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盲ろうの子どもの育ちと学び

盲ろうの子どもの育ちと学び

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(2014年12月28日(日)「今月のトピックス」より)

出演:
田中 麻友(まゆ)さん
田中 凛ちゃん
高山 久美子
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高山
ミニ特集です。今日は、視覚と聴覚の両方に障害のある、盲ろうの子どもの育ちと学びについて考えます。
まずは、ピカピカの小学1年生。先天盲ろうの田中凛(りん)ちゃんの声をお聞き下さい。

(凛ちゃんの声)
田中凜です。7歳です。スクールバスに私は乗っています。勉強は今日は算数と国語と国語と国語です。給食は、私はおいしかったです。海藻サラダと、えぇっと、さっぱり杏仁豆腐は嫌いでした。

高山
凛ちゃん、とってもかわいい自己紹介をありがとうございました。
田中凛ちゃんは、現在、筑波大学附属視覚特別支援学校の小学部1年生。生まれた時から目と耳に障害があり、現在の視力は、右が0.005、左が、明るいか暗いかがわかる光覚。耳は、高度感音難聴で、1歳3カ月の頃から両耳に補聴器をつけています。現在は聞き取る力はまだ不安定ですが、しっかり、ゆっくり、滑舌よく話をすれば、聞き取れるという状態です。
今日は、凛ちゃんのお母さん、田中麻友(まゆ)さんがスタジオに来てくださいました。田中さん、よろしくお願いします。
田中
よろしくお願いします。
高山
凜ちゃんが盲ろうであることに気がついたのはいつだったのでしょうか。
田中
目については生まれた瞬間にすぐわかりました。耳もその当時検査をしたんですけれども、確定診断がなかなか出なくて、1歳3カ月のときに聴覚も障害があるということがわかりました。
高山
はい。
田中
目が不自由なんだからせめて耳は大丈夫であってほしいと願っていたのに、本当にもう、言いあらわせない気持ちでいっぱいでした。
高山
盲ろうの赤ちゃんをどう育てたらいいのかっていうのは、情報は見つかったんですか?
田中
そうですね。病院で眼科や耳鼻科以外にも、さまざまな科にかかっていて、そこでたくさんのいい先生方に出会ったり、ロービジョン外来がありまして、そこで、盲学校とのかかわりを持ったほうがいいということを勧められて、もう0(ゼロ)歳のときには、盲学校の教育相談に行きました。
高山
そして、耳も聞こえていないようだということになって。
田中
目が不自由なんだから、音声言語を獲得させたい、お話しできるようになってほしいっていう思いがとても強くて、ろう学校に行きました。
高山
そしたらろう学校のほうでは。
田中
「耳の不自由な子どもに音声を獲得させるということは、すっごく大変なことなんですよ。なので、今は手話を取り入れています」ということを言われました。でも私は、目が不自由なのに手話?って、どうしても納得ができなくて、盲学校の先生に相談をしたら、「同じ附属に、音声言語を学んでいるろう学校があるので一緒に行ってみましょう」と言っていただいて、そこでは「十分に音声をやっていけますよ。お母さん、大丈夫。今必要なことは、脳を育ててあげることですよ。言って聞かせて、働きかけて、凛ちゃんが、これ何だろう、楽しい、うれしいと思えることをしていくことが大切で、今お母さんがしていることで十分ですよ」と言っていただいて、ほんとに涙を流す思いでした。
高山
言葉の獲得なんですけれども、どんなふうにしていったんですか。
田中
ろう学校なので、言葉を教えてくれるのかなって思ったら、全然ちがくて。で、週1回通っていたんですけれども、リズムに合わせて踊ったり大きな声で笑ったり、悲しいと泣いたり、滑り台を滑ってキャーッと喜んだり、泣くときにエンエンって言いながら悲しい顔をして泣く、とか、滑り台を滑るときにシューッて言って滑るとか、たくさんの擬声語と擬態語を入れて、感情を育てていくということを教えていただきました。
すぐに芽は出ないんですけれども、それがどんどんどんどん蓄積されていって、いつか言葉として花開くときが来るからっていうふうに言われたんですね。補聴器をつけ始めて1年少したったときに第一の発語が出ました。
高山
それは何だったんですか。
田中
えーと。
高山
第一の発語は?
田中
あんまり覚えてないんですけど、たしか「ママ」か、妹の「アンちゃん」だったと思うんですけど。
高山
ママって言われたら、ほんと、うれしかったでしょうね、お母さん。
田中
そうですね。生まれたときにはしゃべれるようになるとは思わなかったので、ほんとにうれしい気持ちでいっぱいでした。