1972 SAPPORO VR Project
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スペシャルインタビュー“伝説のプロデューサー”土屋氏が語るVR

土屋氏

札幌オリンピックが開催された1972年前後の写真から、VR映像で当時の札幌の街並みを再現する「1972 SAPPORO VR Project」。そのVR制作チームに加わっていただいている、民放の人気番組「電波少年シリーズ」などを手掛けた敏腕プロデューサー土屋敏男さん。北海道への思いや、VRの楽しみ方について聞きました!

厳しい時代だからこそ、“幸せな記憶”をもう一度


ー1972年、札幌オリンピックが開催されました。今年は東京オリンピックも予定されていますが、オリンピックの思い出や記憶はありますか?

土屋:1972年の札幌オリンピック当時、僕は札幌に住んでいませんでしたが、実は東京オリンピック(1964年)よりも印象深いです。だからきっと、札幌の皆さんは僕よりもっと鮮明に覚えていらっしゃるのではないでしょうか?テーマ曲が「虹と雪のバラード」でしたよね。そして何より思い出すのは、笠谷幸生さんのノルディックスキー70メートル級ジャンプ!NHK北出清五郎アナウンサーの“飛んだ!決まった!”の実況、今でも覚えていますよ。当時16歳でしたが、“笠谷ごっこ”を学校でやっていましたね(笑)

話がそれましたが、あの頃の日本は新型コロナウイルスや経済効果なんて関係なし。皆が心からスポーツの祭典に期待を寄せ、日本開催を純粋に誇らしく思えていた時代だったのではないかと思います。家族や友人、または知らない人同士も肩を組んで、スポーツに熱狂する。皆にとって幸せな記憶ですよね。今は日本を含め、世界中が厳しい状況ですが、だからこそあの幸せな記憶をもう一度思い出すことが大切だと感じます。“あんな時代もあったじゃない!”ってね。

今回「1972 SAPPORO VR Project」では、1970年代の札幌に皆がタイムスリップできるVR映像を作ろうとしています。ただ写真を見るだけではなく、自分が映像の中に立つことで、その時自分が持っていた感情をきっと思い出せると思います。1人でも多くの方に体験してもらいたいですね。


ーちなみに、札幌の思い出は何かありますか…?

土屋:何度も札幌にはお邪魔していますが、初めては大学時代かな。とにかく人が温かいという印象しかないです。そして札幌の人は、札幌という街を誰よりも大切に思っているということも感じます。今回皆さんから「1972 SAPPORO VR Project」に500枚以上の写真を投稿いただいて、改めてそれを確信しました。自分が住む街に誇りに持っていればいるほど、このVR映像は楽しんでいただけるものと思っているので、皆さんの心に深く刻まれる体験になってくれたらと願っています。


国境を越えて感動を生む “タイムマシン”



ー実は今回のプロジェクトの前に、「1964 TOKYO VR」も手掛けた土屋さん。これらのVR企画のきっかけは、ご自身が暮らす鎌倉を舞台に始められた企画「鎌倉今昔写真」だったそうですね。それぞれの企画を始められた経緯を教えてください。

土屋:鎌倉に住み始めてから、僕よりずっと昔から鎌倉に住んでいる皆さんから、色々なことを教えてもらいました。一緒に街を散歩すれば、「昔はここに○○があった」とか「この道は頼朝が歩いていたかも」とか(笑) 楽しそうに鎌倉の街について語ってくださいました。そして皆さんと触れ合ううちに、自分が住む街の今昔に思いをはせるのも、街の愛し方の1つなんだと感じるようになりました。
そこから着想を得て制作したのが、「鎌倉今昔写真」です。同じ場所の今昔写真を2枚並べて比較できるアプリをつくりました。

鎌倉今昔写真

それだけでも多くの方から感動したとの声をいただいたのですが、もし実際に昔の街を歩き回ることができたら、更なる感動が生まれるのでは…?という次なるアイデアも既に浮かんでいました。それで、メディアアート・広告・エンターテインメント・建築・都市開発まで手掛けるライゾマティクスの斎藤精一さんに「昔の写真から、当時の街並みを再現するVRってできませんかね?」と相談したんです。するとまさかの「できそう」という返事。せっかく作るなら、鎌倉を飛び出して東京を舞台にしようと意気込んで「1964 TOKYO VR」(※1)の制作を決意したという流れです。
でもいざ制作を始めると、困難の連続(笑)ここでは詳細は割愛しますが、ざっくり言うと、航空写真を立体化させ、そこに古い写真を貼り付けて制作しています。「VR」と聞くとどんな最新技術を駆使しているの?!と思われるかもしれませんが、結果的にはアナログな素材や技術を一つ一つ地道に組み合わせて、やっと完成にたどり着くことができました。「できそう」から「できた」まで、かなり時間がかかりましたね(笑)


ーアメリカ テキサス州オースティンで開催されたSXSW(サウスバイサウスウェスト)で「SXSW Arrow Awards - Best Exhibition Experience」を受賞するなど、話題になりましたよね。

土屋:先程お話した通り、テクノロジーとしては、実はそんなに驚くほどのことはありません。でも、国境を越えて多くの人の心を動かすことができたのだとしたら、それはタイトルがポイントだったのかなと思います。SXSWで体験会を開いた際につけたタイトルは「THE TIME MACHINE」。“タイムマシン”って誰もが知っている言葉だけれど、誰もが生きている間には完成はしないだろうと思っているものですよね。でも“こういう方法でならできるんだ!”という感動を与えられたのかなと思います。アインシュタインにも体験してもらいたかったなぁ(笑)
SXSWは最先端テクノロジーの祭典ですが、人の感情を揺さぶるためにテクノロジーが使われるというのは、とても嬉しいことですよね。

SXSW会場の様子

“人の心を動かすこと”を追い続ける


ー長らくテレビ業界で先頭走り続けてきた土屋さん。今はこうしてVRの世界でもご活躍されています。改めて、今後の映像メディアの可能性をどう考えていますか?

土屋:メディアの世界は、映画からテレビに、ラジオからテレビに移り変わってきましたが、いずれも本質は“エンターテインメント”であることに変わりないですよね。“人の心を動かすため”にあるものだと思います。これまでテレビという平面のモニターで視聴者に何かを届けようと各テレビ局は切磋琢磨してきたけれど、xR(「VR」「AR」「MR」などの総称)がでてきたことで制作できるコンテンツの幅は広がりました。
テレビは“この形がテレビ”と決めつけず、“人の心を動かすこと”を真っ直ぐ追いかけ続けることが大切だと思っています。「1964 TOKYO VR」や「1972 SAPPORO VR Project」も同じ気持ちで制作に加わっています。

ーいよいよ「1972 SAPPORO VR Project」のVR映像の完成が近づいてきました!今どんなお気持ちですか?

土屋:まずは、1970年代の札幌で青春を過ごした方々が、VRを体験してどんな表情をしてくれるだろうというのが何より楽しみです。「1964 TOKYO VR」で体験イベントを開催した時、忘れられない体験をしました。当時80代のご夫婦が体験してくれたのですが、映像を見始めてしばらくすると、VRゴーグルの下から一筋の涙が流れたんです。そして、『ずっと見ていたい』となかなかゴーグルを外そうとされませんでした。その様子を見て、作って良かったと心から思ったあの感動を、今でも鮮明に覚えています。当時東京で青春時代を過ごしたご夫婦が、また青春時代に帰ったような気持ちになって下さったように、1970年代の札幌で青春時代を過ごした皆さんにも同じ感覚を味わって頂けたら嬉しいですね。
そして、おじいちゃんやおばあちゃんが1970年代に青春時代を過ごしたというお子さんやお孫さんの世代にも、『テクノロジーってすごい!』、『テクノロジーってこう使うとカッコイイ!』と感じてもらえたら嬉しいです。どの世代の方も、それぞれの楽しみ方ができると思います。1人でも多くの方に体験して頂きたいですね。3月の完成を楽しみにしていてください!


土屋敏男
(日本テレビ放送網株式会社 R&Dラボ シニアクリエイター)

昭和31年9月30日静岡県静岡市生まれ(64歳)
1979年3月一橋大学社会学部卒。同年4月日本テレビ放送網入社。
「元気が出るテレビ」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!」などバラエティ番組を演出。
「電波少年」シリーズではTプロデューサー・T部長として出演し話題になる。
「第2日本テレビ」「明日の神話復活プロジェクト」「間寛平アースマラソン」など多数のプロジェクトを企画演出。LIFE VIDEO株式会社(元)代表取締役。
2017年萩本欽一のドキュメンタリー映画「We Love Television?」を監督。
一般社団法人1964TOKYO VR代表理事。
2019年夏、3Dスキャナを使った観客参加型ライブエンタテインメント「NO BORDER」企画演出。 2021年WOWOW「電波少年W」企画演出

土屋敏男さんプロフィール写真


(※1) 「一般社団法人1964 TOKYO VR」は、過去の写真から「記憶の中の街並み」を3DVRで再現するプロジェクトを推進するために、発起人であり代表理事の土屋敏男(日本テレビ)と齋藤精一(ライゾマティクス)、永田大輔(DISTANT DRUMS)の3名が理事となり設立された。