ページの本文へ

ひろしまWEB特集

  1. NHK広島
  2. ひろしまWEB特集
  3. マーシャル諸島と広島 思いをつなぐ

マーシャル諸島と広島 思いをつなぐ

  • 2023年05月17日

冷戦期アメリカの核実験が67回繰り返された太平洋の島国・マーシャル諸島。G7広島サミットを前に「核兵器の脅威を訴えたい」と広島にやってきたエヴェレン・レレボウさん。母親がアメリカの核実験による死の灰で被ばくしました。核兵器廃絶のために広島とのつながりを強めようと取り組むレレボウさんを取材しました。

(NHK広島放送局ディレクター 長岡伶奈)

母親の被ばく体験を伝える

マーシャル諸島からきた、エヴェレン・レレボウさん。政府機関に所属し、核実験の被害ついて教育普及活動を行ってきました。被爆地・広島で開かれるサミットを前に、NGOなどの招きを受け、講演会に登壇。伝えたのは、母親が幼かった頃の被ばく体験です。

エヴェレン・レレボウさん
「水爆ブラボーの実験があったのは、母親の8歳の誕生日です。私の母を含めた被ばく者たちの話では、大きな爆発音が聞こえたそうです。その直後に真っ暗になりました。どんなに怖かったか想像してください」

母親が暮らしていた、マーシャル諸島・ロンゲラップ環礁。1954年に行われた水爆実験では放射性物質を含む「死の灰」が降り注ぎ、島民の多くが、激しい下痢や脱毛などの急性症状に襲われました。
一度は島を離れた住民たちにアメリカ原子力委員会は「汚染は、居住に問題はない程度だ」と帰島を促します。しかし、健康への不安を募らせた住民はふるさとを離れることを決意します。

エヴェレン・レレボウさん
「私の母は甲状腺がんと診断されました。母は死ぬまでがんの薬を飲んでいました。それだけでなく、母は女性にとってつらい経験もしました。7回も流産したのです。母の意思を受け継ぎ、いつの日か核を廃絶させることができればいいと思っています」

原爆資料館を訪問

原爆資料館を訪問するレレボウさん

広島の原爆被害の実態を学びつながりを深めたいと感じていたレレボウさん。この日は原爆資料館を訪問しました。

とりわけ引きつけられたのは被爆したきょうだいの写真。

被爆したきょうだいの写真を見るレレボウさん

エヴェレン・レレボウさん
「このきょうだいはマーシャル諸島の子どもたちとたくさんの共通点がありました。彼らは同じく髪の毛が抜ける症状が出ていました。とても、とても悲しいです」

同じ苦しみを経験したからこそ手を取り合えるのではないか。レレボウさんは「広島の被爆者の話を聞きたい」と考えていました。

切明千枝子さんとの対談

切明千枝子さんの自宅で対談

この日訪れたのは、15歳の時に被爆した切明千枝子さんの自宅。核兵器について学ぶ大学生たちの案内でした。実際に核兵器が人間に対して使われたときに何が起きるのか、広島で起きた残酷な現実に、耳をかたむけました。

切明千枝子さん

「『水を飲ましちゃいかん、心臓がショックを起こすぞ!』って言われて。ただね、飲ませてあげるのも地獄、飲ませてあげないのも地獄。で、私はね、どうせ助からない命ならね、せめて水くらいね、飲みたいだけ飲ませてあげたかったなと、それで後悔が残る。でもこっそり先生に隠れて飲ませた同級生もいたんですよ。その子は、私が水を飲ませてしまったから死んだんじゃないかなと思って悩む。もう、アンタッチャブル。触れることができない。そういうのが何年も続きましたね」

エヴェレン・レレボウさん

「私に話してくださってありがとうございます。心配しないでください。ここに若い人たちがいますから、私たちがあなたの話を受け継いで伝えていきます。そうですよね?ここで止まることはありません」

切明千枝子さん

「伝えてください。で、もう二度とね、そういうことがあっちゃいけないので。平和にね。みんな仲良く元気にね。手を取り合って生きていきましょう。うれしいです」

切明さんと握手するレレボウさん

レレボウさんは、マーシャル諸島に帰ってから広島の被害も伝え、特に若い世代に核兵器の恐ろしさについて理解を深めてもらいたいと考えています。

エヴェレン・レレボウさん
「私たちは望まずに恐ろしいことを経験したというつながりがあります。本当にお互いに共有していくべきだと思います。次世代や今の私たちの世代に危険な被害が及ばないようにしたい」

レレボウさんは今後、広島の原爆資料館の展示を参考に、マーシャル諸島の核被害について伝える博物館を作りたいと考えているということです。

  • 長岡伶奈

    NHK広島放送局ディレクター

    長岡伶奈

    民放を経て2022年12月入局 福祉関係を継続取材するほか、 サミットを担当

ページトップに戻る