本文へジャンプ

"支える"ってなんだろう ~「子どもの虐待」から考える~

2013年08月26日(月)

みなさん、夏休みいかがお過ごしですか。
聞こえてくる、子どもたちの元気な声!
夏休みですから開放的になりますよね。

そんな子どもたちを夜の街から守りたいと、
私も、子どもが通う小学校のPTAが主催する
「おやじパトロール」に参加してきました。

20130826_yamaken.jpg
この集団の方があやしい!?

さて、「子どもたちを守る」ということで言いますと、
19日から22日まで放送した「シリーズ「子どもの虐待」どう救うのか?」
重いテーマですが、目を背けてはいけない問題です。
再放送もあります。26日から29日まで午後1時5分からです。
ぜひご覧ください。



このほど、新しい数字が厚生労働省から発表されました。
今年3月までの1年間に、
全国の児童相談所が把握した児童虐待の件数は、
前の年度よりも6800件以上増えて、およそ6万6800件と
過去最多に上ったそうです。
厚労省は「相次ぐ虐待事件で市民の関心が高まり、
周囲の人たちからの通報が増えているためではないか」と分析しています。


「実数が増えているかどうか」の分析も大事ですが、
“今、実際に虐待を受けて苦しんでいる子どもがいる”ことに
重心を置かないといけません。


そして、その子どもたちが大人になる。
大人になっても、心の傷が癒えず、生きづらさを感じている人も多い。
虐待を受けた人が自ら立ち上がろうとするエネルギーは、
生きるための必死の闘いから生まれるものです。


では、私たちはどう接したらいいのか。
22日の放送(再放送29日)で討論に参加された柳谷和美さんから、
次のようなメールが届きました。
一つの考え方として参考になるかと思い、
柳谷さんから了承をいただき、転載します。
子育ての参考にもなるのでは、と思います。


※「おやこひろば 桜梅桃李」代表・メンタルカウンセラー
柳谷 和美 (やなぎたに かずみ)さん


虐待や、性暴力の当事者として私が思うのは、
結局、立ちあがるのは、本人のチカラしか無いということなんですね。
もちろん、立ちあがるためのサポートや支援体制などを
充実させていく必要はありますが、
それを選択し、そこから勇気を持って行動を起こすのは
その本人でしかないんだと思います。

突き放すような感じがするかも知れませんが、
支援する側としては、
「いつでも、ここにいるよ。辛い時は、そばにいるよ」
それだけでいいと思うんです。


人は、誰かが苦しんだり悲しんだりすることを
早くなんとかしてあげなくちゃ!って思いがちですが、
それって、「自分が見ていたくないから」なんですね。
「あなたのためを思って」って言うけど、
自分が見るのが辛いだけなんですよね。

いつまでも、悲しむ姿を見ているのが辛い。苦しい。
だから、手を変え品を変え、
早く!早く!と回復を押しつけてしまうんですよね(^_^;)

骨折れて、まだ繋がってもいないのに、
走れ~!って言うてるようなもんなんですよね(笑)
辛くて、苦しくて、痛い!痛い!!ううう~~~って時間も
回復のためには、必要なんですよね。

ギプス付けて、安静にしててください的な時間。


幼少期の虐待は
思春期や、オトナになってから気づいたり
苦しくなってきたりして、
最初は、一人、悶々と苦しい長い時間をすごす。
そして、「どうにかしてよ~」って病院のドアを叩く=支援を求めたときに
必要な支援を提供してあげる。

それでも、「やっぱムリ」って場合もあるし
「苦しいけど、前進してみる」ってチャレンジもあるだろうし。
チャレンジしてみたけど、うまくいかなくて落ちこむこともあるだろうし。

いずれにしても、どういう状態になっても
支援する側は、「それでも、あなたを信じて、そばにいるよ」って
姿勢が大事なんじゃないかな~って思っています。


そのためには、支援側が、まず、
自分自身の可能性を信じていることが大事だと思うんです。
どんなになっても、人間は必ず立ちあがるチカラを持っている。
ワタシも例外なく、立ちあがる勇気と希望を持っているって信じています。

ワタシの場合は、
性暴力の加害者や、虐待してきた両親へ、憎しみ、
恨み、復讐心でグルグル巻きだったころは、
結局、振り返ってみると自分自身の可能性を信じてなかったですね。
どうせ、ワタシは何やってもウマくいかんし。
どうせワタシは、不幸にしかならんし・・・って(笑)

長い間、心のモヤモヤしたモノが他力本願で
「誰かなんとかしてくれよ~」って叫んでいた感じがします。
今の夫と出会ってから、カウンセリング技術を学びに行ったり
自分自身も、カウンセリングを受けてみて、
自分と、苦しくてしんどかったですが、向き合ってみて
あ~私も、たくさんの人を傷つけて、苦しめて悲しませたけど
それでも、「立ちあがりたい」って気持ちを持っているんだ、
変われることができるんだ!
って、気づくことができたんですね。


虐待や、性暴力、DV被害者は、ただ「かわいそう」な人ではなく、
立ちあがるチカラを持った原石なんだと信じて見守る。
必要なときは、必要な支援を提供する。
それでいいんだというところに来ています。

被害に遭っていない人たちが、
被害の実態を知りつつも、
幸せな社会活動をしていくことが、
結果的に、被害に遭った方への
必要なサポートができる体制づくりに繋がっていくのだと思います。
被害に遭ったら、支える人がいないんじゃ
人類滅亡してしまうくらい、大げさに思っています(笑)。

コメント

※コメントはありません