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被爆者の高齢化が進み、記憶の継承がますます大きな課題となるなか、「被爆者たちの声」と題して、被爆者のインタビューをお伝えします。

第46回 末政サダ子さん

11歳の時に被爆した末政サダ子さん。体にガラスが刺さって大けがをした母親を救うために、必死で看病にあたりました。末政さんは、その際に取ったある行動と、79年がたって向き合いました。

第45回 信重英昭さん

3歳のときに被爆した信重英昭さん。幼かったため当時の記憶は全くないといいますが、被爆者が高齢化していく中、自分が語り部として活動していかなければという使命感を感じています。

第44回 波田スエ子さん

原爆によって家族5人を奪われた波田スエ子さん。両親は手がかりすらなく、当時8歳だった波田さんは、必ず生きて迎えに来てくれると信じて待ち続けました。原爆孤児として戦後を生きた波田さんの思いを聞きました。

第43回 伊藤正雄さん

4歳のときに被爆した伊藤正雄さん。原爆を落としたアメリカを憎んでいましたが、「憎しみから平和は訪れない」と考えるようになりました。未来に託す思いについて、話を聞きました。

第42回 中尾一弘さん

8歳の時に被爆した中尾一弘さん。被爆後に目の当たりにした悲惨な光景を忘れることができず、長年自身の体験はほとんど語ってきませんでした。被爆者が少なくなる中、少しずつ語り始めた中尾さんの思いとは。

第41回 上田桂子さん

上田桂子さんは、16歳の時に爆心地から約1.5キロで被爆。弁当を持たせて見送ってくれた母の行方はいまも分かっていません。母を捜し出せなかった後悔を抱え続ける上田さんの思いを聞きました。

第40回 隅川正義さん

7歳の時に被爆した隅川正義さん。G7広島サミットを契機に核兵器廃絶に向けた歩みが進んでいくのか注視したいと話します。

第39回 渡邊静枝さん

母親のおなかにいるときに原爆の被害にあった渡邊静枝さん。被爆70年の年には、仲間とともに胎内被爆者の手記を編さん。会うことのかなわなかった父への思いや核兵器廃絶への訴えをつづりました。

第38回 半田孝江さん

三次市に住む半田孝江さん(97)は、19歳の時、看護師として働いていた広島第二陸軍病院本院で被爆しました。爆心地から約1キロ。生死の境をさまよう大けがを負い、被爆の影響への不安を抱えてきた半田さんにいま思うことを聞きました。

第37回 植野克彦さん

高知市の植野克彦さんは、みずからも大やけどを負い、父、姉、兄を亡くしました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻からまもなく1年となるなか、伝えたい思いを聞きました。

第36回 切明千枝子さん

高等女学校の生徒だった15歳の時に被爆した切明千枝子さんは、次々と亡くなった下級生たちを思いながら悲惨な体験を語り継ぐ活動を続けています。

第35回 友近純子さん

7歳の時に入市被爆した友近純子さん。目に見えない放射線の影響で、大切な人を相次いで亡くしました。次の世代に伝えたいこととは。

第34回 豊永恵三郎さん

長年、海外に住む在外被爆者の支援に取り組むとともに、全国から広島を訪れる修学旅行生に自身の被爆体験を語り続けてきました。

第33回 星野哲司さん

5歳の時に被爆した星野哲司さん。被爆したことを積極的に語らなかった時期もありましたが、82歳になった今も、被爆の記憶を伝えようと精力的に活動を続けています。

第32回 梶川道子さん

鳥取県原爆被害者の会の会長を務める梶川道子さん(93)。90歳を過ぎて、これまで公にしてこなかった入市被爆の体験を語り始めました。

第31回 佐久間邦彦さん

核兵器のない世界に向けて精力的に活動する佐久間邦彦さん。本格的に活動を始めたのはいまから15年ほど前。そこに至るまでにはう余曲折がありました。

第30回 尾崎稔さん

爆心地から1.2キロの場所で被爆した尾崎稔さん。90歳になった今も、原爆で失った家族、仲間、ふるさとの絵を描き、原爆資料館に寄贈し続けています。

第29回 箕牧智之さん

20年近く国内外に平和を訴え続けている箕牧智之さん。被爆77年となることし、改めて核兵器廃絶に向けた決意を聞きました。

第28回 近藤康子さん

近藤康子さん(80)。以前は被爆体験を心の隅にしまい、思い出すことを避けていたといいます。いまは、残された自分の役割を果たしたいと積極的に語っています。

第27回 岡田恵美子さん

岡田恵美子さん(享年84)。国内外で被爆体験を証言し、核兵器の廃絶を訴え続けてきました。2021年4月に亡くなる直前まで平和を実現するための活動をしていた岡田さんが残したメッセージに迫ります。

第26回 加藤文子さん

加藤文子さん(91)。高齢となり、証言活動を行うことがだんだん難しくなってきました。いま、あることをきっかけに残された力を振り絞り、再び活動を始めようとしています。

第25回 井東茂夫さん

井東茂夫さん(90)の2つ年上の姉・ユキさんは、原爆によって命を奪われました。当時17歳。爆心地から2キロあまりの自宅にいたとき爆風で鏡が割れ、その破片が胸に刺さりました。そのとき、ユキさんが抱いていた赤い布を大切に守ってきた井東さん。遺品となった赤い布が、未来を奪われたユキさんの無念さを訴えています。

第24回 増野幸子さん

増野幸子さん(90)は、原爆が投下された時、15歳。広島電鉄の運転士として働いていました。ある被爆者の孫の女性が、増野さんの体験をもとに電子漫画を描き、インターネット上で無料で公開されています。増野さんに、いま伝えたいことを聞きました。

第23回 木村緋紗子さん

仙台市に住む木村さん(83)。 原爆の熱線を浴び苦しんで亡くなった祖父の絵を広島市の高校生に描いてもらうことにしました。 若い世代と一緒になって被爆の記憶を伝えようとしています。

第22回 藤岡辰彦さん

藤岡辰彦さん(87)。爆心地からおよそ80キロ離れた庄原市でも学校が臨時の病院になり大勢の被爆者が運ばれてきました。決して忘れられないという当時の光景や若い世代に伝えたいことについて聞きました。

第21回 岡純児さん

岡純児さん(74)は原爆が投下された時、母親のお腹の中で被爆した「胎内被爆者」です。 「最も若い被爆者」と言われる胎内被爆者の中には体の不調を訴える人も少なくありません。 入退院を繰り返す岡さんにこれまでの苦悩と発効が迫る核兵器禁止条約への期待について聞きました。

第20回 北川建次さん

広島大学名誉教授の北川建次さん(85)。 まちづくりの研究者として、戦後、広島の復興に携わってきました。 大学を退職したあとは、自らの被爆体験を語ってきましたが、高齢のため、その活動をやめる決断をしました。 その胸のうちに迫りました。

第19回 松本滋恵さん

3歳で被爆した松本滋恵さん(78)。 定年後、大学で原爆文学を学び自らの被爆の記憶を多くの被爆者の体験と結びつけ語り継ぐ活動をしています。

第18回 森田隆さん

広島で被爆し、その後ブラジルに移住した森田隆さん(96)。 長年、海外の被爆者への支援を訴えてきました。 核兵器禁止条約の発効が迫る中、伝えたいことを聞きました。

第17回 亀井好一さん

広島で被爆し、その後松山市で菓子メーカーをおこした亀井好一さん(83)。 若くして亡くなった兄の無念を語り継いでいます。

第16回 中村澄子さん

三原市の被爆者団体の会長を務め、海外でも証言を行ってきた中村澄子さん(86)。 核兵器禁止条約発効への道筋が見える中、伝えたいことを聞きました。

第15回 伏原美子さん

解散した被爆者団体の会員だった伏原美子さん(91)。 心のよりどころを失い活動が難しくなる中、伝えたいことを聞きました。

第14回 河野キヨ美さん

犠牲になった若者たちの姿を絵に描き伝えてきた河野キヨ美さん(89)。 被爆当時の自分と同じ年代の若者に伝えたいことを聞きました。

第13回 土屋圭示さん

岡山県笠岡市の土屋圭示さん(92)。 目の当たりにした“惨状”を絵に残し証言を続けてきました。 次の世代に伝えたいことを聞きました。

第12回 田邊雅章さん

原爆ドームのすぐ隣に住んでいた田邊雅章さん(82)。 被爆前後の爆心地を知る被爆者として、伝えたいことを聞きました。

第11回 折出眞喜男さん

山口県周南市の折出眞喜男さん(88)。 原爆が投下される様子を目撃しました。 いまも鮮明に記憶するその一部始終と未来へのメッセージを聞きました。

第10回 原田浩さん

被爆建物の保存など、平和運動に最前線で携わり続けています。

第9回 浦田昌則さん

被爆直後に鳥取に移り住んだ浦田昌則さん(88)。 偏見や差別、そして孤独に苦しんできました。 いま、若い世代に自らの経験を語り継いでいます。

第8回 梶矢文昭さん

長年、被爆体験を伝える活動を続け、来年に延期された東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれている梶矢さん。いま伝えたいことを聞きました。

第7回 佐々木尉文さん

お好み焼きのソースを生産しているメーカーの会長で、食の面から広島の復興を支えてきた佐々木さん。いま伝えたいメッセージを聞きました。

第6回 山下三郎さん

被爆者で元廿日市市長の山下さん。被爆経験を持つ数少ない市長として国内外で原爆の惨状を語り、核兵器廃絶と平和の実現を訴えてきました。その山下さんに、いま伝えたいことを聞きました。

第5回 川本省三さん

原爆で家族6人を亡くし孤児となり、自身も被爆した川本さん。出会う人に折り鶴を手渡しながら、被爆後の広島で孤児たちがどう生きてきたのかを証言し続けてきました。その思いを聞きました。

第4回 李鐘根さん

在日韓国人2世の李鐘根さん。80歳を超えてから語り始めた被爆体験、そして核兵器廃絶への思いを聞きました。

第3回 笠岡貞江さん

原爆で両親を亡くし、国内外を飛び回り、その壮絶な被爆体験の証言を続けてた笠岡さん。被爆75年の節目に何を伝えようとしているか、被爆後の半生とともに尋ねました。

第2回 兒玉光雄さん

爆心地からおよそ780メートルの至近距離で被爆した兒玉さん。長年、原爆の放射線による後遺症と戦いながら証言活動を続けてきた覚悟に迫ります。

第1回 坪井直さん

長年、核兵器廃絶運動の先頭に立ってきた坪井さん。75年の節目をどう迎えようとしているか聞きました。