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インタビュールポ「貧困の現場から」③

2015年03月31日(火)

【ひきこもり10年、秘められた思い】
夫亡き後、一家を支えるために身を粉にして働いたAさん。心身共に限界まで達し、自ら命を絶とうとしていた。一方。そんな母の姿を引きこもっていた子ども達はどのように感じていたのだろうか。センターのスタッフに紹介してもらい、Aさんの三男、Bさんに会って話を聞くことができた。Bさんは現在、30歳。母と同じく小柄でほっそりとしている。私の目を見て、ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくれる姿が印象的だった。


Q.Bさんが引きこもることになったきっかけは?
高校を卒業後、金属加工の会社に就職したが、3か月で辞めてしまったことから始まりました。資材を機械に入れる力仕事についていけず体力的にきつくなってしまいました。その後、短期バイトをしていたこともあったが、決定的になったのはスーパーのアルバイトでした。商品の品出しを担当しましたが、同じ失敗を繰り返すようになり・・・。


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仕事を探すため、身だしなみを整えようとスーツ姿のBさん。


Q.Bさんには自覚はあった?
注意しているつもりでしたが、ミスが続きました。上司から厳しく叱られることが多くなり、「小学生でもわかることがなぜできないのか」と言われたことを覚えています。もうひとつ叱られたのが、作業スピードの遅さでした。遅れを取り戻そうと昼休み返上で働いたりもしましたが、結果は変わりませんでした。次第に、常に失敗を恐れ、仕事の度に不安ばかりが募りました。4年間我慢したのですが、耐えられなくなり、22歳の時に退職しました。


Q.その後、引きこもりの生活が始まった?
仕事に就こうと、求人情報誌を開いたこともありました。ですが、スーパーでの挫折が尾を引いていて、「どうせ仕事できないだろう」という気持ちになっていました。母親から働くよう諭されたたこともありましたが、その挫折感をぬぐえないでいました。


Q.相談できる人はいなかった?
こんなことを相談できる友人もおらず、母親が頼りでした。しかし、その母親も病気で倒れ、気持ちがふさぎこむようになりました。「一緒に死のうか」と言われたときは、「楽になったほうがいいのかもしれない」と思いました。もう私たちの家族は持たないと思いました。


Q.それでも引きこもりから抜け出そうとは思わなかった?
気持ちはありました・・・が、周りの家族も社会から孤立し、閉ざされた空間の中ではその一歩が踏み出せませんでした。どうせ今年死ぬのだから、と自暴自棄になっていた部分もありました。
インタビュールポ「貧困の現場から」④へ続く

 

◆2015年4月特集「スタート“新”セーフティーネット」
本放送:夜8時00分~8時29分
再放送:午後1時5分~1時34分

2015年3月31日(火) 第1回 生活困窮者をどう救う?
2015年4月1日(水) 第2回 声を上げられない困窮者たち
2015年4月2日(木) 第3回 私たちにできる 地域づくり(生放送)


◆WEB連載
インタビュールポ「貧困の現場から」

コメント

取り上げられている事例に「夫の癌闘病をきっかけにして貧困に落ちた」という報告があり、私も先月、癌の疑いで手術をしてきたばかりなので気になってコメントしました。私も母子家庭で生活はぎりぎりですが、病院内にある癌情報支援センターで、高額医療費の減免制度について教えてもらいました。収入に応じて、支払うべき医療費に上限を設定してもらえる国の制度ですが、このことを、実際に癌治療に入るまでまったく知りませんでした。周知があまりされていないのだと思うのですが、ホームページで事例を紹介する際などに、できればどこかに、そのような情報も載せていただけないでしょうか。ちなみに私は非課税世帯なので、子宮全摘出手術と12日間の入院で5万円いきませんでした。母子家庭は医療費の助成があるので支払った分は後で戻ってくるのですが、一時的な立て替えも高額だとなかなかつらいなか、とても助かりました。よろしくご検討ください。

投稿:パラレル 2015年03月31日(火曜日) 20時39分