特集「福島智、障害者殺傷事件を語る」
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(2020年3月29日(日))
ゲスト:福島智さん(東京大学教授・盲ろう)
聞き手:宇野和博さん(コメンテーター/筑波大学付属視覚特別支援学校教諭)、高山久美子 ディレクター
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- 高山
- 特集です。相模原市の知的障害者施設で入所者19人の命が奪われた事件。
今月16日、横浜地裁で植松聖被告に死刑判決が言い渡されました。
今日は改めてこの事件について考えます。
スタジオには、全盲ろうの東大教授、福島智さんにお越しいただきました。
福島さんは2018年9月に植松被告とも実際に接見されています。
福島さん、よろしくお願いいたします。
- 福島
- よろしくお願いします。
- 高山
- 横浜地方裁判所は、被告は事件当時、責任能力があったと認めたうえで、「19人もの命を奪った結果は、ほかの事例と比較できないほど重大だ」として検察の求刑どおり死刑を言い渡しました。
福島さん、率直にどうお感じになりましたか。
- 福島
- そうですね。死刑を取り入れているこの国で、彼のような犯行を行ったものにあてはめるとすれば、死刑しかないんだろうと思うのですが、逆に言えば、この国と社会が、あるいは法律が彼に対してできることは死刑しかないのかという、妙な無力感がありました。
判決文を読んで
- 高山
- 判決文全文をお読みになられて一番気になった部分はどの部分でしたか?
- 福島
- おおむね妥当な判決文だろうとは思うんですけれども、動機の形成過程については「到底認められないが、理解は可能だ」ってどういうことなのかというのが引っかかりましたよね。多くの人にとっては認めることもできないし、理解もできないと思うんですが。
- 高山
- はい。
- 福島
- もう1つ、そのすぐあとで、そして、この動機は「障害者施設での勤務経験や体験を踏まえたもので、病的な思考障害によるものとはいえない」と裁判長は書いていますけれども、大麻等による病気でなかったとして、なぜこういうことをおこなったかというときに、確かに彼が勤めていた施設でいろいろなマイナスの影響を受けたかもしれないけれども、施設での勤務経験などが影響しているというふうに断言できるほど法廷で勤務の状態などが詳細に明らかになったのかというのがちょっと疑問ですね。
- 高山
- では、その判決文の中からその部分、読みたいと思います。
(判決文より)
「職員が利用者に暴力をふるい、食事を与えるというよりも流しこむような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった。」
重度障害者の入所施設の現実
- 高山
- 判決文にも施設での生活のことが書かれているわけなんですが、重度の身体障害があり、自らも障害者施設に入所していた経験がある参議院議員の木村英子さんは次のコメントを公表しています。
(木村英子さん発表コメントより)
「このような残虐な事件がいつか起こると私は思っていました。なぜなら、私の家族は障がいをもった私をどうやって育てたらいいかわからず、施設にあずけ、幼い私は社会とは切り離された世界の中で、虐待が横行する日常を余儀なくされていたからです。
小学生の頃にいた施設では、トイレや食事など時間で決められており、機嫌が悪そうな職員にはトイレに連れて行って欲しいと言えず、機嫌の良い職員が通りかかるのを、じっと待ったりすることが何度もありました。夜中に、トイレが我慢できず、怒られることが怖くて、一人で廊下をはってトイレまで行こうとしましたが、結局間に合わず、おもらしをしてしまい、職員に折檻された上、「お仕置き」として狭い場所に閉じ込められたことがあります。職員の言うことを聞かなければ、常にお仕置きが待っていました。
施設では、私に与えられた空間はベッド一つだけ。決められた時間に、食事、トイレ、入浴をし、外出することも許されず、好きなものも食べられず、会いたい人に会えない、そんな自由のない、権利が奪われている生活があたりまえの現実の中で、施設生活が長ければ長いほど、絶望し、希望を失い、顔つきも変わっていく。心が死んでしまうほど劣悪な環境でした。
職員は少ない人数で何人もの障がい者の介助をベルトコンベアーのように時間内にこなし、過重労働を強いられます。職員自体も希望を失い、人間性を失っていき、目の前にいる障がい者を、人として見なくなり、虐待の連鎖を繰り返してしまう構造になっていきます。このような環境では、植松被告のような職員が出てきてもおかしくないと思います。
- 高山
- 福島さん、木村さんのコメントですが、障害が重い人の、施設入所の現実と、
この事件との関係について、どうお考えですか?
- 福島
- 関連性はあるのであろうと思います。職員として入ったときには、入所者に対してプラスの評価をしていて、そのあと変わっていったということはありますので。ですが、殺害するというところはなんなのかということを、ずっとわたしは、今も考えていますね。たとえば彼が衆議院議長に出した手紙で、「障害者には金がかかるから抹殺したほうが景気対策になる」みたいな、非常に単純で幼稚なことをいっている。最近わたしが思うのは、それは嘘ではないか。嘘とはいわないけど、彼自身が勝手に捏造した話であって、あとから付け加えたことであって、本当はとにかく重度障害者を殺害したかったのではないのかという、そんな思いがあります。日本の場合でも障害福祉関係の予算は1.5兆円であって、GDPの0.3%にしか過ぎない。その1.5兆円をカットしたところでなにも変わらない。そういう単純なことを彼は知らない。だけど大きなことをいっている。ということは、あとづけでなにか理由をつけて、彼の中にはなにか重度の障害者を殺したい、殺さなければいけないという理由があったのかもしれないと思っています。それはなにかというと、想像でしかありませんが、職員として勤めたところで見た非常に弱い立場の重度障害者、その障害者の存在を否定し、無に帰することができれば、相対的に自分の存在価値が上がる、コンプレックスとかを弱めることができる、そういった恐ろしい発想があったのではないかという気が最近してきています。
- 高山
- はい。