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ドイツの精神科医と安楽死計画 第2回 ナチズムがめざした人種改良

2018年02月07日(水)

ドイツの精神科医と安楽死計画 第2回

イツの精神科医と安楽死計画
第2回 ナチズムがめざした人種改良
▼民族衛生学の根幹を支えた精神医学 ▼安楽死の必要性を訴える精神医学者ホッヘ
▼歴史的事実に向き合う動きが
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回

 


Webライターの木下です。

民族衛生学の根幹を支えた精神医学


なぜ当時の精神科医たちの中には、医師の身でありながら積極的に患者を殺害する計画を推進する者たちがいたのでしょうか。ナチスの安楽死計画を研究する専門家たちが理由として上げるのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて欧米社会で隆盛だった「社会進化論」や「優生学」などの影響です。

イギリスの社会思想家のハーバート・スペンサーは、「優秀なものが生き残り、劣等なものが滅びる“適者生存”の法則にのっとって、社会はつねに進化を続ける」という社会進化理論を唱え、個人や集団の生存競争は自然の摂理であるとしました。そしてその理論をより具体化したのが、「優生学」です。イギリスの人類学者のフランシス・ゴルトンが唱えたもので、遺伝的価値の高い者を増やし、遺伝的価値の低い者を減らすことで、社会を改善できるとしました。家畜の品種改良のように人種の改良も可能だとする考え方です。

優生学は、20世紀初頭の欧米社会で広く受け入れられた思想で、アメリカやドイツを中心に多くの国で行政施策に反映されていきます。この優生学の考え方を医療、保健、福祉、人口政策、国民経済などの多くの分野で共有し、国家政策として具体化していくための学問を、ドイツでは民族衛生学と名付けました。

この民族衛生学の実践には医師の力は欠かせませんでした。とくに重要な柱のひとつとされたのが精神医学でした。当時のドイツの精神科医の多くは、精神障害を、内部的な遺伝の影響により脳に何らかの変質が起きたものと考えていました。当時は、遺伝の科学的な仕組みはまったくわかっていませんでしたから、遺伝病かどうかを確かめようがありませんでしたが、精神障害は劣った遺伝的価値によるものとみなされていました。さらにアルコール依存症のように後天的なライフスタイルから生じる精神障害までもが、遺伝が原因とされました。精神科医たちは、障害のある患者の家系を丹念に調べて、そこに因果関係を見出そうとしていました。

ナチスは1933年に政権の座に就くと、すぐに「遺伝病子孫予防法」、いわゆる断種法を成立させて、障害者や病者など40万人の強制断種を行いました。そこにも精神科医は深くかかわり、カイザー・ヴィルヘルム精神医学研究所の遺伝部門の責任者であったエルンスト・リュディンは断種処置の必要性を訴えました。

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健康政策の基準となる遺伝的価値
アルスタードルフ治療介護施設で作成された遺伝健康ファイル。収容者の血統を3000枚以上記載した。自分たちが異常と認めるものはすべて記載している。これらは強制断種を決定する資料となった。

※写真およびキャプションは、「ナチ時代の患者と障害者たち」移動展覧会より

 

ヒトラーの中止命令の後にも続いた大量殺戮

安楽死の必要性を訴える精神医学者ホッヘ


障害者の隔離や断種にとどまらず、後の大量殺害にまで発展していくのには、優生学だけではなく、さらに「安楽死」という考え方が必要とされました。ナチス政権が誕生する13年前の1920年、精神科医のアルフレート・ホッヘは、法学者のカール・ビンディングとの共著で、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』という著作を発表しています。この本の中で、ホッヘは重度の精神障害者のことを「空っぽの人間容器」「精神的に死せる者」「欠陥人間」「お荷物連中」などと見下し、「生きるに値しない命」と決めつけています。

「国家有機体とは、喩えて言えば、閉じた人体のような全体であって、我々医師なら知っているように、そこでは全体の安穏のために用済みになったか、有害であるような部分や断片は放棄され、切り捨てられるのである」
「ひょっとしたら、いつの日か次のような見解の機が熟するかもしれない。すなわち、精神的に完全に死せる者の排除は決して犯罪でもなければ、不道徳行為でも、感情を逆なでする暴挙でもなく、むしろ許された有益な行動なのだという見解である」

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アルフレート・ホッヘの著作
『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』の翻訳書。安楽死を正当化する書として知られています。



ホッヘは30年以上、フライブルグ大学教授として精神医学と神経病理学を論じていた高名な学者で、当時の精神医学が患者の治療よりも、社会防衛的な意識を優先していたことがうかがえます。ホッヘの著作が直接ナチスに影響したのかは明らかにされていません。しかし、「安楽死」という言葉は、障害者を苦痛から解放し、家族や社会の負担を軽くするという名目で使われ、障害者の殺害を正当化するために流通し、ヒトラーの殺害命令書にも反映されました。


 

歴史的事実に向き合う動きが


障害者の大量殺戮に関しては、ヒトラーの野望の実現に精神科医たちが力を貸しただけではなく、精神科医たちが望んでいたことを、ヒトラー率いるナチスの手を借りて、実行に移した側面もあったことが、現在さまざまな歴史的資料から明らかにされています。

2010年、ドイツの精神医学精神医療神経学会のフランク・シュナイダー会長はドイツ精神医学界の闇と言われる、この重い歴史的事実と向き合う決意をします。当時の犠牲者を追悼するとともに、過去の精神科医たちの過ちを認め、また戦後その事実から目を背け、隠蔽し続けたことを国民に謝罪しました。さらに医学者自らの手で事実を調査し、明らかにすることを誓いました。

第3回は、フランク・シュナイダー会長が、精神医学精神医療神経学会の総会で行った追悼式典での謝罪表明の内容について紹介します。




木下 真 


参照:『ナチスもうひとつの大罪』『精神医学とナチズム』『精神医学の歴史』(すべて小俣和一郎)、『生きるに値しない命とは誰のことか』(カール・ビンディング/アルフレート・ホッヘ共著、森下直貴/佐野誠訳著)、『ナチ・コネクション』(ジュテファン・キュール著 麻生九美訳)、『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(ヒュー・G・ギャラファー著 長瀬修訳)、『恐ろしい医師たち』(ティル・バスチアン著 山本啓一訳)

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