うつサポート情報室 いきいきした心をとりもどすために
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体験談

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体験談 >> NO5
05

対人恐怖、リストカット、自殺未遂…
そんな私を救ってくれたのは“お笑い”、そして
ネットで知り合った“友達”

  愛知県 20代 女性  
 私はうつ病治療歴5年です。
学校でのいじめや両親の離婚などにより物心ついた頃から自殺願望があり、初めての自殺未遂は小学校5年生の時でした。社会人として働いても集中力がなく、衝動的に仕事を辞めて転職する日々。ますます自殺願望が強くなって「これではいけない」と思い病院を受診した結果、うつ病と診断されました。

 しかし当時の主治医との相性が悪く、通院を無断で中断して処方薬も飲まなくなりました。
これがいけませんでした。職場でやはり集中力はなくテキパキと動けなかったので同僚から「できない人間」というレッテルを貼られ、自殺未遂も何度かしてしまいました。リストカットも始めました。

 別の病院を受診すると「再発」を宣告されました。今までの集中力のなさも、衝動性・自殺願望もうつ病の症状である事を詳しく教えて下さり、仕事を辞めて病気をしっかり治そうと決めました。しかし、いつ治るのか、自分はもう一度やり直せるのかと不安になり、対人恐怖や踏切の音が「死ね」と聞こえるといった幻聴もあったので家に引きこもりました。やはり自殺願望が強く自殺未遂やリストカット(リストカットが多かったです。)をしては家族に迷惑をかけました。家族曰く、その頃の私は表情がなかったそうです。

 そんな私を救ってくれたのは、偶然観たテレビの「お笑い」番組です。それまでの私は、笑う事もなくただただ泣いている日々を過ごしていました。「このまま笑う事もなく死んでいくのだろう。」とも思っていました。しかし、ある日偶然そのお笑い番組を観た時、初めはいつものようにボーッとベッドで横になったままだったのですが、芸人さんのやり取りが本当にすごく楽しくて、気づいたら椅子に座って大笑いしていました。そして私を楽しませてくれた芸人さんに「ありがとう、ありがとう。」と泣いていました。

 それ以来、私は自分を楽しませてくれた芸人さんのファンサイトを訪問するようになりました。一番初めの投稿の内容は今も覚えています。『私はうつ病です。芸人さんのおかげで笑えるようになりました。』。本当は、自分がうつ病である事を明かすのが怖かったです。うつ病は、悲しくも偏見があるので・・・。しかし、サイトの管理人さんの返信は、『すごいです!!あなたの心が救われて本当によかったです!!』でした。とても心優しい管理人さんでものすごく嬉しかったです。

 対人恐怖はあるものの、管理人さんの優しい返信のおかげで、顔の見えない文字の会話でみんなとお話をしていました。ある日、《芸人さんとの交流会がある》という事で話題になりました。私もみんなも『行きたいね』と話していました。そしたら、ある方が『もしよかったら、一緒に行かない?』と誘ってくださったんです。私の答えはもちろん『OK』で、その交流会が1泊2日の旅行のような感じだったので事前にお互い会ってみたいという事になりました。

 彼女と会う日、正直すごく怖かったです。『私と会っても楽しくなるかな?何かあったらどうしよう?』、色々な事が頭をかすめました。しかし実際に彼女と会った時、その不安はすべて吹っ飛びました。お笑いの事、自分たちの日常の事を語り合って笑い合いました。

 芸人さんとの交流会の日には、他の参加者の方々ともたくさんお話して声がかれるぐらいみんなと笑いました。「人と接するという事は楽しいんだ!!」と、気づいたら対人恐怖は薄れていき、今では出会ったみんなとメールしたり一緒にライブを観に行ったりして人と接する事を楽しんでいます。今では誰と話しても怖くありません。友達に大感謝です。

 実は私も小さいながらファンサイトを運営するようになりました。そこにはうつ病をはじめとする心の情報を少しだけですが掲載しています。驚いた事に、よく『私も心の病気でお笑いに救われた』とメッセージをいただきます。「お笑い」は人に笑顔をプレゼントしてくれます。心に効く薬の1つなのかもしれません。

 薬の効果もあって症状は良くなり、病院の職員さんからも「元気になったね!!」とよく言われます。今は週に2回デイケアにも通って仲間と楽しく過ごしています。自殺未遂やリストカットも気づいたらしなくなりました。まだ眠剤がなくては眠れないし、気分の落ち込みや妄想が少しありますが、この調子で治療をしっかりと続けて社会復帰したいです。

 そんな私に夢ができました。この病気になって一番困った事は、病気とそれに対する保障の知識のなさでした。情報や知識がなく同じように苦しんでいる皆さんために、将来、精神保健福祉士になりたい。そう思っています。

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