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オバマ元大統領の広島訪問から6年 抱擁交わした森重昭さんは今

  • 2022年06月02日

2016年(平成28年)5月27日、アメリカのオバマ元大統領が、現職の大統領として初めて広島を訪問し、平和公園で被爆者と向き合いました。核なき世界の実現に向けたメッセージを発信してから6年ですが、ロシアによるウクライナ侵攻など、核兵器の廃絶に向けては厳しい状況が続いています。あの日、現場に立ち会い、抱擁を交わした被爆者はどんな思いを抱えているのか、お話を聞きました。

(広島放送局 鈴木俊太郎、出山知樹、児林大介)

オバマ元大統領との抱擁で「人生が変わった」

森重昭さん(85)は、2016年5月、被爆者の代表として、アメリカのオバマ元大統領と向き合いました。

森重昭さん
「あの日を境にして、私の人生はガラッと変わった。もう一生忘れることのない、すばらしいことでした」

幼少期の森重昭さん(撮影:1943年 [昭和18年] )

8歳の時に、今の広島市西区で被爆した森さん。戦後、仕事のかたわら、被爆の実態を調べる中で、広島の原爆で犠牲になったアメリカ兵の捕虜の存在を知りました。「被爆の悲惨さに国境はない」。森さんは、国内外に残された資料から、12人の名前を割り出し、広島の原爆資料館や追悼施設に登録する活動を、50年近くにわたって続けてきました。

こうした活動が評価され、森さんは、2016年5月の式典にアメリカ側から招待を受けました。アメリカのオバマ元大統領も、スピーチの中で、その活動に触れました。

アメリカ オバマ大統領(当時)
「この地で亡くなったアメリカ人たちの家族を探し出した男性がいた。なぜなら、男性は、自分の喪失と彼らの喪失は等しいと信じていたからです」

森重昭さん
「『気持ちはお互いに通じ合った』と、その時思いました。つらかった記憶が全部吹っ飛んでしまって、『やってよかった』と思いました。それを今でも思い出します」

ロシアの核兵器使用示唆に "核の恐ろしさ 伝え続けなければ"

森さんは、今も被爆して亡くなったアメリカ兵の遺族と交流を続けているのに加えて、国内外を訪れ、講演会で核兵器の廃絶を訴え続けています。

原爆資料館で講演(2022年4月)

しかし、今、世界は森さんの思いとは真逆の状況に陥っています。ウクライナに侵攻したロシアが核兵器の使用の可能性を示唆したのです。

悲しい別れもありました。森さんと共にオバマ元大統領と向き合った被爆者の坪井直さんが、96歳で亡くなったのです。「力が続く限り、核兵器の恐ろしさを伝え続けなければいけない」。森さんは、決意を新たにしています。

坪井直さん(左)と森重昭さん(撮影:2016年9月)

森重昭さん
「このまま黙ってしまったら後世に何も残すことができない。僕は核廃絶に対して坪井さんほどの能力はないけど、彼の志は分かっておりますので。少しでも核の恐ろしさをお話させてもらったらとは思っています」

被爆米兵が乗っていた爆撃機の墜落地に記念館

森さんの活動に共感し、被爆の悲惨さを知らせようとする動きも広がっています。武永昌憲さん(70)は、山口県柳井市で、記念館をオープンさせようと準備を進めています。実は、原爆投下の9日前、柳井市にアメリカの爆撃機が墜落。捕虜として広島に移送された乗組員6人が被爆し、命を落としました。アメリカ兵の情報を集めようと、この場所に通い続けてきた森さんに武永さんも同行。乗組員がパラシュートで降り立った場所を特定しました。

武永昌憲さん
「森さんと一緒に目撃証言とかいろいろ聞きまして、赤い点でそれぞれの落下地点の印をつけていった」

墜落した爆撃機の破片

周辺の住民からも、爆撃機の破片など、新たな資料を集め、伝えていこうとしています。

武永さんは、体調が許せば森さんにも記念館に来てもらい、若い世代の人たちに話をしてほしいと考えています。

武永昌憲さん
「森さんの話を、この時期だからこそもう一度かみしめる必要があるんじゃないかと思います。痛みとかを想像することはできるので、そういう意味でも、若い方にはよく勉強してほしいと思います」

G7サミット 広島開催で「被爆者の話をたくさん聞いて」

このほど、広島でのG7サミット(=主要7か国首脳会議)開催が決定。広島に、再びアメリカの現職大統領が訪れる見通しとなりました。今、森さんが伝えたい思いを聞いてみると…。

森重昭さん
「被爆者の話をたくさん聞いてください。首脳の皆様にお願いします。広島は平和を論ずるには一番適した土地ですから、平和に対する発信を、ぜひ、広島から世界中に出してほしいと強く思います」

取材を終えて

森さんは常々、「形に残すことが必要」ということを話していますので、山口県柳井市の記念館は、そういう位置づけの1つになりそうです。さらに、森さんは、自身の被爆体験や、これまでに行った調査研究を論文にまとめたいという話もしていました。85歳を過ぎてもなお、平和のために調べたり、発信したりしたいというエネルギーには驚かされますし、私たちもしっかり取材をして、伝え続けないといけないと改めて感じました。

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