シュン

2020年11月16日(月)

「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の中学1年生・新井俊一郎さんの日記原文(1945年11月16日~20日)

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もし75年前にSNSがあったら、当時の人はどんなことをつぶやいていたでしょう?

NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)に書かれた日記をもとに、75年前の人の暮らしや気持ちをTwitterで発信中です。
https://twitter.com/nhk_1945shun
「シュン」のツイートは、新井俊一郎さん(当時13歳)が書いた日記にもとづいて作成しています。現代の広島の10代が新井さんの日記を読み、その味わいを大事にしつつ、若者の感性を加味し、想像を膨らませて書いています。
ここでは、ツイートのもとにしている日記の原文を掲載します。現在では適切でない表現などを含む場合もありますが、当時の社会状況を伝えるため、原文のまま掲載します。また、プライバシーにかかわる部分などは日記から除いています。

 

11月16日(金) 晴 大家とのかうせう
 目がさめた。茶の間の四畳半にギウギウつまって寝た。ここに今までゐた大家の人は、隣家に行って寝たらしい。大体この出汐町の家は、ちゃんと我々の住んでゐた家で、ここに籍があり、大家は我々の不在の所に、カギのかかってゐた所をこじ開けて侵入して来たのである。家宅侵入罪である。実に無礼である。
 それであるのに、我々に出て行ってくれなんて、まるっきり反対である。それで今日、大家の祖父と父とが外交を開始した。
 荷物の置いてあったのが腐ったので、出して乾かした。タンスが大変だ。父と大家との外交(?)では遂に成功して、茶の間(四畳半)と玄関の間(二畳)とを使用して、大家の一家(十数人)は奥の居間に入れることに決着した。
 茶の間に入る用意をする。調査すると、地下足袋が一足なくなってゐた。白い配給米を炊いて食べる。美味しい。十時、寝る。

※日記を書いたご本人が後年つけた注釈:【狭い破屋で大家との同居生活が…】

11月17日(土) 曇雨 住居整頓、タキツケ整理
 今日は、父が昨日、大家との外交で出来た条約(?)によって、朝から大家の小父さんが居間に床板を釘で打ち付け、水に濡れなかった畳を敷いて、お婆さんの荷物が茶の間にあったのを、そこに全部移転させた。それでやっと、家の荷物や我々の住む所がだいぶ広くなってゐる。
 僕は本棚を整頓して、二つあった所の本棚を一つに減らした。一つの本棚の下は、ネズミの糞が一杯あったので閉口した。
 今朝はとても寒い。ローカに出てゐた置きゴタツを出して来て、土の付いてゐるのを布切で落とした。さっそく火を入れて弟と二人であたる。
 今日、タンスを玄関の間に入れる。四人で大騒ぎをして入れる。引出が仲々入らないので大困りをした。庭にあったタキツケを、木箱のあった跡に積み上げる仕事をする。大変少量になったものだ、山ほどあったのに。

11月18日(日) 誕生日
 万歳、今日は僕の誕生日である。思へば僕は、今日で満十四歳になったわけである。明日は僕は、皆の合宿してゐる原村の教順寺に行くつもりである。今日は、その準備で大騒ぎである。おまけにまだ家の中は片付いてはゐずに、ガラクタは散らかってゐるし、大変な事である。
 今日、玄関の戸に、父の学校から持って帰へった紙を貼りつけた。風はあるし、紙は厚いし、困った。大家の爺さんは庭の戸を直してゐる。
 それがすんでから家の中に入って、持って行く荷物を片付ける。食糧は厳重に入物に入れて置く。夕方、母は、さかんにテンプラを作ってゐられる。荷物は、だいたい片付いた。
 夕食。天ぷらのおかずがあった。僕の誕生日であるので、その為である。

11月19日(月) 晴 「原村、教順寺へ」
 今日は教順寺に行く予定の日である。朝飯には、母がこせらへてくれた赤飯を食べた。天ぷらの残りを食べた。とてもうまい。大急ぎで用意をして、ガソリンカーに間に合ふやうに出発する。
 丁度ガソリンカーが来たので乗って行く。大阪行は、とてもすいてゐた。出発。八本松まで長い時間をかけて、やっと着く。リュックを背負ってテクテクと歩く。途中で弁当を食べる。
 教順寺には生徒は、あまりゐない。皆はゴルフ場に行って働いてゐるさうである。田中先生に挨拶をして役場に転入届をする。三木先生に母が挨拶してゐる。
 役場から出て来ると、母が帰へりさうにしてゐた。大急ぎで別れの挨拶をして母と別れる。母が畑の中を帰へって行くのを遠くから見送る。
 荷物の整理をする。皆がゴルフ場から帰へって来た。珍しがる。夕食はオカユ。

※日記を書いたご本人が後年つけた注釈:【原村で級友たちと合流、再会】

11月20日(火) 晴 ゴルフ場で作業(タキツケ運び)早じまひ
 今朝は少し早く目がさめすぎたので、仕方なく、日記のたまってゐたのを、寝たまま書く。少し早いと思ったが毛布をたたんで起きる。夕べは夏の布団を着て、その上に毛布をかけただけなので、少し寒いと感じた。今日、先生に二枚毛布を借りやうと思った。朝食は、僕には少し多いと思ふぐらいであった。
 弁当を出して、ゲートルをつけて外へ出る。ゴルフ場へ向ふ。集合し注意を聞き、薪運びに出発。四辺往復した。昼食。弁当に一杯、飯が入ってゐる。仲々食べきれない。みかんを一個五十銭で売ってゐる。一個久保君にもらふ。午後は一辺で中止して、教順寺に帰へる。本を見せてもらふ。先生に毛布二枚、軍隊用のを借りる。