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7歳で被爆 隅川正義さん「核兵器廃絶の歩み注視する」

  • 2023年07月03日

7歳のときに被爆した隅川正義さん。5月のG7広島サミットを契機に核兵器廃絶に向けた歩みが進んでいくのか、注視したいと考えています。伝えたい思いを聞きました。

(NHK広島放送局記者 遠藤幸弘)

隅川正義さん(85歳)は、7歳のとき、爆心地からおよそ4キロ離れた、現在の広島市安佐南区で被爆しました。学校が休みだった隅川さんが、友人と自宅近くの民家に集まり、屋外で体操をしていたときでした。キノコ雲の様子を、鮮明に覚えているといいます。

隅川正義さん
見上げていたらちょうど真上ぐらいをB29が通るときになんかビラみたいなものが落ちてきた。ひらひらするものをなんか落としたなあというくらいで見ていたんですけどね。ぱっと光ってそのあともう真っ暗ですよ。それで地面に叩きつけられてもう気絶しとったんですよね。市内の方を見たらそれはもう巨大なキノコ雲がもう立ち上っとったですよね。キノコ雲の中間からバラバラバラバラ吹き上げられた木の破片とかトタンね。それがもうバラバラバラバラ落ちてくるのを見ましたね。もうそのきのこ雲の恐ろしさ。夕焼けみたいな真っ赤になったりね、真っ黒になったりね、紫色になったりね、キノコ雲の中からまた何かこれは絶対出てくるぞというような、ぐわーっと迫ってきましたからね。

隅川さんは近くの竹やぶに避難。いわゆる黒い雨も浴びましたが、大きなけがはありませんでした。戦後、隅川さんは高校を卒業し、繊維メーカーに就職。山口県岩国市に住んでいましたが、結婚後、転勤で妻の出身地である三原市に移り住みました。しかし、自身が被爆者であることを明かす気にはなかなかなれなかったといいます。

隅川正義さん
被爆体験ちゅうのはあまり思い出したくなかったのと、若干結婚する時も、被爆者であるということでだめになったこともありますしね。なかなか積極的に被爆証言とか、そういうのをしようかという気持ちにはならんかったですね。

隅川さんが被爆体験を初めて証言したのは定年退職後。被爆70年の年に発刊された三原市の「原爆被爆体験記」には、隅川さんや家族が見た被爆直後の広島の様子が記されています。

隅川正義さん
いろいろ語り部さんはおられたけどね、その人らがだんだん少のうなっていきょうるということで、これはもうそういう話せる年代としたら自分らが最後だろうという気持ちになってね。皆さんがね、これを読んでもらって、原爆ちゅうのはあってはならんもんだということを感じていただければいいなぁと。

以来、隅川さんは地域の集まりなどで被爆体験を語ってきました。しかし、80歳を過ぎてからは、白内障による視力の衰えなどから、かつてのような証言活動を続けることが難しくなっているといいます。こうしたなか、5月に広島で行われたG7サミット。隅川さんは、核兵器廃絶に向けた歩みが進んでいくのか、注視したいと考えています。

隅川正義さん
今回G7でね、各国の首脳に広島の資料館を見てもらってね、話も聞いてもらって。核兵器廃絶の種はもうまかれていると思うんですよ。今ね、それが芽を出し、育っていくかいうのは今からしっかり見ていかにゃいけん。
みなさんの核に対する思いがだんだん薄れてきていると感じています。絶対、原爆の悲惨さを忘れてはいけないという思いを書きました。これからも、訴え続けたいと思います。

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