「ふれあい」の喫茶店にいらっしゃい
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- 遠田
- お昼が近づくと、しだいにお店もにぎわってきます。
【カフェの中】
- スタッフ
- なにを頼みますか?
- 客
- カレーライスと、ケーキ。
- 遠田
- メニューの1番人気はなんといってもカレーです。サラダがついて400円という値段も魅力です。他に、紅茶のケーキやバナナケーキも、手作りの優しい味で評判です。
- スタッフ
- カレーお待たせしました。ラッキョウよかったら、取ってくださいね。そこにありますんで。ゆっくり召し上がってください。ありがとうございます。
- 遠田
- ハキハキとお客さんにラッキョウを薦めているのは秋月理恵子(あきづき・りえこ)さん。カフェではケーキ作りや、ご飯を炊く仕事を担当しています。難聴という障害がありながら、長年百貨店で販売の仕事をしていましたが、病のためにしだいに目が見えにくくなり、辞めざるを得ませんでした。時を前後して、夫が急死。途方に暮れていたときに、人づてに盲ろう者友の会の存在を知ったといいます。
- 秋月
- 主人が急死したのと、それとそのね、仕事がね、行けないでしょ?受け入れられなくてね……。もうそこからずっと、こもってたんです。ヘルパーさんとしゃべってばっかりで、ひきこもり状態になっていたらここにね、話聞いてもらったんですよ。今いらっしゃる方にね。カフェまだそのときやってなかったけど、あとでまたやるから手伝ってくれって言われて、お客さんがたくさんね、来てくれはるし、名前覚えててくださって、「来たよ!」とかね、それが楽しみで、入らせてもらってます。今はね、すっごい楽しいですよ。お金で買えない喜びっていうのは、ここでいっぱいね、味わわせてもらってます。だから他の方にも、1人でも多く、私と同じようにいろんな、家にこもってる方とか、できない方とかいっぱいいるんで、そこらへんも、ラジオのほうで呼びかけてください。ひとりで悩まないで、遊びにきてくださいって。
- 遠田
- こもりがちだった生活から、1歩を踏み出した秋月さん。かつての販売の経験を生かして、カフェ・タッチの大きな戦力になっています。
一方、井上さんは、店内を回って、積極的にお客さんに話しかけていました。盲ろうの仲間に、カレーの下準備がいかに大変だったかを、おもしろおかしく伝え、場を盛り上げています。通訳は森田和子(もりた・かずこ)さんです。
- 井上
- このカレーの作り方、バナナが入ってるんだよ。タマネギもいっぱい入れて、ぼくタマネギいっぱい切ったわ…。とにかくもうタマネギを切る切る、皮むいて切る切る、ニンジンも皮むいて、細かく切って、牛すじ入れて炊いてるからね、コトコトコトコトずーっと長い時間炊いたんだよ。だから美味しいと思う。とにかく大変でした。
【カフェの中 終わり】
- 遠田
- なんと井上さんは、タマネギを25個も切ったんだそうです。とにかく明るい井上さん、行く先々で笑いが絶えません。しかし、実は井上さんも、家にこもっていた時期がありました。
50歳ごろまで機械の組み立ての仕事をしていましたが、視力の低下とともに、ミスが目立つようになり、会社を辞めることになりました。当時は触手話の存在も知らずに、人とコミュニケーションが取れず、しだいに家から出なくなったといいます。井上さんのお話、通訳は中村千鶴子さんです。
【インタビュー】
- 井上
- 視野が狭くなって、仕事ができない、友だちと話すっていうことも少なくなりましたし、たとえば、相手の手話ですね。ろうの友だちがいて、自分が言っても、相手が言ってる手話が見えない、読み取れないということで、つきあいも減っていきました。もっと今後、目が悪くなって、コミュニケーションを本当にどうして取ったらいいかわからなかったので、盲ろうになったら、どのように生活していったらいいのかなっていうことで非常に悩みました。また、白杖ですね、視覚障害者が白杖を持つっていうことになりますよね?私の場合はその白杖を持つということにも抵抗があったんですね。なにがっていうと、今までろうの仲間だった人たちが普通に接してくれていたのが、自分が視力が落ちて、目が悪くなったんだっていうことで、能力が低下したように、落ちた落ちたって盲になったっていうように、実際言われて、差別的な扱いも受けて、ショックを受けたんです。
きっかけというのは、兵庫県立聴覚障害者情報センターというところに、相談員がいるということを教えてもらったんですね。女性の相談員でしたが、たとえばコミュニケーションの中で、パソコンでコミュニケーションを取ることもできる、携帯が見えるんだったらそれでもコミュニケーションが取れるっていうふうな、いろんなことを教えてもらいました。また、触手話っていう方法、指点字っていうコミュニケーションもあって、たくさんのコミュニケーションがあるんだということを、勉強すれば大丈夫ですよっていうふうに言っていただいて、安心しました。
【インタビュー終わり】
- 遠田
- 自分と同じように、辛い思いをしている人がいるに違いない。そんな思いが、井上さんを外の世界に向かわせるきっかけとなりました。井上さんとともにカフェを立ち上げた、盲ろう者友の会事務局長の平井裕子(ひらい・ゆうこ)さんのお話です。
【インタビュー】
- 平井
- 1つの目標というのかな。それが一般の人と盲ろう者が、普通に触れ合えるところがほしいなっていうのが、大きな目標としてあったんですね。ですから、センターを立ち上げるときに、カフェをするっていうのは絶対やりたいことだったんです。盲ろう者って、社会の中でまだまだ知られてないですよね。で、知っていただく機会っていうのもないと思うんです。でも、たとえば特別に、講演会しますって言っても、なかなかね、興味がなければ行かないじゃないですか。でも、ご飯を食べたり、お茶を飲んだり、お酒を飲むんだったら、ちょっとじゃあ行ってみようかなって思えるかなーって。そういう場を作っていきたいなっていうことでカフェを始めました。
- 遠田
- とはいえ、最初からうまくいったわけではありません。軌道に乗るまでは少し時間がかかったと平井さんは振り返ります。
- 平井
- 本当に最初はもう、試行錯誤だったんですけれどもね。1回目とか2回目っていうのは、なかなか盲ろう者の方も、様子がわからなくてとか、うまくいかなかったりとか、盲ろう者の方は、通訳介助員を通じて、周りの状況がわかりますので、どうしてこれをやらされるのかっていうことも、「え?」って。なんかやらされてる感っていうのかな。そういう感じで、やっぱり途中でパニックになって怒ってしまったりっていうこともあったんですけれども、それを積み重ねていくことによって、盲ろうの方が、この過程をこうすることによって、次にカレーのここが出来上がるとか、そういうことが、1人1人がわかっていって、それが、今につながっているのかなっていうふうに思います。
- 遠田
- じゃあ少し、時間がかかったっていうことですかね?
- 平井
- やっていけるかなと思ったのは、やっぱり4回目5回目ぐらいからですね。やっぱり3回ぐらいの間っていうのは、もうほんっとに支援者側もけっこう大変でしたし、まあ、来てお客さんに楽しんでいただけたら、それでいいのかなっていう感じだったんですけれども、それから、盲ろう者自身で運営していけるっていうことが、盲ろう者の方が、たぶん自信が持てたんじゃないのかな。ここで役割を持って、なんかね、すごいいきいきされているなっていう感じは、見てて本当に変わられました。通訳を通じて、お客様が来られましたっていうお話をすると、もう本当に積極的に盲ろう者のほうから、みなさんのところに行って、お話をして、自然な形で体験していただいてるかなと思います。まだ一歩だとは思うんですけれども、着実に「よし!やったかな!」っていう感じはありますね。
【インタビュー終わり】