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知的障害者の施設をめぐって 第4回 成人のための施設福祉を求めて

2017年01月20日(金)

 


Webライターの木下です。
第4回は18歳以上の知的障害者の施設保護についてです。



年齢超過者の処遇に頭を悩ます


相模原障害者施設殺傷事件の際に、施設に対して「隔離である」という批判がなされました。しかし、過去における日本の施設福祉の大きな課題は、非障害者と障害者を区別し、隔離することよりも、障害者に対して線引きをするところにありました。戦前は国家にとって「有用」であるか「無用」であるのかが線引きの基準となり、戦後新しい時代になってもしばらくは、「国家」が「社会」に言い換えられただけで、根底にある考え方は変わりませんでした。

施設は、軽度の障害児の自立生活のリハビリテーションのためにのみ設置され、18歳を過ぎても自立生活の難しい成人の障害者や重度の障害児は切り捨てられていました。施設に入所しなくても、本来は地域で支えることが可能な障害者が施設に保護され、施設が必要不可欠とされる障害者は施設を利用できないという矛盾がありました。施設の充実を求める施設関係者や親たちの声は、年齢や障害の程度にかかわる線引きをなくして、すべての障害者が尊重される福祉政策を望むものとして発せられました。

まず課題となったのは、施設における18歳を超えた年齢超過者です。戦前の民間施設は、公的な制度のもとにあったわけではないので、年齢に厳しくこだわる必要もなく、児童施設と言いながらも、青年部などを設けて、年齢超過者もともに暮らすことができました。しかし、戦後は、児童施設は「児童福祉法」のもとに置かれ、公的な補助金を得ることになったため、原則的には児童でないものを留めることができませんでした。

しかし、成人施設は児童施設に比べて圧倒的に不足していたために、無理やり退所させれば、生活能力のない年齢超過者が行き場を失います。また、知的障害者は非障害者に比べると発達の速度はゆっくりとしたものになります。思春期を過ぎても、発達が継続するケースも多くありますし、知力に伸びがなくても、経験から生活力が養われることもあります。18歳を過ぎて、思春期を終えたからと言って、基礎的な発達を促す教育や指導訓練が有効でなくなるわけではありません。思春期には多くの問題行動を抱えていた知的障害者が、30歳を過ぎると行動も落ち着き、分別もついてくるようなケースがあることが、施設関係者から報告されています。

写真・滝乃川学園 かつての児童施設にも成人部が併設されています

かつての児童施設にも、現在では成人部が併設されています(滝乃川学園)


そこで、入所児の親たちは、児童福祉法の年齢制限の撤廃、25歳までの延長を求める運動を起こしていきました。その要望を受けて、厚生省は児童局長・社会局長連名で、1951年(昭和26)に「精神薄弱児施設における年齢超過者の保護について」という通知を出しました。これは児童福祉法における精神薄弱児施設に、「救護施設」を併設できるとするものでした。救護施設とは、自立生活の難しい成人の障害者を収容して、生活扶助を目的とする施設のことです。

また、1953年(昭和28)には、「日本精神薄弱児愛護協会」が、精神薄弱児施設の入所者の年齢超過者実態調査を実施し、問題の深刻さを訴えています。さらに「全日本精神薄弱児育成会」は、1958年(昭和33)に自らの資金と共同募金会の協力によって、三重県名張市に児童・成人の総合施設「名張育成園」という、年齢にこだわることのないモデル施設を建設しました。さらに同年には、埼玉県所沢市に年齢制限を事実上撤廃し、複数の障害のある知的障害児を保護するための国立の精神薄弱児施設「秩父学園」が新設されました。


「精神薄弱者福祉法」で成人の施策がスタート


これらの実績によって、1960年(昭和35)に成人の処遇を意識した「精神薄弱者福祉法」が成立し、施設整備が進められていくことになりました。同法の基本姿勢は、児童と成人をあわせ、軽度・重度の更生援護を対等に考え、生活保障も考慮にいれ、将来の総合立法の基礎にすることにありました。そして、成人の知的障害者への措置としては、「精神薄弱者援護施設」を規定しました。

援護施設の役割は、「精神薄弱者の福祉を図る総合的対策の一環として、援護体制の整備、援護施設の拡充を通じ、精神薄弱者の保護と更生援助を行うとするものである」とされました。援護施設の中には、児童の通園施設と同じように家庭から通いながら、指導訓練を受けるための通所施設や、労働のための授産施設を併設するものもありました。

こうして1960年代に成人のための施設設置は進みますが、「精神薄弱者援護施設」も、児童のための「精神薄弱児施設」と同様に、自立生活が念頭におかれていて、主な対象とされたのは職業技術などの習得が期待される中軽度の知的障害者とされ、重度の知的障害者や重症心身障害者は一部の例外を除いて、利用対象からはずされることになりました。

障害者が社会にとって「役に立つ」存在になるかどうかが基準となり、教育や指導訓練の目的が、非障害者に近づくことにあるという考え方は成人の施設でも変わりませんでした。重度の知的障害者や重症心身障害者の施設福祉が展開していくのは、1960年代以降のことになります。

※「重度」とはひとつの障害の程度が重いことを指し、「重症」とは複数の障害が合併していることを指します。

 

木下真

 

参照:「わが国精神薄弱施設体系の形成過程」(国立のぞみの園 田中資料センター編)、『知的障害者教育・福祉の歩み 滝乃川学園百二十年史』(滝乃川学園)、「知的障害者福祉の歴史的変遷と課題」(中山妙華)

▼関連番組
 『ハートネットTV』(Eテレ)

  2017年1月26日放送 障害者殺傷事件から半年 次郎は「次郎という仕事」をしている
 ※アンコール放送決定! 2017年3月21日(火)夜8時/再放送:3月28日(火)昼1時5分

▼関連ブログ
 知的障害者の施設をめぐって(全14回・連載中)
 第 1回 教育機関として始まった施設の歴史
 第 2回 民間施設の孤高の輝き
 第 3回 戦後の精神薄弱児施設の増設
 第 4回 成人のための施設福祉を求めて
 第 5回 最後の課題となった重症心身障害児・者 1
 
第 6回 最後の課題となった重症心身障害児・者 2
 第 7回 最後の課題となった重症心身障害児・者 3
 第 8回 終生保護のための大規模施設コロニー
 第 9回 大規模コロニーの多難のスタート
 
第10回 政策論議の場から消えていったコロニー

   (※随時更新予定)

 
 障害者の暮らす場所
 第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐前編‐
 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園‐後編‐

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