今月のトピックス 特集:世界の盲ろう者とともに
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(2018年9月30日(日))
3.アジア盲ろう者団体ネットワーク会議
- 高山
- 何カ国から何名が参加されたんでしょうか。
- 福田
- 日本も含めると8カ国。参加者は33名なんですけれども、うち盲ろう者は11名です。韓国、インド、ネパール、ウズベキスタン、マレーシア、シンガポール、タイですね。
- 高山
- ではここで、開会式での福島智(さとし)さんの挨拶をお聞きください。
(録音再生。開会式での福島智さんの声)
- 福島
- 日本にようこそいらっしゃいました。私は25才の時に、はじめてアメリカの盲ろう者大会に行きました。800人ぐらいが集まっていました。とても大きなカルチャーショックを受けて、こうした大会を実現しようと心に決めました。その後もいろいろ国際会議などにも出ましたし、日本の中でのいろんな団体の運営に関わりました。そして私は、世界中の盲ろう者に共通する、3つの原則を発見しました。第一の原則は、コミュニケーションが生きる上でものすごく大事だという事。第2は、食べる事が好きだという事、そして3つ目はほとんどの盲ろう者団体がいろんな「もめ事」を抱えているという事。多分みなさんの国でも、いろいろな問題があると思います。でも思い出してください。私たち盲ろう者が「ひとりぼっち」だった時は、ケンカする事もできなかったという事。なので、もめたり、議論したりするのは大切な事なので、多いに議論をしましょう。
(福島さんの挨拶、ここまで。)
- 高山
- 会議でのコミュニケーションはどうなっていたんでしょうか。
- 福田
- 例えばウズベキスタンの場合ですけれども、私は日本語の触手話ですけれども、それをロシア語に変えて、ロシア語からウズベク語の手話に変えて、ウズベク語の手話からウズベク語の触手話に変えて、話をする事ができました。
- 宇野
- どんな事が話し合われたんですか。
- 福田
- 1日目がお互いを知る日。2日目が自分たちの事を話す日。3日目はコミュニケーションをさらに深めて楽しむ日ですね。4日目は、これから将来の事、ビジョンや方向性を一緒に考える日。そういう4日間の構成で会議を行いました。
- 宇野
- 何が印象的でしたか。
- 福田
- 一番印象的だったのは、盲ろう者同士がお互い助け合ったり教え合ったりしている様子。それから今まで孤立していた盲ろう者が輝き出す瞬間というのはやっぱりとても印象的で感動的でした。
- 高山
- その輝き出す瞬間ってどういう事ですか。
- 福田
- はい、例えばシンガポールのフランシスさんという方、男性の方なんですけれども、長い間、盲ろうになってから、誰とも喋る事がなくて、孤立していたんです。盲ろうの、弱視ろうのリサさんっていう女性の方がいまして、リサさんは日本で研修を受けて、シンガポールに帰国して、盲ろう者の団体を作るために奔走している中で、フランシスさんを見つけたんですね。今回、日本に来られて、開会式の前に偶然出くわしたんですよ、廊下で。フランシスさんにとって、盲ろう者と会うのは、リサさんと、2人目が私だったんです。その触手話のやり方っていうのが、私とリサさんではちょっと違いますので、はじめは戸惑っていて、私も探りつつ触っていくと、少しずつ、「私も見えないし、聞こえない、同じ」っていう事が伝わった時に、「わー!」ってなって。「本当か!?」みたいな感じでリサさんに確認して、リサさんも「本当!本当!」って言って、そこから、お互いに触手話でちょっと会話をしてみると、なにか「キラキラ」ってなったのが分かったので。そのまま開会式に入って、フランシスさんの隣に韓国の人が座っていて。で、拍手をする時に、振動で伝えるのが分かりやすいのは分かりやすいので、机をこう「バタバタバタバタ」って叩くんですけれど、その振動を感じた時に、「あ、盲ろう者の拍手」っていうのを、誰かを通さずに感じる事ができて。そのあと、机を叩いて拍手をするっていうのが本人の中ではブームになったみたいで。リサさんから前もって聞いていた情報では、そんなに話をしないかもしれないという事だったのに、「キラッ!」てなった瞬間から、自分の事をどんどんどんどん話はじめちゃって。それが嬉しかったですね。そういう話は沢山あって、例えばインドから参加したプラディーブさんという男性の方は、自分が白杖を持ってから安全にいろんな所に行けるようになった、そのスキルを誰かに伝えたかったんだと思うんですけれど、ウズベキスタンから参加した女性のソジタさんという全盲ろうの方を会場の外でつかまえて、プラディーブさんが歩行訓練をソジタさんにしているという様子もあって。ピアサポートというのは、こうやって自然に生まれていくものなんだなっていうのを目の当たりにする事ができて、とても良かったです。
- 宇野
- 私も2日目の会議にお邪魔したんですけれども、盲ろうという障害を1つの障害として定義している国もありましたよね。
- 福田
- はい。インドとネパールはすでに盲ろうという障害が、固有の障害として存在しているという事でした。ただし、驚いたのは、ネパールの場合ですけれども、盲ろうは「最重度の障害」であって、「常時介護が必要な人と同等」という障害者手帳をもらうので、逆にどういう事かっていうと、「あなたはそういうふうな障害を持っているので家から出ないでください」という事なんですよね。参加したネパールの方は、「自分は外に出て活動したいから、盲ろう者だけれども、一番最重度の障害者手帳ではなく、軽度のランクの手帳を申請する」という抗議をしたそうですね。
- 高山
- 最終日は「これからを考える」というテーマでしたよね。この日の司会は全盲ろうの大学院生、森敦史さんでした。会議が終わって森さんにお話を聞きました。森さんは手話でお話をされて、通訳介助者の方が声にしてくださっています。
(森敦史さんインタビュー、再生。)
- 森
- 暁子さん、智さんからもいろいろなお話がありました。皆さんもいろいろさらに考えて意見を出してくださいましたので、それがとても良かったと思っております。
- 高山
- 森さんご自身、このみなさんの声を聞いて、心が動かされた所はありますか?
- 森
- できるだけ、アジアのネットワークのために一生懸命これからも活動していきたいと思っております。2年後は今日参加された国々の方以外の国々の方もぜひ参加して欲しいと思います。
(森敦史さんインタビュー、ここまで。)
- 高山
- 森さん、頼もしかったですね。
- 福田
- やっぱり、森さんが司会進行したという事は、すごく意味があると思うんです。盲ろう者の多くは私や福島さんのように、声で直接話をする事ができる人もいますが、やっぱり、読み取りが必要な人もいます。読み取りが必要であっても、きちんと司会進行をして、状況を把握して、その場で自分で判断して進めるという、そのモデルを示せた事っていうのは、非常に意味が大きかったなと思っています。
- 宇野
- 最後に、これから福田さんは、日本、アジア、そして世界の盲ろう者のためにどんな事をしていきたいとお考えですか?
- 福田
- 私自身は、あまり大きな事ができるわけではないけれども、とにかく「つなげる」という役割を果たしていきたいと思っています。アジア盲ろう者団体ネットワーク会議もそうですけれども、それに縛られずに、世界のどこにでも盲ろう者がいますから、いたらその人を忘れないで、きちっとどこかにつなげていく。その作業を、私が持っているスキルで、できる範囲の事で、やっていけたらと思っています。
- 高山
- 今日は「世界の盲ろう者とともに」というテーマで福田暁子さんにお話を伺いました。福田さん、ありがとうございました。
- 福田
- ありがとうございました。
- 高山
- 全国盲ろう者協会では、アジア地域からの情報発信の第一弾として、福島智さんの著書「盲ろう者として生きて」の英訳版を刊行するプロジェクトを進めています。くわしくは全国盲ろう者協会のホームページをご覧ください。