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知的障害者の施設をめぐって 第8回 終生保護のための大規模施設コロニー

2017年02月16日(木)

 

Webライターの木下です。
第8回は大規模施設コロニーについてです。



日本独自のコロニー建設をめざす

 

日本で障害者を終生保護する大規模施設のコロニー(共同生活の村)が具体的に検討されるようになったのは、1965年(昭和40)に厚生大臣の私的諮問機関として、学識経験者17人からなる「心身障害者の村(コロニー)懇談会」が設置されてからでした。そのような流れがつくられたのは、支援者や親たちの粘り強い訴えによります。医療的な依存度の高い重症児者は、「支える医療」が未整備の状態では、地域での自立生活を送るのはきわめて困難です。そこで医療だけではなく、生活に関するさまざまな営みをカバーし、生涯にわたって安定した生活が送れるような総合的な施設が求められました。

障害者が暮らす村、コロニーの歴史は古く、欧米では19世紀末には、すでに千人を超える規模のコロニーが建設されていました。日本の施設のほとんどが自立生活の指導訓練のための100人にも満たない小規模な施設だったのに対して、コロニーは敷地内に、住宅、病院、学校、商店、農場、作業所などを備えた小さな町であり、終生保護を想定した大規模なものでした。一方、日本は、大規模施設どころか、終生保護を目的とする施設そのものが存在しませんでした。それだけに親亡き後の子どもの生活に不安をもつ重症児者の親たちは、欧米のコロニーにあこがれを抱いていました。

しかし、欧米のコロニーは、障害者が一生安心して暮らせる居場所を確保する目的がある反面、障害者を一般社会から隔離収容するという負の側面ももっていました。この「保護」と「隔離」という二面性は、施設福祉の関係者の間でつねに論議となる問題です。とくにコロニーは「終生保護」を目的とするので、隔離の意図がなかった場合でも、結果として一般社会から隔絶した生活に陥ることが予想されます。日本でコロニー建設が検討されることになった1960年代、世界ではコロニー政策は人権の観点からすでに否定される傾向にありました。そして、施設は小規模化にすべきであり、できれば施設よりも地域で暮らすのが理想であるという考え方が広がっていました。

日本のコロニー懇談会の委員たちも、そのような欧米の施設福祉の潮流は知っていました。そのために懇談会では、重症児者の親たちの終生保護を求める声に応えながらも、もう一方で障害者が一般社会から隔離されないように慎重に話し合いを進め、欧米の模倣ではなく、日本独自のコロニー建設をめざしました。


生活共同体である大規模コロニー


1966年(昭和41)、厚生省は、コロニー懇談会の基本方針に基づいて国立心身障害者コロニーの具体的な設置計画を作成しました。趣旨は以下の通りです。

この国立心身障害者コロニーは、心身に障害のあるものが、生活の拠点として「全人格的な生活」を営む地域社会であり、また生活共同体である。

1)このコロニーに居住する障害者は、精神薄弱、肢体不自由者、重症心身障害者等のある者で、障害の種類、程度、または生活条件の点で「庇護された社会での生活が適当と認められる障害者」である。これらの障害者は一般社会に復帰することもできるが、長期間生活することが通例であり、さらに必要に応じて終生居住することもできる。

2)このコロニーの機能は、これらの障害者に対する援護であって、その主なものは日常生活の保護、医療、リハビリテーション、教育である。


3)このコロニーは地域社会であるから比較的広大な地域を占め、障害者は援護のもとに、その生涯の程度または能力に応じて、この地域社会の社会生活に積極的に参加する。そこには精神または身体に障害があるという共感と共同の生活がある。

4)このコロニーは決して一般社会から「隔離」されたものではなく、近代的な都市の一部を構成し、近接の地域社会と生活の各分野で密接な連絡を保つ、障害者はその地域社会の一人の市民として生活するものである。

5)このコロニーは心身障害者の援護対策として、ひとつのまったく新しい施設体系がつくられる。その意味においてモデル的機能を有する。また一面既存の施設体系を補充し、改善する方策としての意義を有する。



候補地となったのは群馬県高崎市の観音山


コロニー建設の候補地として挙げられたのは、群馬県高崎市の郊外です。全国十数か所の候補地から、首都圏にも近く、緑豊かで広大な国有林・県有林のある観音山が建設地に選ばれました。有名な高崎観音のある場所です。都会寄りで、病院その他の文化施設が利用しやすいなど居住条件が良く、近くに群馬大学医学部があり、その協力が得られやすいことなどが考慮されました。また群馬県や高崎市は手工業がさかんで職業訓練後に職を得やすいなど、懇談会が提唱した構想にも合致しました。用地221ヘクタールの全部が国有地で買収手続きが簡単な上、交通の利便性などの好条件がそろったことも挙げられます。

 

写真・群馬県高崎市の国立コロニー「のぞみの園」

群馬県高崎市の国立コロニー「のぞみの園」。
居住棟や診療所・職員宿舎など25棟が設置されました。



コロニーはこれまでの指導訓練を目的とした施設と異なり、ひとつの地域社会とも言えるものであり、特別な福祉施設として位置づけられました。そのために、精神薄弱者援護施設を対象とする「精神薄弱者福祉法」ではなく、コロニーを対象とする「心身障害者福祉協会法」が新たに定められ、同法に基づく「心身障害者福祉協会」がコロニーの運営に当たることになりました。

1968年(昭和43)には、群馬県高崎市で日本初の国立心身障害者コロニーの起工式が行われ、2年後の1970年(昭和45)に工事が完了し、翌年から入所が開始されました。名称は「国立のぞみの園」とされました。この国立コロニーの開園に前後して全国の自治体でもコロニー設置の計画が進み、さらに民間施設のコロニー化もはかられ、障害者福祉の世界ではコロニーブームと呼ばれました。


木下 真


参照:『社会福祉の歴史』(一柳豊勝 品川満紀編)、「国立コロニー開設に至る道のり」(遠藤浩)

▼関連番組
 『ハートネットTV』(Eテレ)

  2017年1月26日放送 障害者殺傷事件から半年 次郎は「次郎という仕事」をしている
 ※アンコール放送決定! 2017年3月21日(火)夜8時/再放送:3月28日(火)昼1時5分

▼関連ブログ
 知的障害者の施設をめぐって(全14回・連載中)
 第 1回 教育機関として始まった施設の歴史
 第 2回 民間施設の孤高の輝き
 第 3回 戦後の精神薄弱児施設の増設
 第 4回 成人のための施設福祉を求めて
 第 5回 最後の課題となった重症心身障害児・者 1
 
第 6回 最後の課題となった重症心身障害児・者 2
 第 7回 最後の課題となった重症心身障害児・者 3
 第 8回 終生保護のための大規模施設コロニー
 第 9回 大規模コロニーの多難のスタート
 
第10回 政策論議の場から消えていったコロニー

   (※随時更新予定)

 
 障害者の暮らす場所
 第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐前編‐
 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐後編‐

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