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2020年04月03日(金)

今日までのシュン(1945年10月)

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広島高等師範学校附属中学校(現在の広島大学附属中学校)1年生のシュンちゃん。
戦争中は授業もままならない中、「日本の食糧増産に貢献するため」ということで農作業を手伝う「農村出動(疎開)」を命じられました。1945年7月20日から、先生やクラスメイトと一緒に広島市を離れ、原村(現在の広島県東広島市)で合宿生活をスタート。農作業に汗を流す毎日を送っていました。

「一生懸命農作業を頑張った」とういうことで、シュンちゃんは8月6日に広島の自宅に帰省する許可をもらいました。
8月6日朝、原村から広島市内に向かう途中の八本松駅(爆心地から約20km)で原爆投下に遭遇します。
汽車が動かなくなるなか、歩いて広島市内に向かいましたが、その道中に原爆の被害を数々目撃しました。
 
やっとの思いで家にたどりついたシュンちゃん。家族は大けがをしながらも無事でした。
しかし、焼け野原になった広島で生活を続けるのは難しい…。
そう考えたシュンちゃん一家は、8月18日から両親の故郷である埼玉県の秩父に移り住むことにします。
秩父では母親の実家と父親の実家を行き来しながら、たくさんの親族と共同生活を送ることに。
8月15日を境に、社会や価値観が徐々に変わっていくなか、シュンちゃんの戦後が始まりました。