生理用品×歴史社会学
記録も現物も少ない…!これまで陽の目をみてこなかった生理用品の歴史を紐解くと、隠されてきた生理の“真実”が明らかに…
「古の女性たちと生理用品の歴史とは」
- ナレーション:増田明美さん
- アニメーション:オタミラムズ
生理用品。それは、生理の時の出血「経血」を受け止めてくれるナプキンや、膣の中で血を吸収するタンポンなど、生理を乗りきるために欠かせないもの。今回は、生理用品と生理をめぐる女性たちの秘話を、歴史社会学の視点から紐解きます。まずは古の女性たちが、どのように生理と向き合っていたのか、聞いてみました。
(ヘレン・キングさん/イギリス オープンユニバーシティ大学教授(古典学))
「女性が過去にどのように生理に対処していたのかを知るのは、とても難しいことです。彼女たち自身が語った物話は残っていないからです。推測できるのは、生理があった場合は、服に直接経血を流したり、古い布や古い服を使い、それを小さくして脚の間に挟んだりしていたのではないかということです。」
遡ること3500年前の古代エジプトでは・・・「アカシアなどで湿らせた紙を膣に入れる」という記述が。避妊や月経不順の治療法として、現在のタンポンに通じる方法が取られていました。そして、パプアニューギニアの一部の地域では、ヤシの大きな葉を敷いて使っていました。アフリカのウガンダ東部では、バナナの茎の繊維を丸めて膣に詰める…。女性たちは、実に様々な方法で生理と格闘してきたのです。
では日本は? というと…。現存する生理に関する最も古い記述は、古事記にありました。
「生理むかしばなし」はじまり、はじまり~。ある晩、ヤマトタケルノミコトはミヤズヒメを訪ねます。
その時、ミヤズヒメは生理中。すると・・・
ヤマトタケルノミコト「裾に月が出てしまいましたね」
ミヤズヒメ「あなたを待ちかねて、月経が始まってしまいました」
そう歌を詠みあった2人は、「愛を交わし合った」そうな。
なんとも「みやび」な生理の捉え方ですねぇ。でも生理用品の記述はありません。昔の日本の生理用品は、どんなものだったのか?向かったのは、避妊具などの歴史的な資料を数多く保存している、法政大学の大原社会問題研究所です。
(榎一江さん/大原社会問題研究所教授)
「生理用品の現物資料っていうのは、残念ながらありません。申し訳ないんですが、ないですね。それ(生理用品)が資料としてすごく重要なものだっていう、そういう認識がないからだというふうに思いますね。」
どうして生理用品は、研究対象とされてこなかったのでしょうか? 日本の社会と生理との関係を研究してきた、歴史社会学者の田中ひかるさんに聞いてみました。
(田中さん)
「たぶん(古代の日本では)麻(の布)を使っていたのかなと思うんですね。あとは綿が大陸から入ってきた後は、綿を使っていたと思うんです。恐らくですね、ケガレ意識が強くて、あまり話題にすることでもなかったし、それから記録をするのが、ほとんど男性なんですね。女性というのは、記録をする機会とか手段がないので、それで(資料が)残っていなかった。」
田中さんの言う「ケガレ」。それは 女性特有の出血を不浄なものとし、女性をケガレた存在と見なすことです。その意識は、平安時代に生まれたと考えられています。
(田中さん)
「平安時代に、女性の出産の時の出血や月経の血液がケガレですよということが、公に規定されるんですけど、それは女性を排除することで政治の体制を強化しようとした。」
平安時代の国の政について定めた「貞観式」。ここで「月経中の女性は祭祀に参加してはならない」という規定がつくられたのです。また各地の神社では、生理中の女性の参拝を禁止。一部の仏教は、「女性は血のケガレにより、地獄に落ちる」とする教えを広めます。民衆にケガレの意識が根付く中、全国につくられたのが「月経小屋」です。ケガレの身とされた生理中の女性たちを、家族や地域から隔離するためのもの。この慣習は、江戸時代に広く行われました。
(田中さん)
「女性は月経があるからケガレている。女性自身もその意識を内面化して、自分はケガレているんだと、ずっと長い間、思ってきたわけですね。」