シュン

2020年09月04日(金)

「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の中学1年生・新井俊一郎さんの日記原文(1945年9月5日~11日)

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もし75年前にSNSがあったら、当時の人はどんなことをつぶやいていたでしょう?

NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)に書かれた日記をもとに、75年前の人の暮らしや気持ちをTwitterで発信中です。
https://twitter.com/nhk_1945shun
「シュン」のツイートは、新井俊一郎さん(当時13歳)が1945年に書いた日記に加え、ご本人の手記やインタビュー取材などにもとづいて作成しています。
ここでは、ツイートのもとにしている日記の原文を掲載します。現在では適切でない表現を含む場合がありますが、当時の社会状況を伝える歴史資料として原文のまま掲載します。また、プライバシーにかかわる個人名等は日記から除いて掲載します。

 

9月5日(水) 晴
 夕べ、とても体がかゆかったので、今朝は、とても朝寝坊をした。起きた時にはもう、皆不在。母と父、弟だけである。大急ぎで朝食をすます。
 伯母さんが、干してあるムシロを入れるのに大騒ぎであるので、自分も手伝って見る。ぐるぐる固めて縛る。それを二階の蚕室に入れた。だいぶ力が要った。蚕に桑をやる仕事を伯母さんに手伝ふ。

9月7日(金)
 朝から、登るためリュックサックを用意したり、服を着替へたりして大騒ぎをする。
(母の実家)に着く。みな畠に出てゐる。また厄介になりに来ましたよ。

9月8日(土)
 今日は節句であるので、家ではオマンジュウを作った。砂糖があったので、アンコは甘いアンにして下さった。母が手伝って作る。とても多く出来て、アレを全部、一人で、と思ふと………。
 全員、少しづついただく。とても甘く、美味である。セイロウの中でマンジュウのふける匂ひがする。父ちゃんが、僕たちと一緒に上れば、饅頭が食べられるのに、と思った。
 アメの配給がある。一人五つであるが、自分たちには配給はないが、三つ、いただいた。

9月9日(日)
 今日、ホカー・ハリケーンが撃墜されつつある所のエンピツ画を書いた。自分ながら、仲々立派に書けたと思ふ。皆なが、僕は画伯になればいい、と言ふ。やれやれ、そんなに巧いかなあ。饅頭をいただく。
 昼頃、熊谷の叔母さんの家の叔父さんが来られた。我にはまだ初めてである。八月十四日の熊谷爆撃のため焼けるか、と思ったが焼けなかったさうである。実に運がいい。
 夕方、漫画を書く。夕食に、いただいた餅米の赤飯をいただいた。 

9月10日(月) 曇
 まだ、このあひだ作った饅頭をいただく。よくこそ甘いアンコの饅頭が出来たと思はれるぐらいであった。倉に行って、また本があるかどうかを調べて見る。ところが、トランクの中に一杯に本が入ってゐるのを見て驚いた。その中には、大部分は自分には分からない本であったが、婦人倶楽部が、二十冊ぐらいあった。これをさっそく持ち帰へって読んで見る。
 たうもろこしが出来たので、お祖母さんに焼いていただく。とても甘味があり美味である。

9月11日(火)
 今日、軍人が帰へって来られたといふ話をしたので驚いた。
 レコードをかける。手でレコードを回し、ハリを上に乗せる。僕の発明した特殊発音機を試したところが、立派に音が聞こえたのには一驚した。皆が驚いて飛んで来た。
 「トラ」が子供を産んだ。かはいい子猫が「ミャーミャー」鳴いてかはいらしい。
 夕方、母は頭痛。