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「精神科病院と身体拘束」カキコミ板ウオッチ 第3回 患者ではなく人間として

2017年09月14日(木)

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神科病院の身体拘束」カキコミ板ウオッチ
第3回 患者ではなく人間として

患者本位の運営がなされているのか 病院職員が患者に寄り添っていない
身体拘束を減らすには 患者も納得できる治療を
第1回 第2回 第3回

 


Webライターの木下です。

患者本位の運営がなされているのか


第2回のブログでは、身体拘束は「体の拘束」だけではなく、「心の拘束」でもあるというカキコミのご意見をご紹介しました。そのような批判的なご意見を読んでいくと、批判の矛先は身体拘束に留まらず、病院全体における医師の診療へのかかわり方、看護師の患者への接し方にまで及んでいきます。

「ネットで当事者と交流して思うのは、病院によって差が大きい、ということです。酷いところはとことん酷く、安定したケアをしているところはどこまでも行き届いている。そんな印象をもっています」(東京都/20代/当事者)

 
上記のカキコミの通り、すべての病院に問題があるわけではないと思われますが、「いい加減な病院ほど、自分たちの都合で身体拘束をやりたがる」というカキコミもありました。


病院職員が患者に寄り添っていない

 
  ○患者の呼びかけや訴えを無視

「看護師等スタッフは鍵のかかったナースステーションに籠りっきりで、食事と薬の時間以外はほとんど出てきません。頭痛などで頓服薬をもらう時はナースステーションの鍵のかかった窓をノックするのですが、『何!?』と嫌な顔で言われ、頭痛薬が欲しいと言うと、薬を投げるように渡し、ピシャっと窓を閉められます。社会の底辺の人間として扱われていると実感しました」(大阪府/30代/うつ病患者)

「隔離室にポータブルトイレはありましたが、看護師は『両手を拘束されているような人にはトイレは使わせません!』と言い、大便も小便もオムツにすることを強要されました。気持ち悪くてオムツ交換をしてほしくて、『看護師さーん、看護師さーん』と何度呼んでも誰も来てくれませんでした」(東京都/50代/当事者)

身体拘束の患者さんが多い病院ほど、あるべきナースコールがなく、患者さんが放置されている傾向があります。ナースコールがないから大声をあげる方も多いし、呼んでもこないから暴れる方もおり、病棟自体が騒々しく、とても精神疾患の治療に適した環境が提供されているとは思えませんでした」(埼玉県/40代/当事者の夫)

 

  ○高圧的・威圧的な態度

「両手と胴の拘束中は、特に看護師から人間扱いどころか動物扱いもされませんでした。食事の時は、右手だけ解除され、スプーンを持たされました。食が進まないと看護師がイラついて山盛りのご飯を口に押し込んできました。苦しくて、やっとのことで飲み込みました。『ちゃんと食べなければ、両足と両肩も拘束されるよ!』と凄まれました」(東京都/50代/当事者)

「『あなたたちは問題を起こさなければ良い』と必要以上に患者に厳しく当たり、いつもキツイ顔で睨んで、必要以上に威厳をもって医療従事者さんが歩いていました。患者さんは、皆、怯えていました。患者の心や感情や考える力を無にして良いのでしょうか?」(長野県/40代/患者本人)

 
  ○病院側の都合が優先

「閉鎖病棟へ入院した際は、何かあるとよく話も聞かず、流れ作業のごとく注射で抑制されました暴れてもいないのに、人手が足りないこと等を理由に保護室で隔離されたこともありました。その際には隔離したきり、柵越しに定時巡回に来る程度で心のケアは全くなく、食事も看護師がダンボールの箱の上にポンと乗せてすぐに去っていきます」(北海道/20代/当事者)


  ○本人の同意を無視

「病院のロッカーを整理した時、拘束の同意書が、奥の方に押し込まれたように、何枚も出てきた。もちろん、本人のサインなんて書いてなく、病院関係者のサインのみだ」(東京都/50代/当事者の子ども)


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患者の人権を無視するような職員の態度や閉鎖病棟の非人間的な環境が、身体拘束をより過酷なものに感じさせているようです。「入院すると精神疾患が悪化する」「物のように扱われる」というカキコミも大げさには思えなくなります。

一方、カキコミ板には、現場の医療関係者からも意見が寄せられています。「医療職が楽をしたいから拘束をしていると思われるのはあまりにも心外」「実際に暴れ回る人がいたときに、拘束なしで、どうやってその場を安全・平和に保つのでしょうか」「身体拘束が悪いのではなく、適切な使用かどうかの問題」「ほかの方法があるなら、教えてほしいのは私たちです」などの反論もありました。

しかし、そのようなカキコミも身体拘束を全面的に肯定しているわけではなく、患者の心の負担を軽くするために「できるだけ、一分でも短くしてあげたい」「やらずに済むのなら、やりたくはない」「医療従事者が努力していることもわかってほしい」という思いが書き加えてあります。一方、身体拘束を否定する当事者のカキコミの中にも、患者や職員の安全を守るための身体拘束までも、全面否定するようなカキコミはほとんどありませんでした。

病院側と患者側の意見は対立しているように見えますが、改善案や代替案を求めている気持ちは共通しています。両者が対話を重ねることで、改善のヒントが見つかっていくのかもしれません。カキコミの中から、いくつかの提言をご紹介します。


身体拘束を減らすには

  

「身体拘束以外の方法を持っていないことが問題なのだと思います。(治療法は他にもあるはずです)。止むを得ず身体拘束したとしても、何時間以内に別の方法に切り替えるというルール作りが必要だと思います。精神障害者の権利擁護についても深く考えることが必要です」(兵庫県/50代)

「たくさんの方に知って頂きたいのは、身体拘束は法律に基づいて自身や他者の生命や安全を守るために行われるものであること、そして医療者は毎日、身体拘束を解除できないかを評価しているということです。スタッフ同士で拘束をしてみて患者さんの気持ちを考えたりもします。身体拘束は状況に応じて、法律に基づいて止むを得ず行われるもので、患者さんと医療者をぎりぎりのところで守る行為でもあると思うのです。そして医療者はそこに“慣れ”があってはいけないと思います」(精神医療従事者)

「以前勤務していた精神科病院では、保護室を使いはしても、拘束なしでの医療を原則としていて、例外は30年の勤務の中でもごく数える程だった。そしてその前提は、開放医療だった。ただし、そのためには患者さんを人間と見て、関わりを持ち続ける医療(治療、看護、ソーシャルワークなど)が必要で、手間暇がかかった。個人個人に合わせた医療が必要になった。そして、時として従事者が受傷する失敗も冒していた。それでも、拘束しない医療は可能だったし、現在も引き継がれている」(京都府 / 50代 / 医療従事者)


当事者や家族からも「こうしてほしい」という意見が多く寄せられました。 

「入院して身体拘束されたことは、めったにないような体験なので、忘れられないような記憶となってしまうようなこともあります。でも、その後、医師や看護師など、周りの人とゆっくりと関わりながら治療を続けて行くうちに、その傷が徐々に癒えていくこともあります」(当事者)

「身体拘束がほとんど行われていない病院の先生ですが、『普段から患者さんには何もかも隠さずに見せるようにしている』とのことで、実際にもそのように実践されていらっしゃいました。つまりそう普段から心がけていることがその病院では無駄な身体拘束をなくせている要因につながっているのではと考えます。私は身体拘束が看護師不足や経営上の事由といった病院側の都合で行われることの是非について議論する前に、まずどのような理由でもきちんとカルテなどへ記録を残し、患者や家族にも隠さず正直に説明し、伝えることを病院側はやるべきではないかと思います」(埼玉県/40代/当事者の夫)

「身体拘束の医療行為そのものを私は否定しません。ただ、身体拘束の最小化委員会をしっかりと機能させていただきたいと思います。私が信頼するスタッフたちは、それをしっかりとやってくださっています」(東京都/30代/当事者の夫)

「病棟のスタッフの皆さまが悩んでいることは知っています。でも、できる限り『身体拘束』の『影響』を最小化できる努力はできませんか?拘束をされることが辛いのは、誰にでも想像がつくと思います。せめて心が落ち着く音楽を流してあげるとか、アロマテラピーを試してみるとか、できることはたくさんあるはずです」(埼玉県/40代/当事者の夫)

「私は身体拘束が是か非かということについて答えを持ちません。ただ精神疾患を抱えた人(私もです)は、ただでさえ生きてきた背景が複雑なのに、その多数の患者さんたちを限られた医療関係者のみで対応するというスタイル自体が、すでに限界に来ていると思います。精神科医療のみを問題にするのではなく、社会のあり方、経済問題、人権意識、教育等もっと広い視点から物事を考えてもらいたいと思います」(長野県/30代/当事者)

 

患者も納得できる治療を


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2年前に精神障害の当事者が集まる東京のイベントで、北海道の「浦河べてるの家」という精神障害者の活動拠点で暮らす患者の一人が、「障害以外は健常者です」と自己紹介して、会場の人々から大きな拍手を浴びていました。精神障害は人格の一部として現れるだけで、それ以外は非障害者の人と何ら変わらないことを訴えたかったのだと思います。

今回の当事者のみなさんのカキコミから見えてくるのは、まさにそのような「患者とだけ見ないでほしい、人間として見てほしい」という心の叫びに思えます。患者さんたちが求めているのは、もっと素朴な人間らしいかかわりなのではないでしょうか。最後にそのような触れ合いについて記したカキコミを2件ご紹介して、終わりにします。

「生きる希望を失い、4日間何も食べず飲まずを行い、主治医に反発しました。その結果、持続点滴になりました。餓死して死のうと思っていました。だけど、そんな中でも看護師さんたちは必死に関わってくださるんです。1時間おきにお部屋回りに来てくださる看護師さんたちの本当に私のことを考えてくださっている想いが、とても伝わってきました。何も食べない私に、ジュースやゼリーを持ってきてくださったり、服薬を拒む私に1時間かけて説得してくださったり、受持ちの看護師さんではなくても夜勤の人の少ない時間にお話しを聞いてくださったり…。私は本当に救われました」(兵庫県/20代/当事者)

「あんなに拘束されたことを恨んでいたし、辛かったけど、退院する時にはあの鬼のような形相だった男性看護師さんが、まるで別人のように私の手を握りしめ、涙をあふれさせたことは、今でも忘れません。ドクター及び看護師さんも、したくて、している行為では決してありませんよね。これから先、拘束がなくなり、患者も納得が得られる治療が受けられる態勢を整えて頂きたく思います」(福井県/40代/当事者)



木下 真

▼関連ブログ記事
 「精神科病院の身体拘束」カキコミ板ウオッチ(全3回)
  第1回 身体拘束の法的根拠

  第2回 「医療側と患者側との認識のずれ
  第3回 患者ではなく人間として
 
▼関連番組
 2017年9月7日放送 WEB連動企画"チエノバ"「精神科病院の“身体拘束”を考える」(Eテレ)

▼みなさまから寄せられたカキコミはこちらから
 
精神科病院での「身体拘束」について、みなさんのお考えや体験談などお寄せ下さい

コメント

母が一昨年前、不安神経症で精神病棟に入院し、
ほぼ常に拘束され、そして最終的に朝ごはんを吐き戻し誤嚥性肺炎で亡くなりました。
拘束に一時性・非代替性・切迫性があったのか、今病院と民事訴訟中です。

投稿:まか 2018年02月10日(土曜日) 21時25分

昨日のハートネット見ました。私は精神科病院に入院した事がないが精神科には通っている。改めて社会の精神障害への冷たさがわかり今日の朝になっても悲しかった。 心のない人には看護婦になってほしくない。

投稿:かりな 2017年12月13日(水曜日) 11時08分

身体拘束はひどく患者の心を傷つけます。お見舞いに行った方が拘束状態で死んだ方がましと語られてたのを思い出します。その方は足が不自由なかたで理知的でもあった方です。かなりの高齢ではありました。どういう事情でその方が拘束されてるのか本当に理解できませんでした。病院の人手不足としかおもえませんでした。その病院は殆どが高齢者でその方の所属する老人ホームとかかわりがあるようでした。

投稿:空水光 2017年12月12日(火曜日) 20時43分

母が脳梗塞で脳神経外科に入院してました。精神科だけでなく、病院全体の問題の気がします。

投稿:ビアンカ 2017年09月15日(金曜日) 19時55分