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Road to Rio特別編 ~パラリンピック、かかわる人々。Vol.2 NPO法人シオヤ・レクリエーション・クラブ 塩家吹雪さん~

2016年04月20日(水)

「パラリンピック、かかわる人々」を伝えていこうと思ったときにまずお名前が浮かんだのが、水泳の寺西真人さんと、陸上の塩家吹雪さんでした。

おふたりとも、教え子に全身全霊で向き合っていて、どこかちょっと鋭さを秘めている・・・。

 

今回は、塩家さんが主宰されているNPOの活動を二つ取材しました。

まず最初は、千葉市の後援もあった一流アスリートと子どもたちの交流会。塩家さんのNPOが主催したものです。

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アスリート・スポーツ交流会in千葉


4月3日(日)は、千葉市「青葉の森スポーツプラザ陸上競技場」でトップアスリートと子どもたちの交流会が行われました。こちらは千葉市長やチーバくんも“応援”で参加していました。


002_DSCN9842.JPG『いつでも、だれでも、どこでも、気軽に、楽しく』できる、県民体操の「なのはな体操」。市長もチーバ君ももちろん参加!



さまざまな子どもたちが体を動かすことが目的のこのイベント。一方で、個人的に興味深かったのは、アスリートの実演を身近に感じられることです。

002_DSCN9920.JPG走り高跳びのパラリンピアン・鈴木徹選手は、子どもたちの目の前で、飛ぶ!


003_DSCN0025.JPGひっかかっちゃったけど…“チャレンジ”することが、大事!


004_002_DSCN0401.JPG先頭の二人のうち、右は世界選手権に出場経験がある木村慎太郎さん。左はパラリンピアンの多川知希選手。二人とも短距離走者、(おそらく)本気の走り!


005_DSCN0407.JPGこちらは女の子と追いかけっこをする多川選手。笑顔がやわらかいですね。


006_DSCN0268.JPG真ん中(青緑のウエア)は、二度オリンピックにも出場し、世界選手権で銀メダルも獲得しているマラソンの土佐礼子さん。みんな、走りながら笑顔です。


007_IMG_2092.JPG目の前でハードルを飛ぶ八幡賢司さん。そのジャンプの高さに、子どもたちはびっくり!


008_IMG_2248.JPGみんなでたくさん運動した後は、チーバくんと交流!中にはチーバくんの鼻にぶら下がる子も!まだまだ元気いっぱいでした。


第66回千代田区陸上競技選手権大会


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4月10日(日)は江戸川区の陸上競技場で行われた「第66回千代田区陸上競技選手権大会」。今回、塩家さん主宰のNPOから自閉症や知的障害の子どもも参加しました。いわゆる健常者の陸上競技大会では当たり前のように参加できないことが多いのだそうです。

 

なぜ“健常者の大会”に知的障害や自閉症の子どもが参加できるようになったのか?

それは、塩家さんたちの団体の身体障害や視覚障害の選手が十数年前から千代田区の大会に参加して「障害者が当たり前に健常者の大会に出る」ということを継続して実践していることもあり、今回の新たな取り組みに関して千代田区陸上競技会や東京陸上競技協会の方々の理解と協力があったから実現できたとのことでした。

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こちらは室津侑大さん(中1)と、伴走のスタッフ・河野恵美子さん。


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水色のユニフォームは、塩家さんが主宰するもう一つの団体「AC・KITA」。いちばん右の吉川琴美選手は、T37という脳性まひのクラスで、100m、200m、400mの日本記録保持者です。

 

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水澤奈音(なお)ちゃん(小5)は、小学生女子100m決勝のレースに出場しました。

 

 

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スタート!

 

 

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塩家さんは「奈音は速いよ!視覚障害の選手で小学生100mを走る女子なんていないからね。中学男子、下手すると高校生より早いんじゃない?間違いなくこれからパラリンピックに出るね」と言っていました。

この写真をみると健常者の女の子よりは遅く見えてしまうのですが「健常の子と走ることが絶対に大事。前に進みたい、負けたくない気持ちが生まれるからね」と。

 

 

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山本晃大(こうだい)くんは小学校2年生。4~5歳の時に自閉症と診断されました。

もともと体を動かすのが大好きだった晃大くん。一昨年の11月から 参加しています。最初は手をつないでいないとまっすぐに走れなかったそうですが、半年ぐらい経ったころからひとりでまっすぐ走ったり、リレーが終わったら戻ってこれるようになりました。「こちらの先生たちがすごく…なんていうか。晃大を“認めて”接してくださっているので、そういうところで信頼関係がたぶんうまれて、自信につながってきたのかなって思います」とはお母さんの言葉。

 

晃大くんはまだ“本気”というのがわからないようで、時には隣レーンの子が気になったり、その子に合わせてしまったり、横に走ったりすることもあるとか。お母さんは「今日もまっすぐ走れるか、不安ではあるんですけどね(笑)」とおっしゃっていました。

 

107_DSCN2949.JPG多動などの“特徴”がある晃大くん。スタート地点でスタッフが支え、ゴールの方向を丁寧に伝えるなどのサポートを行います。こちらは大会側の配慮があって実現することができました。


108_DSCN2963.JPG小学生男子50m1組目。7レーンで、スタート!


109_DSCN2968.JPG110_DSCN2973.JPGゴール!まっすぐ走ることができました!


111_DSCN3004.JPG小学生男子50m2組目。3レーンの清宮千尋くん(小2)と、7レーンの森龍之介くん(小2)は知的障害です。


112_DSCN3009.JPGゴールを目指しまっすぐに!



113_DSCN3044.JPGみなさんのゴールを迎えに行った塩家さん。とてもうれしそうで何度も何度も「いやあーよかった!」と言っていました。


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無事に完走後、記念撮影を。

 

 

 

走り終わった子どもたちを見ていて、私も思わず感動してしまいました。

今回、こちらの陸上競技大会を取材しようと思ったのは、ある女性スタッフからのお知らせを目にしたからです。

「かけっこ」から広がる世界がある。


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河野恵美子さんは1年くらい前からこちらのスタッフになりました。もともと高校時代に陸上をされていて「もう一度、走りたい」とクラブに体験申し込みをしました。子どもたちの手伝いをするのが新鮮で「一緒に走ったりするのが楽しくなって。慣れていないことはあるんですけど、いろいろ試してみたいなと思いました」とおっしゃっていました。

 

高校の3年間、陸上部だった時には障害のある選手と一緒の大会には出たことがなかったそうですが、このクラブで伴走やサポートをしたことで気づいたことがあるそうです。

「こういう機会は、例えば目が見えない人にとっては、すごい世界が広がることなんじゃないかなって。ああそういうこともできるんだってハッとしました。何より子どもたちがすごい生き生きしていますし、お母さん方も『こういう大会に出れるとは思わなかった』って。私はまだ慣れていないので勉強中なのですが、自分がお手伝いをできればいいなって思います」

 

 

塩家さんはお母さんたちとひとしきり喜びあい、少し興奮気味にお話してくださいました。

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いやあ~ちょっと俺、うるうるしちゃいましたよ!

 

――「まっすぐ走れるすごさ」という風にさきほどおっしゃっていましたけれども。

ほんとっすね!最高っすね!

 

――練習でまっすぐ走れることはあるのですか?

走ってないっすねもともと。ふにゃふにゃ行ったりとか、線踏んだりとか、なんていうのかなあ、選手のほうに行ったりとか・・・。だから、ちゃんと走ってないですよね・・いやあ・・・良かったっす・・・。お母さん方も、同じ気持ちだと思いますよ。

この大会に出させようって言ったのは僕なんで、やっぱり総責任者として、まずはタイムよりもちゃんとゴールまでしっかりたどり着いてもらいたいっていうのが一番のテーマだったんで。健常の大会に出ているのでもちろん決して速くはないですし、競争できる子たちでもないですけど、でも『かけっこが好きだ』っていう、僕らが大人になっていくと忘れる“かけっこ”を好きな子どもたちが障害の垣根を越えて、こういうところで走れることは子どもの本来持っている本能だと思うんですよ!残念ながらその本能を我々健常者が『障害者はでられません』とか、そういう環境にしてしまっていることが僕は違うんじゃないかとずーっと思っていて。


今回、こういう大会で走ることができるっていうことがわかれば、それを見たり聞いたりした方が、「あ、なんだ。あそこに行けば走らせてもらえるんだ」ってことで、それで全国に広まればと思ってるんです。

我々がやっていることは決して独り占めしているってことではなくて、これが“当たり前”になっていってほしい。東京だけではなくて、大阪だったり九州だったり北海道だったり、いろんなところで、障害がある人も、ちゃんと一般の大会にでることができるんだと、出してもらえるんだと、そういう環境にしていくというのが僕の目標ですね。

 

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――子どもたちにとって、スポーツとのかかわりや大切さを、ご自身の中ではどう思われますか?

勉強よりも一番大事なことだと思いますよね。障害の子どもたちに限らず。

子どもっていうのはどろんこになりながら、ひざこぞうをすりむきながら、お父さんお母さんに怒られながら(笑)、大きくなっていくものだなって思うんですよ。そういった、私みたいな昭和の男が、そういう環境を整備してあげないと。

たぶん障害があるこの子たちって、一生、表で走ったりすることはなくなっちゃうんだろうなと。そこが僕の中ではどうしても納得がいかなくて、子どもは本来、表に行くものであって、ゲージ(檻)の中に閉じこもってゲームとかをするものではないと思うので、そういう垣根、そういう生活スタイルを“壊したい”。本来の、子どもの自然な形を、取り戻してあげたいっていう思いが一番です。 



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塩家さんのかかわりかた。


「どうしても納得がいかない」

その思いが塩家さんを大きく動かしているのだと、今回の取材を通して思いました。

 

外に出ることをあきらめていたり、なかなか運動をすることがうまくできない子どもたちが、いつでも好きな“運動”ができるようになること。そして、そういう子どもたちが少なからずいるということ。

パラリンピックが、気づきの一つになればと願います。


 

塩家吹雪さんプロフィール

1971年4月24日、新潟生まれ。
特定非営利活動法人 シオヤレクリエーションクラブ 理事長。
AC・KITA 代表。
日本パラ陸上競技連盟 普及振興委員。
1990年、現在のAC・KITAの前身となる陸上クラブチームを設立。
2000年、視覚障害の短距離選手の入部をきっかけに障害者スポーツと出会う。
その後、伴走者として数々の国際大会に出場し、2004年アテネパラリンピックでは100mで8位に入賞。2012年ロンドンパラリンピックにおいては、陸上日本選手団のコーチを務める。
また、その頃より都内で視覚障害児への陸上指導を開始。口コミにより徐々に活動が広まり、障害の種類や有無を問わず誰もが参加できる陸上教室を定期的に開催するようになる。
2014年、千葉においても活動を開始。2016年4月1日付で法人としての活動を開始する。様々な障害のある子どもたちが健常児の陸上大会に出場することを実現するなど、先駆者的な取り組みを続けている。 

 

このコラムでは、パラリンピックの周辺にいる人たちの、日々積み重ねられる人間ぽさ、迷い、嬉しさなど、パラ競技との“かかわりかた”をお伝えすることで、みなさんが障害のある方々と共に生きていく時間をリアルに感じ、それぞれひとりひとりの想像の可能性がより拡がるきっかけになることを願っています。 


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