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広島を視察したウクライナ大統領”核の脅威ない世界”を訴えた

  • 2022年04月06日

2005年にウクライナ大統領が広島市の原爆資料館を視察に訪れていました。大統領は「核の脅威のない世界をつくるために日本国民と連帯しています」とメッセージを残しました。そのとき、大統領を案内した元館長は、核兵器の使用すらちらつかせるロシアに対して強い口調で語ります。「世界の人類への脅し」だと。

(広島放送局 記者 諸田絢香)

ウクライナ大統領を案内

1997年から9年間、広島市の原爆資料館の館長を務めた畑口實さん。母親の胎内で被爆した「胎内被爆者」でもあります。1945年8月6日。父の二郎さんは広島駅近くの広島鉄道局で被爆しました。原爆投下から4日後、帰ってこない父を捜しに行った母が被爆。そのおなかの中にいたのが畑口さんでした。母が焼け跡で見つけたのは、父が身につけていた懐中時計とベルトのバックルでした。

畑口さん
「父が私のことを知らずに死んだのが悔やまれます。生まれながらにして父がいないことでアメリカを憎んだこともあります」

広島市の職員になった畑口さん。原爆資料館の館長に任命されてからは、世界各国の要人を案内してきました。その1人が2005年当時ウクライナ大統領だったユーシェンコ氏です。ユーシェンコ氏は、史上最悪の原発事故を起こしたチョルノービリ原発のあるウクライナの大統領として、核の被害に対する思いを共有したいとして、就任から半年後に広島県を訪れました。

予定時刻を過ぎても見学

2005年 当時のウクライナ大統領 ユーシェンコ氏

畑口さんの案内で原爆資料館を見学したユーシェンコ氏。原爆投下後の広島の街を再現したパノラマ模型をじっと見つめ、きのこ雲の下で一瞬のうちに命を奪われた人々の苦しみに思いを巡らせていたといいます。また、放射線が身体に与える影響について畑口さんが説明すると、事故を起こしたチョルノービリ原発のある国の大統領として聞き入り、当初の予定時刻を過ぎても見学を続けるほど、熱心に展示を見て回ったということです。

畑口さん
「大統領は、放射線が体にどんな影響があるのかということを非常に気にされていました。目に見えない放射線の影響、それを一番広島で知りたかったような感じでした」

原爆資料館の見学を終えたユーシェンコ氏は、「文明のもっとも恐ろしい大惨事を心に刻みます。平和を守るためにあらゆる努力をして将来あのような悲劇を阻止することが我々の義務です。核の脅威のない世界をつくるために日本国民と連帯しています」とメッセージを残しました。

原爆ドームも案内

見学を終えたユーシェンコ氏は、畑口さんに、引き続き原爆ドームを案内してほしいと依頼しました。一行は、大統領専用の車に畑口さんを乗せ、原爆ドームに向かいました。原爆ドームでユーシェンコ氏は、何枚も写真を撮影していたということです。

畑口さん
「原爆資料館では廃虚の町をパノラマや写真で見て感じ取ったと思いますがここは被害のありさまがそのまま残されている。原爆がさく裂して、人々が逃げる間もなく亡くなったことをあわせて想像されたのではないかと思う。いろいろな国家元首が来るが熱心さが印象深い人の1人」

核での威嚇は人類に対する脅し

畑口さんは、館長を退任したいまも、原爆資料館の展示を案内するボランティアをしたり、自分の体験を語ったりして、核兵器のない世界のために活動を続けています。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、そしてプーチン大統領が核兵器の使用の可能性をちらつかせていることについて強い憤りを感じています。

畑口さん
「あちこちで起こる虐殺や破壊された街、避難する国民を見ると悲しい。なぜ何もしていない国民が被害を受けて逃げ惑わなくてはいけないのか。一刻も早く侵略をやめてもらいたい。核を使用したらどうなるかということはみんな分かっていると思う。世界の核保有大国のロシアが使用をちらつかせること自体、地球人類を脅す以外の何ものでもないし、非常に憤りを感じる」

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