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画家・山下清の素顔について考える 前編

2016年03月07日(月)

WebライターのKです。

3月10日は放浪の天才画家・山下清の誕生日です。最近とみに評価の高くなった障害者アートの先駆者として山下清を紹介できないかと考え、山下清の作品を管理されている甥の山下浩さんに連絡をとりました。すると、「山下清の絵は障害者アートではありませんので、再考いただきたい」というメールが寄せられました。そして「山下清は障害者なのですか。本人も家族もそうは思っていませんよ」という問いかけもいただきました。

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山下清に関しては、美術だけではなく、心理学や精神医学など、
さまざまな分野の書籍が出版されています。

 

知的障害者に対して人々が抱くステレオタイプのイメージに本人やその家族が苦しめられることは、しばしば起こることです。ランニングと半ズボンにリックサック姿で、「ぼっ、ぼっ、ぼくは、おにぎりが好きなんだな」という独特の口調で話す裸の大将・山下清。映画やテレビのイメージと実像はどのように異なるのか。山下清さんと11年間一緒に暮らした山下浩さんに直接お会いして、お話をうかがうことにいたしました。浩さんは現在55歳。大手通信会社の社員で、東京の虎ノ門にお勤めということで、ウィークデイにオフィスのそばの喫茶店でインタビューしました。


ライターK : 「山下清の絵は障害者アートではない」というメールをいただきましたが、詳しい話をお聞かせください。

山下浩 : まず、山下清は自分のことを障害者だとは思っていません。そして一緒に暮らしていた、私たち家族もそうは思っていません。生活に支障があることが障害ならば、おじは何年も放浪生活を続けられるぐらい生活力がありますし、有名になってからは絵画で生計を立てて自立もしていました。絵を描くことを仕事と認識していて、少しでもいい絵を描こうと努力もしていました。

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甥の山下浩さん。
1960年から1971年まで山下清と一緒に暮らしていました。


ライターK : 日常生活において知的障害者だと感じられることはなかったのですか。

山下浩 : ほとんどないですね。唯一あるとすれば、おじは質問魔で、周りが「そんな質問するな」と思うことを平気で聞いてしまうところがあって、それは困ったなと思っていました。それぐらいですかね。

ライターK:軽度の知的障害があって、IQは70~80だったと、山下清さんの存在を世に広めた精神科医の式場隆三郎さんは書いていますよね。

山下浩
:実は、山下清は正式に知能測定を行ったことがなく、それらの数字には何の根拠もないのです。決して高い知能をもっていたとは思いませんが、障害者というほどの低いレベルではなかったと思っています。

ライターK:しかし、山下清さん自身も「自分は生まれつき頭が弱い」と、よく周囲に話をしていたようですよね。

山下浩 : 
本人が言う「生まれつき頭が弱い」というのは、障害があるという意味ではなく、「学校の勉強ができない」という意味でした。確かに知的障害者の養護施設である「八幡学園」に預けられていましたが、戦前には医学的に診断のついた子どもだけが入園していたわけではないのです。

ライターK : 知的な障害がなかったとしても、山下さんの作品に自閉症のアーティストと共通するところがあることや、日常生活における山下清さんのこだわりや記憶力のすごさから推測すると自閉症の傾向があったとは言えるのではないでしょうか。

山下浩 
: それはそうだと思います。ただ、それも日常生活が送れないほど極端なものではありませんでした。

ライターK : 海外の研究者の中には、山下清さんを映画の「レインマン」の登場人物のように知的障害のある天才、サヴァンだと言っている人たちもいますね。

山下浩 
: おじはスケッチもしないで、放浪先で見た風景を記憶だけを頼りに緻密に描くことができました。その描写が正確だったことから、そう言われるのだと思います。サヴァン的な能力があったのは事実だと思います。でも、おじの絵は「写実」ではありません。写真のように記憶した映像を再現したのではなく、「心象風景」を描いたものです。目の前に電信柱があっても山下清は描きません。その電信柱が心の中に入ってこなければ、決して描かないのです。

ライターK : 障害者アートは、現在美術の世界で評価が高く、注目が集まっているので、その歴史に山下清さんが位置づけられないというのは、寂しい気もするのですが。

山下浩 
: 障害者のアーティストが活躍の場を広げることはすばらしいことですし、応援したいと思っています。ただ、その作品を「障害者アート」という概念で括る必要があるのかどうかは疑問です。作風でジャンル分けするならわかりますけど、描いた人が障害者かどうかというのは作品とは関係のないことでしょう。逆に「健常者アート」という概念が成り立つかどうかを考えてみればわかると思います。

ライターK : 山下清の絵を作風でジャンル分けするとどうなりますか。

山下浩 
: 既存の絵画の技巧やその時々の流行にとらわれず、自分の描きたいものを素直に描き、それでいて大変個性的な作品に仕上げた。フランスの画家のアンリ・ルソーなどを表す「ナイーブ派」という評価が自分としては一番しっくりきますね。美術関係者で山下清を「ナイーブ派」に位置づける人は多いです。亡くなられた版画家の池田満寿夫さんもそのように評価されていました。

ライターK : 山下清の作品を若い世代にはどのようなものとして見てほしいのですか。

山下浩 
: 実は、私も子どもの頃、おじと一緒に貼り絵をやっていたのです。それで、小学生の頃は、私の方が明らかに上手かったのです。でも、私の貼り絵には山下清のような魅力はありませんでした。おじの絵は一見子どもの絵日記のようでありながら、目を凝らすと驚くほど緻密に美しく仕上げられています。その不思議な魅力に先入観なく、そのまま触れてほしいと思っています。そして、年齢とともに新しいことに挑戦し、絵の技術を向上させていった山下清の成長する姿も知ってほしいと思っています。



中編では、山下清の人となりについてインタビューをしましたので、続けてお読みください。

 


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