G7広島サミット 被爆者からのメッセージ 星野哲司さん
- 2023年04月25日
尾道市の因島に住む星野哲司さんは、5歳の時、爆心地から3キロのいまの広島市西区で家族とともに被爆しました。星野さんと家族は助かりましたが、自宅の玄関前で星野さんを待っていた同級生はやけどを負い、1か月後に亡くなりました。戦後、移り住んだ福山市の小学校で「ピカがうつる」などと心ない言葉を浴びせられ、被爆したことを積極的に話さなくなりました。
考えが変わったのは40代のころ。中学校の教師をしていたとき、慢性肝炎で9か月入院し、死を覚悟しました。「友だちを原爆で亡くして自分だけが生き、そしてまた肝臓を患って生かされた」。教壇に戻った星野さんは、毎年8月6日に開かれる学校の平和集会で生徒を前に体験を語るようになりました。その後も、依頼があればほかの学校や地域の集まりなどで証言してきました。
地球上の最後の被爆者となるまで被爆体験を語り続けたいという星野さんから、首脳たちへのメッセージです。
『核のない平和について考えることは 広島だからこそできる!!』
星野哲司さん(82)
「世界で最初の戦争被爆国なので、当時の悲惨な状況を首脳たちに知ってもらい、特に原爆資料館を見学し、原爆ドームを見て、認識してもらえればありがたいと思います。核兵器の恐ろしさがどのようなものか、核が無意味なものであるかを知ってもらいたい。だから非常に大事な会議だと思います」
(年齢は取材当時です)