シュン

2020年06月12日(金)

75年前の日記の原文(広島の中学1年生 新井俊一郎さん)。ご本人の生の言葉です。1945年6月6~12日

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もし75年前にSNSがあったら、当時の人はどんなことをつぶやいていたでしょう?

NHK広島放送局では、終戦の年(1945年)に書かれた日記をもとに、75年前の人の暮らしや気持ちをTwitterで発信中です。
https://twitter.com/nhk_1945shun
「シュン」のツイートは、新井俊一郎さん(当時13歳)が書いた日記などにもとづいて作成しています。
ここでは、ツイートのもとにしている日記の原文を掲載します。現在では適切でない表現などを含む場合もありますが、当時の社会状況を伝えるため、原文のまま掲載します。

 

6月6日(水) 【記述なし】

6月7日(木) 【記述なし】

6月8日(金) 【記述なし】

6月9日(土) 晴
 明後日は、いよいよ試験である。本日、大掃除あり。帰宅前に先生の注意により服装検査あり。学校のキマリに外れた者は前に出さされた。僕は全部良かったので出なくてすんだ。
 それの終了後、作業の特配あり。「米」であった。長い時間がかかった。のち、紙や鉛筆の配給。そしてそれが済んでから家へ帰へった。五時過ぎであった。

6月10日(日) 晴
 本日は休校日である。それで明日に迫った試験のため大馬力を出さう。自分の力の及ぶ限り、うんと勉強して良き成果を挙げなければならない。私たちが附中に入学してより第一番目の考査である。落第点などは取らぬと言って頑張ってゐる。実際、一番初めより落第点などを取っては、父母や先生に合はす顔がない。うんと頑張らう、力のかぎり。持田君が来る。

6月11日(月) 晴
 遂に試験の日になった。動員に出たりするも、この中間考査が一学期の点になるさうである。朝は、いつもより十数分早く家を出た。一限は地歴……フン族征伐、ヨーロッパ中心地への移動など。二限は、数学Ⅰ……少し難しい。第三問が難しかった。七十五点くらいか。
 三限、生物……ナズナの数と松の花の相違。ヒマとタウモロコシの研究など。終了後、三限で帰宅。さあ、明日も!

6月12日(火) 雨
 本日は中間考査の最終日なり。大いに張り切って試験に臨む。動員になった時は、この試験成績が一学期の点になるとの事。我々は、附属中学校入学の最初より不良点を取るの不名誉を得ては如何にしやう。我々が何か待遠しいやうな心配な気持で待ってゐたる中間考査は、本日が最終日である。
 自分は自分の力の限り、精一杯に戦ったつもりである。いかなる点を取りても、これは今の自分の学力である。もし悪い点を取りても、今よりもっともっと頑張りて、取り返さなければならぬの決心をなほ一層強固たらしめたり。
 終了後、明日の吉島飛行場動員のことにつき、教官殿より注意あり。しかる後前回の牛田での作業・疎開作業の動員のための増配の米が配給になり、紙と鉛筆の配給も一緒にあった。明日の健闘のため休養す。