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インタビュールポ「貧困の現場から」②

2015年03月30日(月)

【重ねた借金、家族を養うために】
貧困で苦しむ人はどんな思いを抱いているのか。私たちは一人でも多くの当事者の声に耳を傾け、その思いを届けたいと考えた。取材のなかで訪れたのは、大阪府豊中市のくらし再建パーソナルサポートセンター@いぶき。ハートネットTVでは3年前に前身である豊中市パーソナルサポートセンターを紹介している。
このセンターには従来の相談機関では対応しきれない、多重困難を抱えていとろる人が紹介されてくる。そうした相談者に対し、障害、生活保護、就労など様々な専門家がチームとなって解決を行う。その解決能力の高さは全国で注目され、自治体や支援機関からの視察が絶えない。

私たちはここで、ある家族を紹介してもらい、インタビューをさせていただいた。
Aさんは60代の女性。小柄で、貧困とは無縁のごく普通の主婦にみえる。


Q.生活が苦しくなったきっかけは?
数年前に亡くなった夫がガンになったことでした。夫はそれまで食品加工の工場に勤めていましたが、「身体がキツい」と休みがちになりました。生活費が足りなくなったため、軽い気持ちで消費者金融に50万円借りました。そんなことをしたら夫はものすごく怒るのは分かっていたので、内緒です。すぐに返せる額だと思っていました。しかし、その後、夫はガンの治療のため仕事も辞め、入退院を繰り返しました。その度にまとまったお金が必要になり借金を重ねました。気づくと500万円に膨れあがっていました。一番悲しかったのは夫が亡くなった日のこと。夫の遺体を引き取るにもお金がないため、病院から消費者金融に駆け込みました。今にして思えば、麻痺していたと思います。

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胸の内に秘めている辛い体験を語ってくださったAさん。その誠実な姿勢に共感しました。

 

Q.どうやって返済したのか。
スーパーのパートをして返そうとしていました。朝6時から夕方5時まで働いて手取りは14万円。このうちほとんどが消費者金融のローン返済で消えました。家計は苦しかったです。子どもが3人いるのですが、実は当時全員が家に引きこもっていました。家族4人が暮らすにはとても足りませんでした。自分がなんとか働いて支えようと頑張っていましたが、無理がたたって貧血で転倒し、足を骨折。働くこともできなくなり、弁護士に相談し自己破産手続きをしました。それが3年前です。


Q.お子さん達がひきこもっていたのは、何があったのか?
子ども達の中には就職した者もいましたが長続きしませんでした。三男は幼い頃から持病があり、学校を卒業しても働ける状態ではありませんでした。結局、みな学校を卒業して10年近く仕事につかず引きこもっていました。


Q.親としてどういう気持ちだったのか。
夫は生前、「お前らなんで働かんのや!」と厳しく怒鳴りつけ、大げんかをしていました。その夫が亡くなって以降は、今度は私が精神的に追い詰められ、「お前らなんか死んでしまえ!」と叫んだこともあります。最終的には一家で死んだ方がいいんじゃないかと本気で考えました。


Q.お母様は身体を壊し、子ども達は引きこもり。外部に救いを求めなかったのか。
親戚にお金の工面をお願いしましたが、邪険に扱われました。夫が兄弟と折り合いが悪かったからだと思います。どこに相談したらいいか分からず、市役所へ生活保護の相談をしに行ったこともあります。ところが、子ども達3人は働ける年齢のため、生活保護の条件に合わないと窓口で断られました。大泣きしながら帰ったのを覚えています。
結局、子ども達に名義を借りて再び消費者金融に手を出しました。そして、その支払いを他の消費者金融から借りて立て替えるという悪循環になりました。

インタビュールポ「貧困の現場から」③に続く
 

◆2015年4月特集「スタート“新”セーフティーネット」
本放送:夜8時00分~8時29分
再放送:午後1時5分~1時34分

2015年3月31日(火) 第1回 生活困窮者をどう救う?
2015年4月1日(水) 第2回 声を上げられない困窮者たち
2015年4月2日(木) 第3回 私たちにできる 地域づくり(生放送)


◆WEB連載
インタビュールポ「貧困の現場から」

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