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特集・2016年の障害者問題を振り返って―藤井克徳さんに聞く―

特集・2016年の障害者問題を振り返って―藤井克徳さんに聞く―

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2)7月:神奈川県相模原市の障害者施設での殺傷事件

高山
次に、7月に神奈川県相模原市の障害者施設津久井「やまゆり園」で起きた殺傷事件についてです。この事件は2016年7月26日未明、神奈川県相模原市にある神奈川県立の障害者福祉施設にこの施設の元職員の26才の男が押し入り、重度の障害のある入所者を刃物で次々と殺傷。19人が亡くなり、27人が重軽傷を負いました。第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては、最も犠牲者が多い事件となり、社会全体を震撼させただけでなく、障害のある人の尊厳についても大きな問題を投げかけました。藤井さん、今あらためてあの事件をどのように振り返られるでしょうか。
藤井
そうですね・・・。今考えてもね、本当に背筋が凍る思いをするんです。重い障害者を標的にして、しかも職員体制の手薄い深夜に入っていって。元職員だったということもね、この事件の怖さを一層増幅させていると。本当に辛い事件でしたね。
高山
はい。
藤井
実は、こうして事件から日にちが経ってきたんだけれども、すでに社会の風化が始まっているっていう心配をしています。
高山
それは感じます。
藤井
今度の切ない事件というのは、19人の殺害ということも、もちろんこれは大変なことなんですけれども、そうしてこのことはもう帰ってはこないんですけれど、ただその後の匿名報道とも無関係ではありませんけれど、何となくきちんと直視されていないと。そういう点で言うと、直接の殺害という被害という問題と、社会からの黙殺っていう、二重の殺害っていうことになりかねない。ぜひ少なくとも後者の、社会からの黙殺だけは、これは人為的にみんなで解決出来るし、一層これをちゃんとそうさせないように直視していくように私はしていきたいし、ぜひみんなもそう考えていただきたいなと思います。
高山
容疑者が口にした優生思想についても大きな波紋を投げかけましたね。
藤井
この事件というのは特異な事件ですよね。私は特異な事件だけでは片付けられない側面があると思っています。特異ではない側面が、今おっしゃったこの「優生思想」に満ちた蛮行であったと。つまり優生思想というのは、「強いものは残り、弱いものは社会の舞台から去ってもらいましょう」っていう、これは古い優生学というものから発展してきたものなんですが、この優生思想は、実は社会の中に潜んでいるものではないかと思うんです。
高山
今の社会に。
高山
障害のない人もみんな生きづらくなっていて、一番弱い所にそれが出てしまったということなのかなと思うんですけれど。
藤井
そうですね、やはり一番弱い所に出ているっていうことなんです。そこで大事なことは、今度の事件を、今言ったように大きなバックグラウンドに優生思想的な考え方があると。じゃあこれを障害分野に引きつけるとどうかっていうことなんですが、社会をすぐ変えるっていうことは難しいわけなので、じゃあ、社会全体ということは意識しながらも、障害分野として何か出来ないかっていうこと。こう見ていきますと、実は障害分野の中には、優生思想的な問題っていっぱい残っているんですね。
高山
はい。
藤井
つまり障害を持っているものと持たないものとの格差が非常に広がっている、大きくある。このことを埋めることが、実は優生思想に対峙することになるんじゃないか。例えばそれはこの間(かん)言われているような、精神障害者などの社会的入院の問題だとか、あるいは知的障害者の入所施設偏重政策だとか、いつまでも家族丸抱え、家族依存の問題だとか、あるいは視覚障害者を含めて職業選択の自由があるかというと極端に狭いだとか、所得も一般国民の何割も低いっていう所得状況ですね、このことを埋めていくっていうこと、これが優生思想に打ち勝っていくっていう障害分野からの課題提起じゃないかなと。ということは、今度のやまゆり問題というのは、障害分野からすると、こういう障害問題の基本的な転換点にしていくことが、この事件から汲み取る一番大きいテーマじゃないかなと、私はこのように考えているんですがね。
宇野
差を埋めていくということですが、生まれてからどこを見ても競争競争って至る所にあるじゃないですか。それで優劣が決められていく。社会に蔓延している経済効率とか競争原理に打ち勝つような理論というか考え方というのは何かありますか。
藤井
私はその1つの手がかりが、権利条約の中にあると思うんです。例えば第17条には、「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」つまり、障害者は無理に社会に向かって這い上がっていこうとか、他者に合わせようっていう論理じゃなくて、社会から障害者に近づいてもらいましょうっていうことを17条は提起しているんです。私は、権利条約を、この日本社会、あるいは世界中に浸透させていくというのも、手がかりの1つじゃないかなと。ただ、今おっしゃった点で言うと、やや悲観的な意見になっちゃうんだけれど、今世界は、「排外主義」だとか「保護主義」だとか「国家主義」と言って、自分の国さえ良ければいいんだという論法が、アメリカでの大統領選挙だけじゃなくて、ヨーロッパにも広がりつつあると。つまり、私達が好まない流れっていうのは、どうやら世界中に少しずつ広がりを見せている。この辺も含めて、私は、世界中のマイノリティ、また障害者も、新しい連携をしていかないといけないんじゃないかな。その1つが、障害者問題にヒントが含まれているし、権利条約もツールの1つだろうと、こう思うんですね。

私はもっとこういう問題がね、本当は政治の表舞台で語られて、どの国でも。そういうふうになっていないんですね。国連の決議の中で「障害者を閉め出す社会は弱く脆い」と明言したのが今から35年前の国際障害者年の時なんですが、ああいう論理をもっともっと私たちは深めたい。障害分野の中でね、世直しの、あるいは世界の世論のおかしな状況を変えていく、とっても貴重な素材が含まれていると思うので、私は引き続きそういうことを高らかに言っていきたいと思うんです。