年、ソ連崩壊をきっかけに25歳の時にウクライナへ移住、帰化して以来、人一倍ウクライナ人としての誇りを持っている。2014年、ウクライナ南部のクリミアがロシアに併合され、ドネツク州でロシア軍との軍事衝突があったときも1年ほどウクライナ軍として前線へ行っていた。今回も居ても立っても居られない気持ちの父親とは裏腹に、娘のベロニカさんは複雑な心境を抱えている。

ベロニカさん
「娘として、とても心配しているし行ってほしくない。いつもそのことを父に言うと喧嘩になって、でも父の気持ちがすごく強いから最後は負けてしまう」

日常はかけがえのないものだった

国際社会は日々停戦を訴えるが、ロシアとウクライナの交渉は難航し見通しが立たない状況が続いている。ベロニカさんは、できるだけすぐ早く決めないと何も悪いことをしていないウクライナ人がただ毎日死んでいっていると焦燥を日々つのらせている。
「外出禁止令」「総動員令」。ロシア軍による軍事侵攻は市民生活に大きな影を落とし、日常は遠いものになってしまった。私は戦争を知らない世代だが、いまのウクライナの姿に戦時中、次第に日常や自由が失われていった日本の姿を重ねずにはいられなかった。

ベロニカさん
「ウクライナ人は自分の国を愛している。ほかの国になりたくないし、自分の文化とか自分の言葉をすごく守ってほしい」

そう強く訴えるベロニカさん。言葉を変えられ、文化を変えられたらどうなるのか。そんなことを考えたこともなかった。私はどうしようもなく恐ろしい気持ちになった。そして武力による侵略行為は許されるべきものではないと改めて強く感じた

ベロニカさんがインタビューで語ったことばが、いまも強く心に残っている。

「ウクライナ人も自分の言葉とか文化を大事にし、普通の生活を送っている。故郷の友達でアパートを買ったり、家族を持ったり、仕事を始めた人もいた。その日常が、戦争が始まる前にすごく大切なことだと誰もあまり考えてなかったと思うが、今その生活がなくなったとわかったときに、そのことがすごく大切なことだったとわかった」

さらに厳しさ増す現地情勢 ウクライナを思う心

札幌駅前のデモに参加するベロニカさん

インタビューから5日たった3月6日、JR札幌駅前にベロニカさんの姿があった。再び抗議デモが行われたのだ。この日集まったのは100人以上、最初にこの場所で声を上げてからおよそ2倍近くの人数だった。

私はベロニカさんに、ザポリージャ原発がロシア軍に掌握されたという知らせを受けてから気持ちが落ちているのではないか、ご両親の安否も含め近況を尋ねた。ベロニカさんによると、原発への攻撃のあと、ザポリージャの町から避難しようとしている人が大勢いるものの、電車が爆撃のためにキャンセルになることもあり困っているという。そして、もし原発に何かあったらチェルノブイリのように町に帰れなくなるので不安や怒りを感じていると話していた。
国外から戻ってきた父親は無事ザポリージャにたどり着き、今母親と一緒にいるという。父親はこれから、手続きを経て軍に参加、母親は避難するのかまだ見通しが立っていない。

ベロニカさん
「現地では本当に毎秒のように状況が変わっていて、毎日何回も、ウクライナにいる両親や友達に連絡して、無事かどうか確認しなければならない。みんな本当に疲れている。でもそれはもう全部いやだとかそんな気持ちじゃなくて、ちょっと心が冷たくなっていくような感じ。もうあまり涙が出てこないような」

厳しい現実から逃れるために、感情がしだいに麻痺していってしまう、あまりにも衝撃的なことだった。
ウクライナでは日々、犠牲者の数も、国外へ避難する人の数も増え続けている。遠く日本にいる自分に何ができるのか、またウクライナを思う世界の人たちに何ができるのか、ベロニカさんの戦いも続いている。

ベロニカさん
「私は日本から応援したり、皆さんにウクライナの情報を伝えたりといったことしかできず、つらい。街もなくなり、ウクライナの人たちも死んでしまい、希望がなくなってしまうが、皆さんの応援でウクライナに人たちの心も強くなっている。これは無駄なことではない。ウクライナは、私にとって大きな家族のようなもので、何とか気をつけて生き続けてほしい」

2022年3月7日

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