留萌沖はかつてニシン漁でにぎわい、いまも留萌市はニシンの卵の加工品「カズノコ」の生産量日本一を誇ります。留萌市のニシン漁の歴史とカズノコ造りを探ってみました。 (2022年12月放送)


留萌沖でのニシン漁の歴史
留萌沖にはかつて3月から6月の漁期に「群来(くき)」と呼ばれるニシンの大群がやってきました。ニシンを目当てにやって来る「やん衆」と呼ばれる出稼ぎ労働者で、街の人口が倍にもなったそうです。留萌沖のニシン漁は1840年頃に始まりました。明治期に入り市場が開放されて自由に営業ができるようになり、ピークの明治36年(1903年)には75万3000トンの水揚げを記録。その後は乱獲などの影響で漁獲高が減少し、昭和32年に留萌沖のニシン漁は終焉を迎えました。現在はニシンを留萌沖に戻すために稚魚の養殖や放流事業などの取り組みが行われています。平成11年には久しぶりの群来がみられるなど、徐々にその数は増えてきています。

佐賀家漁場について
留萌へ最初に出稼ぎに来た漁民の1人で、青森県の下風呂村で漁業や海運業を営んでいた「佐賀平之丞」という方が、現在の「佐賀家漁場」の場所にニシン漁場を開きました。以来佐賀家の留萌における根拠地として受け継がれ、113年間にわたってニシン漁を営んできました。母屋の中には当時の漁ろう用具などが保管されています。ニシン漁で隆盛を誇った様子を現在に伝える貴重な史跡です。

留萌のカズノコについて
水揚げされたニシンは、肥料である漁粕や保存食品の干しカズノコや身欠ニシンなどに加工され、北前船で本州へ出荷されました。ニシンが水揚げされなくなってからも加工技術を絶やすことなく品質を継承してきました。ニシンやカズノコを使った郷土料理も数多くあります。現在市内には7つの事業者がカズノコの加工生産を行い、令和3年の生産高は年間63万14937トン(塩カズノコと味付カズノコの合計実績)となっています。


編集後記


留萌市ではいたるところでカズノコのオブジェやキャラクターに出会います。市民のカズノコへの愛が感じられました。海産物の宝庫・留萌市ですが、実はおいしいお米の産地でもあります。「ゆめぴりか」や「ななつぼし」などのブランド米が栽培され、味は絶品。また、撮影場所となった黄金岬海浜公園は国内有数の夕日のビューポイントで、夏場はカニ釣りをする親子でにぎわっています。魅力あふれる留萌市に是非お越しください!
旭川放送局 高野陽平
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