令和3年度 文化庁芸術祭参加作品

原爆の日 ラジオ特集

「被爆オリンピアンが遺(のこ)したメッセージ」

再放送日

前編:
11月23日(火・祝)午前8時05分~8時55分
後編:
11月23日(火・祝)午前9時05分~9時55分
 全国放送

立場の異なる国・人々の対立や分断など、コロナ禍で様々な問題が浮き彫りになってきました。
そのさなかに行われる東京オリンピック・パラリンピック。
「平和の祭典」と言われるオリンピックを通して、私たちは分断を超えることができるのか?
そして「スポーツの力」とは?
閉会式の翌日に放送する番組では、被爆オリンピアン・髙田静雄の生涯をドラマでたどりながら、ゲストとともにスポーツの持つ力について考え、分断を超えるためのヒントを探ります。

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ゲストは、オリンピックのマラソンで2大会連続メダルを獲得した有森裕子さんと、アメリカ出身の日本文学者でコメンテーターとして活躍するロバート・キャンベルさん。

有森裕子さん

ロバート・キャンベルさん

ラジオドラマでタイムスリップ。当時の髙田静雄さんと対面する新聞記者を、連続テレビ小説「おかえりモネ」に出演中の森田望智さん。
髙田静雄さんを谷原章介さんが演じます。

森田望智さん

谷原章介さん

被爆オリンピアン 髙田静雄さんについて

1936年、砲丸投げの選手として日本人初のオリンピック出場。引退後、出身地の広島で被爆した。原爆によって長女を失い、自身も原爆の後障害で身体の自由を奪われた。乗り越えがたい苦しみから立ち上がろうと、彼はオリンピックをきっかけに始めた「カメラ」で写真を撮り続けた。躍動する選手だけでなく、外国人にもレンズを向けた。そこには、彼が伝えたかった平和へのメッセージが込められていた。
髙田静雄さん

髙田静雄ヒストリー

1909年、広島市の精肉業を営む家の長男として生まれた髙田静雄さん。小さい頃から体が大きかった髙田さんは周囲のすすめもあり15歳で砲丸投げを始めた。わずか3年で日本王者となった髙田さんは日本人初の砲丸投げのオリンピアンとして1936年のベルリン五輪に出場。結果は予選敗退だったが、多くの外国人と交流を持ち、帰国後も文通を続けるほど親密になった。

ベルリン五輪の翌年、競技を引退した髙田さん。
会社に勤めながら、後輩の指導や五輪がきっかけで始めた趣味のカメラで家族を撮影するなどして過ごしていた。そんな髙田さんを原爆が襲った。中学生の長女も失った。自身も肩と足にケガを負った。髙田さんから全てを奪った、その相手はオリンピックで交流を深めた人々が暮らす国だった。
娘を失ったショックから9年ものあいだカメラを握ることができなかった髙田さん。立ち直るきっかけとなったのが、文通を続けていた外国人からの手紙だった。

写真を再開した髙田さんは、戦後の復興の象徴として陸上競技を撮り始めた。物資も行き渡り、食べるものにも困らない。女性もスポーツを楽しむことができる。そんな写真の中に髙田さんの思いを象徴する1枚がある。
「スポーツマンシップ」という作品だ。髙田さんは「肩を貸す心、借りる心」という支え合うことの大切さに気づいた。

髙田さんがある日、娘の名前が記された名簿がある慰霊碑を訪れると、手を合わせるアメリカ人夫婦と出会った。その姿を見て「人が悪いのではなく、戦争が悪い」と思った髙田さんはアメリカ人夫婦に右足を一歩踏み出すポーズを取ってもらった。そこには「戦争は終わった。これからは一緒に前へ進もう」という髙田さんの決意が込められていた。

出演者からのメッセージ

ラジオドラマで新聞記者を演じた 森田望智さん

小学生の時に初めて広島へ行きました。
それ以来の広島、再び同じ場所を訪れました。
平和公園、資料館、原爆ドーム…私が生まれるずっと前から、同じ場所で何十年も佇み、何もかも見てきたのだなと思うと、その姿に込み上げるものがありました。
そして今回、髙田静雄さんの展示会へ伺いました。
展示された写真の鮮明さ、そこに映る光景は今この瞬間に目の前で広がっているような錯覚に陥り、今日この日まで時間が紡がれていく感覚に触れました。
その感覚を、このラジオドラマを通してお届けできればと思います。

ラジオドラマで髙田静雄さんを演じた 谷原章介さん

髙田さんを演じさせていただいて、改めてスポーツの力、思いの強さを感じました。波乱の時期を乗り越えた髙田さんの人生。戦争も原爆も、髙田さんのスポーツへの情熱を止めることはできませんでした。
ぜひ、想像しながらお楽しみください。
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