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G7広島 愛する人は誰ですか 83歳で始めた英語の問いかけ

  • 2023年05月19日

「Who do you love?  What do you love?」
(あなたの愛する人は誰ですか、あなたの守りたいものはなんですか)
決して忘れられない家族の温かさと原爆の悲惨さ。 被爆者みずから英語で問いかけることばが海外から広島を訪れた人たちの心にも響いています。 

(広島放送局記者 北畑有紀乃)

広島の被爆者、八幡照子さん(85歳)の証言の一節です。

「They were covered in dust and the skin that was peeling off their arms and dangling from their fingertips resembled old tattered rags」
(全身が灰に覆われ、腕からはがれた皮がぼろきれのように指先からぶら下がった大勢の人を見た)

4月27日にもアメリカから観光で訪れた6人に語りました。締めくくりにはいつも、八幡さんが大切にしていることばで問いかけます。

「Who do you love? What do you love?」
(あなたの愛する人は誰ですか、あなたの守りたいものはなんですか)

証言を聞いたアメリカの男性
「あなたの考えを聞かせてくれてありがとうございます。あなたの使者として今日の話をアメリカで伝えていきます」

八幡さんが証言を始めたのは、75歳の時。英語を学び始めたのは83歳の時です。
多いときで月に17回と、精力的に証言を続ける原点は、あの日に感じた家族の絆でした。

空全体が巨大な蛍光灯に

八幡照子さん
「私は8歳で広島市の己斐町で被爆しました。当時は遅い朝ごはんを食べて、警戒警報が解除になったかどうかよく分からなかったので、何気なく裏庭にひょっと降りて下駄を履いて降りたときですね。そう、空がピカーって。空全体が巨大な蛍光灯になったような感じ。不気味な光でしたね。あの一瞬のびゃあって感じは今も話すと背中がぞくっとします。
学校でいつも練習していたように、目と鼻と耳を塞いで地面に伏せようとしたとこまでは分かるんだけど、それから意識がない。もうろうとした意識の中でね、母の叫び声で気がついた。『みんなここに集まりなさい』って母が叫ぶんです。そしたらガンガン頭が痛くて、気がついてあたりを見たらもうもうとした土煙。私、裏庭にいたのに廊下と8畳の間を超えて玄関にうずくまっていたんです」

家族みんな一緒

八幡さんの家族写真

八幡照子さん
「家族みんなが飛ばされているんだけど、もうとにかく母の声を頼りに前が見えないぐらいだけど集まったんです。第2第3の爆弾が来るって思うでしょう、原子爆弾って知らないから。来たら助からない。母が掛け布団を引きずり出してね。『みんなで死のう、みんな一緒よ』ってお布団で包んでくれたんです、ものすごく悲壮な声で。
あの時ね、おばあちゃんもいた、父もいた。父はね、単身赴任で満州にいたんだけど、たまたま出張で帰ってたの。兄弟もいて。母が『みんなで死ぬ』って言った時に、私は子どもだったけど、家族の温かさや絆、家族みんな一緒っていう思いが今も忘れられない。
みんなガラスで頭や足と怪我して。私は6メートルくらい庭から吹き飛ばされたから頭をどこかの家具でぶつけたんでしょう。ちょうど頭の生え際に穴が開いてね、血がとっても出た。父がみんなの応急手当てをしてくれて、私たちは助かりました。」

きっかけは地球一周の航海

八幡照子さん
「被爆体験を伝えたいという思いはありましたが、初めて証言をしたのは10年前でした。被爆者に地球1周証言の航海の募集があって。そのために証言の原稿を作って、ポーランドやエルサルバドル、それに船内でも日本語で証言して、現地の通訳さんが英語だったり、スペイン語だったりで通訳してくださった。その時に、日本語でここまで読んだら通訳さんが翻訳して話す、ここまで読んだら通訳さん、っていう風にして、約束どおりの原稿を読むでしょう。何となく朗読みたいになっちゃって。
原爆のあのとてつもない破壊力とかね、それからもう叫び声とか、うめき声とか。皮が剥けて赤身が出たり、幽霊のようにして歩く姿。原爆の悲惨な、子どもたちが亡くなってしまう悲しみがどれくらい伝わっているかしらって思いがあって。自分の声や言葉で伝えたいな、英語でできたらなって、漠然とその時思ったんです。
その船に広島長崎に原爆を落とした爆撃機の乗員だった祖父を持つアリくん(アリ・ビーザーさん)が乗ってきたんですが、何となくおどおどしていた。被爆者がどういう態度をするか、原爆を落とした側だからどういう態度で接するか、みたいな雰囲気を持っていたんです。
何の責任もないお孫さんなんだけど、歴史的な運命を背負っているでしょう。私たちも被爆の体験をしている。向こうは原爆を落とした国だけれども、日本も戦争を引き起こした国だし、終結は原爆だったけど、政府も終戦を長引かせた。だけどお互いにそういうことがあっても、次の世代、私たちの世代は前を向いて本当に平和を求めていかなきゃいけないって話し合ったのを覚えています」

絶対やる、やろう

英語を勉強する八幡さん

八幡照子さん
「4年前に広島市の委嘱を受けて、日本語で証言していたんですけれども、英会話教室の先生が証言の原稿を翻訳してくださったんです。これで夢が目標に変わった。絶対これはやる、やろうと思って。
先生のテープを聞きながら何度も何度も文章を読んでイントネーションを勉強して覚えたの。もう本当に暗記、全部覚えました。私は今こう言っている、この気持ちを言っている、というのがだんだん分かってきて、まだまだ先生の発音とかイントネーションには近づけないけど、自分の言葉になった」

思いは通じている

証言を聞いたアメリカの観光客と記念撮影

八幡照子さん
「私しか分からない原爆の怖さとか悲しみを日本語で話すように、英語でも表現したい。でもあまり感情を入れすぎると、劇のようになってしまうので、その辺が難しいです。原爆が落ちた当時の慌てふためいたところを、母がみんなで死のうといった時の思いとかを一生懸命伝えようとしています。
英語で証言すると、ありがとうって。英語で聞けるなんて思わなかったとかね、言ってくださって。聞いている外国人の中には、急に立って、部屋の後ろで泣き出される方もいたり、目頭を押さえてね、泣かれる方もいらっしゃって、私の思いは通じているんだわって気がしますね。英語でね、外国の人に英語で伝えるということはより多くの人に理解してもらえるなっていうふうに思いましたね。
私たちはこの日、広い地球に生まれ合わせてね、100年しか生きないこの時代の中で同じ100年を生きていますよね。国や言葉は異なっても同じ時代を生きていますよね。遠くから広島の地へみえて、やはり広島の原爆を知ろうとしてくださる方々に会うときは、地球はかつての広島のように破壊されないようにっていう共通の願いで何かビビッと結ばれるような思いがしますね」

あなたの愛する人は誰ですか

八幡照子さん
「テレビでウクライナ侵攻を見ると、ビルが真っ黒に焼け焦げている。焼け焦げたにおいがしてきますよね。死体が転がっていたら、あの夏の死体が腐敗する匂いが蘇ってきますよね。
外国に行って思うんだけれども、本当にどこにでも日が昇り、日が沈むんですよ。世界のどこにいてもかけがえのない命がある。家族があり、命があり、だからそういう中で核兵器が使われるという事はとても耐えられない。だから問いかけますね、みんなに。
『Who do you love? What do you love?』
(あなたの愛する人は誰ですか、あなたの守りたいものはなんですか)
だから訴え続ける、私の命のある限り。今、生きている私のできることです」

G7各国首脳と被爆者の面会を調整中

19日に開幕するG7広島サミット。
八幡さんは「原子爆弾の残酷さ、核兵器を持っちゃいけない、無くさなければならないということを共有してもらいたい」と話していました。
G7広島サミットでは、各国の首脳らが原爆資料館を視察し、被爆者との面会の機会を設ける方向で調整が続いています。

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