本文へジャンプ

【出演者インタビュー】大野更紗さん「難病患者さんの『声』を広く届けたい」

2014年02月10日(月)

20140210_oono1.jpg2月10日放送(2月17日再放送)
シリーズ 難病と向き合う
第1回 どう支える? 難病医療
ご出演の大野更紗さんにメッセージをいただきました。

 

《大野更紗さんプロフィール》

自己免疫疾患系の難病を発病。自身の体験を著書『困っているひと』にまとめた。いまも闘病を続けながら、本の執筆や、難病のある人や障害のある人の取材を続けている。

 

 

――収録の感想を教えてください。

難病の当事者というのは、言ってしまえば制度の谷間で
ずっと見捨てられてきた存在なんですね。
それが約40年ぶりの制度改革で、
難病医療の対象が56疾患から300疾患に拡大されて、
法的な制度としてより安定化するよう議論されている。
本当に大きな転換点だと思います。
でも、それと同時に、その新たな制度から
こぼれ落ちる方もいらっしゃるわけです。
難病患者は少数ですし、確かに特殊な問題かもしれません。
でも、必ず人間社会に一定の割合で存在します。
そして、もしかしたら明日自分が発症するかもしれません。
私も突然でした。いわば、くじをひくようなものですよね。
そうなった時に、どういう社会であるべきかということを、
もっと多くの人が考えていかなければいけないと思います。
今まで難病は教科書や本の中でしか知られていなかったかもしれないけど、
今は現実に、地域に隣人として生活しているわけです。
その人たちをどう支援していくか。
制度改革はもちろん喜ばしい局面もありますが、
同時に突きつけられている課題も多いと思いますね。

 

詳細は「続きを読む」をクリックしてください > > >

 

――難病の理解を広げていくために、
具体的にどのようなことができるのでしょうか。

今までは、難病の当事者が社会に出て提言をしたり、
意見をすること自体が非常に難しかったんですね。
物理的にも、精神的にもそうですし、
社会的な無理解や偏見があまりに大きな障壁だった。
ですから、これからは当事者の方たちが実際にどういう声を持っているのか、
その“ボイス”を多くの人に届けるというプロセスが
必要なのかなというふうに思います。
そして、私だけではなくて、いろんな疾患の患者さんが
社会のいろんな所へ出ていって、“ボイス”を発信してほしいと思います。

コメント

投稿:アンディ 2014年02月11日(火曜日) 11時15分 様

の書き込みで 心療内科で安定剤をもらって 良かったとありますが、
お聞きしたいことが有るのですが、

娘 先年秋 顎関節を傷めたのち パニック 不安神経症 自己免疫疾患などつぎつぎ患いい、 それぞれ歯科 大学病院歯科 精神科 心療内科 内科 泌尿器科 大学病院 内分泌疾患科とうとう お世話になってきたのですが、何も 思わしい結果にならないのです。

パニックした時 エビリファイ錠のお世話になり 一度で 2週間ばかし割に心が晴れる日があるのですが、 やめたときのつらさ不愉快さ 痛さは言語を絶する感じです。
また 最近食べることもなかなかで、老人のようになっています。

安定剤の類は 自己免疫疾患にはコリンとかが 反対に働いて よくないらしいのです。
35歳 会社は ここ顎関節痛めたときから 休職扱い受けています。

どうしたらいいのか、わかってくださる病院はあるのかしら、74歳の母親 途方に暮れています。  娘は絶望しています。

投稿:humuhumu 2017年06月01日(木曜日) 12時54分

私も特定疾患の一人です。特定疾患だと分かり、職場を首になり、その後もバイト正社員問わず就活していますが、書類選考で切られてしまいます。

働けるのに働かせないこの国では、難病も働けるよう難病枠も作る若しくは障害者枠に難病をいれるべきであると考えています。

投稿:わか 2014年02月11日(火曜日) 22時03分

こんにちは。今回、2回に渡って、難病を取り上げて頂き、ありがとうございます。これからも継続して頂きたいです。私は、20歳の時に潰瘍性大腸炎になりました。12年前に大腸の9割を摘出して、仕事をやっていますが、誹謗や中傷に苦しんでいます。見た目では、わからないというのが、大きいです。私も現在、障害年金を貰っていますが、ほとんどの方々が、社会保障を知らないと思います。だって、難病の事や社会保障の情報を教えてくれないのですから。そういった情報を今後、番組の中で、報道してください。実態だけを伝えるのでなく。

投稿:ゴジラ 2014年02月11日(火曜日) 20時49分

私は大野さんと同じ皮膚筋炎です。2009年秋に発症しました。
頭が盛り上がらなくて階段は上がれなくなり、手はグローブのように膨れ上がり、足首はぞうのようになりこの病気がわかるまで時間がかかりました。専門医にかかるまでの時間。早ければ早いほうが良いと思った。
60歳過ぎていますからもう仕事はいいかなあと思っていましたがピアノを今でも教えてほしいということで家に来ていただいて二人だけ教えています。
社会とのかかわりはいくつになっても必要で、難病だとレッテル張られても頑張りたいと思った。
人の目は「難病だ」というと「へーえー」なんてなんだか違います

これではこれからの日本は?と思ってしまいます
いろんな難病があることを知ってもらう必要があると思います

投稿:うめぼし 2014年02月11日(火曜日) 20時32分

私も難病患者の1人です。病名は間脳下垂体機能障害です。
脳腫瘍的な病気ですが症状は内分泌系でホルモンがほとんど出ず
私は尿崩症の症状が特にキツイです。
症状は多飲多尿・倦怠感・すぐに疲れるです。
発熱すると髄膜炎になります。
病歴は10年くらいです。
原因は不明で脳下垂体が壊れてしまったので1日3~5回のホルモン補充(点鼻)が欠かせません。激しい喉の渇きと激しい尿意を止めてくれます。私はこのホルモン補充によって生きています。
私は長身で中・高と運動部に所属して社会人になってからも運動をしていたので病気になった今でも活発に見えるらしく『病気で・・』と言っても信じてもらえず、説明してもわかってもらえず。
なので、よほど親しい人ではない限り病気の事を隠して
普通の人の様に振舞っています。
周りにわかってもらえないってツライですよね。

去年、9月に特定疾患保険書の更新をしましたが『あなたは軽快者なので更新はできません』と言うような内容の書面と悪化した場合は直ぐに保険書を発行します的な簡易保険書が送られて来ました。軽快者?確かに悪化はしておらず寝たきりでもなく見た目も普通で普通な生活を送り車も運転して短時間でありますがパートタイマーで働いていました。私は、ホルモン補充と言う方法で今をキープしているだけで治ってもいないです。その後、主治医の先生のご尽力により1月に新規で特定疾患保険書が発行されました。
薬や手術で治らないから難病と言うのではないのでしょうか?
軽快・重症なんて、誰がどこで線を引くのか?疑問です。
難病の方は一人一人いろんな事で苦しんでいます。

私はただ、1日でも長く3人家族のお母さんとして生活をしていたいと思っているだけです。

投稿:くまちゃん 2014年02月11日(火曜日) 19時54分

続きです。私は医者から告知されて10年ほど落ち込みました。しかし今は心療内科にて安定剤を飲んでから、180度変わりました、今では人生を楽しむように考えるようになりました。デイにも週4回、病院のリハビリにも通っています。すべて自分のためです。

投稿:アンディ 2014年02月11日(火曜日) 11時15分

 私は”脊髄小脳変性症”です。やはり皆さんと同じように病名が分かるのに、2,3年掛かりました。重症患者と軽症患者のことがテーマになっていました。私からすると、クスリがあるだけいいジャンです。私の病気にも゛進行を遅らせるだろう”という薬がありましたが、私には効果がないので16年ほど前に飲んでいません。対処療法の薬は13錠ほど飲んでいます、睡眠導入剤5錠、血圧を上げる薬、利尿剤、安定剤等
もうこの病気と20年付き合っています。無職です。生活は自分の年金と、妻のパート代です。贅沢はできませんが、生活はできています。
私は福祉医療を使っていますので医療費は無料です。みなさんこのことを知っているのか?疑問です。難病が重症化すれば、障碍者手帳を持つことになります。軽症者も持つことができます。級は違いますが、皆さんこのことは知っているのでしょうか?それとも恥ずかしいの?

投稿:アンディ 2014年02月11日(火曜日) 11時03分

《今のところ医療費は小児慢性特定疾患の保険でまかっています。
しかしそれは20歳(もしくは18歳?)までしか有効ではありません。》

これも注目すべきポイントで、問題となっていますね

投稿:今さん 2014年02月11日(火曜日) 08時55分

私も難病患者の1人です。病名は、線維筋痛症です。発症当時は、両足の足の裏に剣山が刺さっている様な痛みがあり、自宅内でトイレに行くのも、ほふく前進でしか、動けませんでした。何処の病院に行っても病名が分からない為、治療すら受ける事が出来ず、また、周りの人には、どんなに状態を説明しても分かってもらえず、非常に辛かったです。自分で色々インターネットで同じ様な苦しみの人が居ないかを探し、見つかると、どんな薬を飲んでいるのかを調べ、海外から個人輸入して薬を飲んでいました。海外の薬を飲む事に関しては、非常に怖かったですが、それよりも、症状の緩和の方が、私には大切だったのです。今では、専門の医療機関を受診していますが、仕事も辞めざるを得ない状況になり、生活保護を受けています。でも、痛みの範囲は全身に広がり、また、数分間隔で痛みの出る場所が変わるので、自宅に引きこもってしまう状態です。まだまだ一般的に線維筋痛症と言う病名が定着していないので、自分の両親にさえ理解して貰えていません。とても辛く、死ぬ事も考えました。今でも考える時が有ります。なぜ自分が、と、自分自身を責めて泣き明かした事も多々あります。目に見える病気ではない為、治療を諦め、死んでしまいたい、その方がマシだ、と、思い詰める毎日です。

投稿:ちいとゆう 2014年02月10日(月曜日) 23時42分

大野更紗さん他ハートネットTVのみなんさんへ

はじめまして^^
以前にも過去の放送で書きました沖縄県那覇市若狭在住の
具志堅敦といいます。

私も慢性疾患です。
大野さんの病ではなくアトピー性皮膚炎で私が幼少時から
その病の根源があり、結果的には遺伝性のものでした。

アトピー性皮膚炎は完治する方も多いですが、
治らず慢性疾患に陥る沖縄県の罹患率も本当に高いのです。

そして、本日の難病医療支援の在り方に絶望しています。
あまりにも難病やアトピーなどの慢性疾患が多い中無視され続けて
いる実感がしてなりません。

負担は家族全般に行き渡り崩壊する危険を伴っています。
行政は漏れ出た罹患の方々を見殺しにするつもりでしょうか。

過去も現在も何等変わっていません。
少しだけ前進しただけで難病やアトピー等の方々を放置すると
どうなるのかお判りになるでしょうか。

誰でも想像したらお判りになります。
医療費が膨大に膨れ上がり成り立たなくなりますよ。

ですので、
これ以上難病やアトピー他の病にさせない為に必ず生活費用面も
行政が負担するよう強く要請します。

病で気持ちが落ち込んで働けない方々の医療費と生活費の支援、
そして、アトピーも沖縄県でも多い事を認識してアトピー性皮膚炎も
難病だということを自覚してもらいたい。

私も成人して39歳になりますが、
アトピー性皮膚炎という慢性疾患に陥りフルタイムでは働けなく
悲しい日々を送っていますが、希望を胸に努力はしています。

ここで書いているコメントも独学でPC操作をして少しずつですが、
詩集を出版する目標もできました。

しかし、成功する過程はまだ遠い。
それらを考えれば、やはり、アトピー性皮膚炎も難病同様に
医療費や生活費支援を行うよう要請するしかないのです。

投稿:具志堅敦 2014年02月10日(月曜日) 22時50分

10年以上「橋本病」が分からず苦しみました。更年期障害、自律神経失調症
病気の名前は次々に名づけられました。或る時、がんドックに入りまして、内分泌の医師によって「橋本病」が発見されました。今でも、チラージン二錠半服用しています。生涯飲み続けるように指示されており、特定疾患に認定されております。或る医師に病の名前を発見されましてから、現状を維持しております。そして、下剤、眠剤など、服用しております。

そのころ、セカンドオピニオンを全く知りませんでした。八十三歳がんばって生きております。橋本病を発見して下さった医師に感謝しながら。

投稿:hanakoyoshioka 2014年02月10日(月曜日) 21時11分


私も難病患者の一人です。
高校一年、16歳の秋に急性リンパ性白血病になりました。
17歳になった今現在、骨髄移植をし、自宅療養と定期的な外来診療をしています。
今のところ医療費は小児慢性特定疾患の保険でまかっています。
しかしそれは20歳(もしくは18歳?)までしか有効ではありません。
白血病は移植をしてもそれから5,6年は再発する可能性があります。
ですのでもし20歳を越えてから再発したら、と、とてもひやひやしています。
私の家は裕福でないので高額医療費はとてもきびしいものです。

また、白血病は見た目からはわかりません。
それゆえ、大野さんが言われたように、なかなか周りが理解してくれないことがあります。
どんな病気でどんな症状か、また、
どのような治療なのか、どんなことができなくなるのか
等々、当たり前なのでしょうけどなかなか知識を持つ人、持とうとする人がいません。
それは友達でも。
つらいものです。
目に見えない辛さとかをわかってほしいものです。

とくに白血病等の血液疾患は目に見えない症状、そして、説明しがたいまた、説明しても病気の仕組みの難しさゆえ理解してもらえない病状の病気です。
大野さんが言われたように、
言葉では説明できないのです。


周りの人にはそれをわかってもらいたい。

投稿:ちゃんまど 2014年02月10日(月曜日) 20時55分