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【社会保障70年の歩み】第7回・介護「措置という古い上着」

2015年04月09日(木)

日本の社会保障制度の中心である「社会(公的)保険」は、火災保険や生命保険等の民間保険に比べ、どこが違うのか。
民間保険は「私的なリスク」に備え、自分で選ぶ「任意加入」で、「営利団体」(企業等)によって運営される。社会保険は、「社会的なリスク」を対象に、「強制加入」で、「非営利団体」(国、自治体、組合等)に運営をまかせる。


社会的なリスクとは何か。
医療費を払えない人々が増えると重病者が多発する、引退後は無収入なら生活困窮者が相次ぐ、失業して生活費に事欠くと仕事探しも難しい、仕事での死亡・負傷に何の補償もない。どれも放置しておくと、社会全体が不安で不安定に陥る危険性である。当初は、いずれも勤め人対象で医療(健康)保険(施行1927年)、年金保険(同1942年)、戦後に失業(雇用)保険と労働者災害補償保険(同1947年)の順で創設された。より多くの人々が不安に思うリスクから開始された、とも言える。

介護保険法は1997(平成9)年12月、5番目の社会保険として成立した(2000年度施行)。なぜ実現が遅れたのか。それが「介護」の難しさと大事さを象徴している。


さかのぼると、1956(昭和31)年、長野県は「家庭養護婦」の派遣事業を始めた。1961年、聖霊(せいれい)福祉事業団は寝たきり老人らを預かる「十字の園」を浜松市で開設した。いずれも1963年の「老人福祉法」制定で、「老人家庭奉仕員」(ホームヘルパー)、「特別養護老人ホーム」と名付ける正式な制度にされた。

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1970代初期の家庭奉仕員


1972年には作家・有吉佐和子が小説「恍惚(こうこつ)の人」で認知症(にんちしょう)という介護の難しい症状の存在を社会へ知らせた(一般には惚(ぼ)け症状、当初は痴呆症(ちほうしょう)と呼んだが、差別的として改称)。
これら寝たきりや認知症の高齢者を支えたのは「措置(そち)制度」だった。市町村長が申請を受けて必要と判断すればサービス提供先も決める(社会福祉法人等に委託も可)。費用は利用者の所得に応じて払う(応能負担)。行政の責任が明確な制度だったが、福祉予算の乏しさからサービスは絶対的に不足し、ごく少数の貧窮者しか利用できなかった。何しろ1965年度末で老人家庭奉仕員のいる市町村は全体の7%程度だった。

この不足を補う形で、1973年の老人医療費の無料化(自己負担分)を契機に老人病院が急増した。高齢者の入院費は確実に医療保険制度の支払いを受けられるからだ。本来は治療(キュア)より介護(ケア)の必要な高齢者が行き場がないために病院に頼る「社会的入院」である。その老人病院群は、食堂も浴室もリハビリ室もない劣悪な環境が目立った。内部告発で実態が暴かれた埼玉県・三郷中央病院(廃院)では、いやがる患者はベッドに縛り、検査と点滴の連続で暴利を得ていた。
措置(取りはからう意味)は、貧しい人々しか受けられない「施(ほどこ)しの福祉」、施設も自分では選べない「押し着せの福祉」に陥りがちだった。はじき出された要介護者は老人病院へ流れ、「医療が福祉の肩代わり」をする状態が続いた。


なぜ是正が遅れに遅れたのか。
根本的には親の介護は子ども世代の義務という考え方が根強かったせいであろう。親への愛情や尊敬はいつの時代も大切だが、主に妻や娘や嫁らの介護に頼ったのが実態だった。
老いた妻に夫の世話を強いる、親は80~90歳、娘とはいえ60~70歳に介護を押しつける(老老介護)。働く女性たちは介護で仕事を辞めざるを得ない(介護離職)。疲れ果てた介護者による虐待も社会問題になっていく。
高齢化が深まるに連れ、介護は個々の家庭の問題ではなく、社会的なリスクである、という認識は次第に広がった。


介護サービスを一気に拡大したのは、良くも悪くも消費税の導入である。竹下登内閣は「福祉の充実に」との公約を掲げ、1989(平成元)年度から消費税3%を実施した。世論の反発は激しく、7月の参議院選挙では土井たか子委員長が「ヤマが動いた」と叫んだ社会党の大躍進をもたらした。
失地回復を急ぐ海部俊樹内閣は「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(愛称・ゴールドプラン)の翌90年度実施に踏み切った。10年間で計6兆円余を投じ、介護サービスを増やす長期計画である。それ以前の10年間で高齢者関係の総事業費は計1.7兆円に過ぎなかった。
棚からボタ餅のようにお金が先に降ってきて、詳細な計画作りは後追いになった。地域版のゴールドプラン「市町村老人保健福祉計画」等の策定が義務付けられ、自治体は大慌てで介護サービスの現状と将来ニーズを調べ、目標値を定めた(92年末)。

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94年9月には社会党籍の村山富市首相の連立内閣が消費税5%引き上げの見返りに「新ゴールドプラン」に切り換えた。前計画の折り返しにあたる95年度から99年度まで計9兆円と予算を倍増させた。とりわけ小学校校区を基本にホームヘルプ、デイサービス(通所介護)、ショートステイ(短期入所)等の在宅サービスの普及を目指した(図参照)


やっと介護を社会的に解決していく取り組みが始まった。そして、戦後間もなくから続く措置制度という古い上着を脱いで、新しい仕組みに変える機運が高まり、介護保険の是非と内容が国民的な議論になっていく。

第8回・介護「選べる福祉へ」へ続く。


執筆:宮武 剛
    元新聞記者。
    30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
    社会保障、高齢者福祉の専門家。


連載【社会保障70年の歩み】
プロローグ「首相への挑発状」
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
第3回・生活保護「水と番茶の違い」
第4回・医療「無保険者3000万人から」
第5回・医療「日本型の長所・短所」
第6回・医療「皆保険という"岩盤"」

コメント

社会構造が変化し、拡大家族から核家族化、更には高齢社会社会となっている現在家族のみで介護者を支えられる世帯と老老介護となってしまい、支えることの難しい世帯が存在し、支えるシステムの多様化が求められていると感じています。

投稿:みきこ 2015年05月27日(水曜日) 22時31分

介護が必要な人に対すさまざまなケアは大切だが,それと同様に介護している人に対するケアについても検討する必要があると思います。

投稿:いとう 2015年05月06日(水曜日) 17時28分

核家族化と高齢化が進む現代だからこそ、親の介護を家族がすることは、当たり前にした方が良いように感じています。
地域で支えるには、高齢化が進みすぎて受け口が足りないのでみんなで支えるために家族の存在は必要と考えます。

投稿:むらた 2015年04月27日(月曜日) 10時32分