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【社会保障70年の歩み】第4回・医療「無保険者3000万人から」

2015年02月06日(金)

「だれでも、いつでも、どこででも」
支払い能力に応じ保険料を納めると、そう重い負担なく医療サービスを受けられる。

この国民すべてが健康(医療)保険証を持つ「皆保険」体制は、1961(昭和36)年の4月から始まった。新聞各紙は「女中さんも小僧さんも」などと、今では禁句の見出しで、その意義を報じた。「骨折の場合はコルセットや副木(そえぎ)などをもらえ、入れ歯もしてもらえる」などと、解説を載せる紙面もあった。
そんな初歩的な説明が必要なほど農林水産業者や商工業者らは「医療保障」と無縁だった。この頃、自営業者らの無保険者は2000万人、被用者(勤め人)保険に入れない零細事業所従業員らも1000万人と推定された。


総人口の3分の1が健康保険証を持てない時代とは、どんな状況だったのか。

敗戦必至の1945(昭和20)年3月、若き日の若月俊一(としかず)は長野県・旧臼田町の院長と女医1人だけの佐久病院に赴任した(現在は医師200人超の佐久総合病院)。青年医師を愕然とさせたのは、後に自ら命名する信州の農村部に広がる「潜在疾病」だった。症状がありながら耐える「がまん型」、診察も検査も受けない「気づかず型」に大別された。当時の調査で、地域の病人のうち、医師に診てもらうのは3割程度、潜在疾病7割と伝えられる(同病院刊「若月俊一から何を学か」)

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若月医師は「予防は治療にまさる」を掲げ、保健師らと地域をくまなく歩いた。住民自らが食事や衛生環境の改善、早期発見・早期治療に取り組む「長野モデル」と言われる地域医療を切り拓いていく。その実践を「皆保険」体制が支え、後押しした。


もともと日本の医療保険制度は、1927(昭和2)年施行の健康保険法から始まった。職場の仲間で作る「職域(被用者)保険」の誕生である。

一方、主に自営業対象のため仕事も収入もバラバラで、保険料の給与天引きもできない「地域保険」作りは難しく、1938年の国民健康保険法でやっと実現する。だが、戦時下の「強兵」政策の一環のうえ、組合方式・任意設立・任意加入で普及は遅れた(戦後は市町村運営にされたが、任意設立のままで、特に保険料徴収が難しい大都市部での設立は進まなかった)。

長く、大きな「空白」を埋めるため日本的な知恵と工夫で「皆保険」の枠組みが設計された。1956年、鳩山一郎首相は「全国民を包含する総合的な医療保障」を施政方針で宣言した。次いで石橋湛山(たんざん)内閣は翌年度から市町村の国民健康保険(市町村国保)の普及を促す4カ年計画に着手した。
そのうえで、すべての市町村に新たな「国民健康保険」という地域保険の設立が義務付けられた。国民は自分の住む市町村国保へ強制加入が原則にされた。ただし、勤め人と家族は職域(被用者)保険に加入してもよい、という棲(す)み分けだ。

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既存の大企業従業員らの健保組合、中小企業従業員らの政府管掌(かんしょう)健康保険(現在の全国健康保険協会通称「協会けんぽ」)、公務員らの共済組合を温存しながら、各地で育ちつつあった地域保険を列島の隅々まで広げたのだ。
いわば市町村国保は大地のような位置づけで、職域保険は、その上に並び立つビル群の形である()。勤め人は定年退職やリストラ・倒産時には通常はビルから出て、自分の住む市町村国保へ移る。農業らの自営業者が勤め人になると、逆にビル群へ入る。

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※国民皆保険
 

日本が戦前から医療保障のモデルとしたドイツでは、各種の疾病(しっぺい)金庫(公的な組合)が医療保険を運営し、いまも高級官僚や高額所得者は民間の医療保険加入を認められる。
日本では独特の市町村国保という地域保険を基盤に、完全な皆保険体制を築いた(保険料の支払い能力がない生活保護世帯は除外され、公費による医療扶助(ふじょ)を受ける)。この枠組みは発足から半世紀余の現在も基本的には変わらない(発足時と異なるのは、2008年度に75歳以上対象の後期高齢者医療制度が創設されたこと)。


ただし、当初の市町村国保の給付率は5割にすぎなかった。つまり医療費が1000円なら窓口負担(一部負担金)は5割の500円も払う、ささやかな船出でもあった。
さらに難問は、病院や診療所が絶対的に不足し、「保険証は手にしたが、使いようがない」との不満・批判に、どう対処するか。
だれでも、いつでも、どこででも、健康保険証を手に医療サービスを受けられる、いまでは当たり前の枠組み・仕組みを育てるのは「壮大な事業」だったのだ。

第5回・医療「日本型の長所・短所」へ続く。


執筆:宮武 剛
    元新聞記者。
    30年以上福祉の現場を歩きまわって取材を続けているジャーナリスト。
    社会保障、高齢者福祉の専門家。


連載【社会保障70年の歩み】
プロローグ「首相への挑発状」
第2回・生活保護「1年パンツ1枚」
第3回・生活保護「水と番茶の違い」

コメント

皆保険制度があることで,一定の医療サービスを受けることが可能であるということのありがたみというのを,今の自分は理解できないなと思いました。

投稿:いとう 2015年05月06日(水曜日) 16時45分

体調が悪ければ医者に診てもらうのが当然ではない時代があったのですね。日々使っている保険証にこのような長い歴史があったとは知りませんでした。

投稿:niseko 2015年03月10日(火曜日) 19時31分

昨今問題を多く含む社会保障。どのような歴史を辿って現在に至っているのか、興味深く読ませていただいています。今回は、若月医師の活動を知り、当時の状況を想像しながら理解することができました。次回も楽しみにしています。

投稿:京子 2015年02月08日(日曜日) 21時54分