【語り】高山久美子
今、大阪での“ある取り組み”が注目されています。
「秋が好きです。食べ物がいっぱいあるから。」
自分が好きな季節について、楽しく話し合う人たち。実はこれ、就職を目指すろう者のための、就労支援センターでの授業の一コマ。自分がどんな人間か、知らない人に表現する力を身につけるのが、ねらいです。
「コミュニケーションが苦手な方で、急に振られて聞かれた内容にすぐに答えることができない性格なので…。」
大阪ろう就労支援センター 理事長 前田浩さん
「他の障害の方と比べても、ろう者の転職率は非常に高いというデータが出ています。どうすれば定着していけるのか、モデルケースを作れたらいいかなと思っています。」
近年、聞こえる人たちの中で働く、ろう者は増えていますが、「コミュニケーションの問題」でつまずくことが多いといいます。5年に1度の国の調査では、「人間関係」を離職の理由に挙げる人の割合が、他の障害者と比べて高くなっています。
ひとりひとりが能力を発揮し、社会の中で生き生きと働いていくためには、どうすればよいのか。大阪で始まった、ろう者のための就労支援センターの取り組みに密着しました。
去年(2018年)1月に設立された“大阪ろう就労支援センター”です。
就職活動中の学生から、再就職を目指す50代まで15人が通っています。この日行われたのは「コミュニケーション・トレーニング」。
部下
「コピーの大きさを間違えてしまいました。」
上司
「どういうこと?」
部下
「B4に切ってしまったんです。」
上司
「さっきA4と指示しましたよね?どうして聞いてなかったんですか?」
部下
「メモを書いてくれなかったから分からなかったんです。」
職場で起こりがちなトラブルの事例をスタッフが演じ、どうすればよかったのか、意見を出し合います。
「私が見ておかしいと思ったところは、間違えた時は、まず『申し訳ございません』と謝るべきで、『間違えました』しか言わないのはダメだと思います。」
「『メモを書いてくれなかったから、分からない』って言ったけど、それが悪いと思いました。」
大阪ろう就労支援センター 理事長 前田浩さん
「彼(部下のろう者)は『メモを書いてもらってないから分からない』と言っていましたよね。それは本当の部分もありますが、“分からない時はその場で聞く”。」
大阪ろう就労支援センター 理事長 前田浩さん
「『どうしたらいいか分からないです、ちょっと教えてください』とさりげなく言える。そういう人間関係を作ることは(ろう者にとって)非常に難しいんです。」
新島浩章さんです。就労経験もありますが、うまくいかず、現在ここで再就職のための訓練に取り組んでいます。
新島浩章さん
「ここに来て良かったことは、勉強の時に手話で話せるし、コミュニケーションやマナーのトレーニングが含まれているから、いろいろ勉強になります。」
ろう学校を卒業後、印刷会社に就職した新島さん。しかし、分からないことがあっても質問ができず、指示が聞き取れないとき、聞き返すこともできませんでした。ミスを重ね、わずか1年で退職してしまいます。
新島浩章さん
「印刷会社では、計算とか機械の調整が難しくて、ついていけない部分がありました。忙しくなると、コミュニケーションも取れなくなってしまい…。」
その後、運送会社に転職しました。しかし、今度は慣れない深夜の肉体労働で、腰を痛めてしまいます。自分に合う仕事を選ぶ余裕もなく、会社に部署の移動などを相談することもできなかったといいます。
「まずは、社会で仕事をするための基本的なスキルを身につけたい」。支援センターに通い始めて1年。現在、新島さんは週に1度、作業所でシール貼りをしています。聞こえる人たちと一緒に仕事をするための実践的な訓練の段階です。最初は会話に尻込みしていましたが、今では仕事の手順が合っているかなど、積極的に自分から聞けるようになりました。
新島浩章さん
「1人か2人の時はどちらか(を手伝います)。人数が多い時は箱が多い方を優先して手伝います。人が少なかったら、少ない方に行くなど、判断しています。」
「仕事の時って、そういうの大事やんね。周り見ながら人数とか在庫とか見ながら、自分が動くってことですよね?」
実は新島さんには、将来を約束した交際相手がいます。今は彼女とは別々の実家暮らし。「就職して2人で一緒に暮らしたい」。それが新島さんの目標です。
新島浩章さん
「早く仕事をみつけて、結婚したいです。」
センターに通ったことで、人生が大きく変わり始めた人がいます。50代のタケシさん(仮名)です。
建築関係の会社を経営していましたが、進行性の難聴により、10年前に聴力を失いました。電話や取引先との交渉など、スムーズな仕事ができなくなり、やむなく会社を畳みました。
仕事という生きがいを失い、聞こえない自分を受け入れることもできない―。10年間、人との関わりを避け、自宅に引きこもっていました。
タケシさん
「家にあった荷物とかも全部処分して、何も(残ってない)。その頃のことを思ったら、しんどくなるので…。自分の中で全部過去を消したいという気持ちがあった。」
2か月前、そんなタケシさんを心配した福祉施設の職員の勧めでここに通い始めました。そして、聞こえない仲間たちと過ごすうち、自分の障害と次第に向き合えるようになったといいます。
タケシさん
「頑張ります。
チョ・コ・レー・ト・パ・フェ。」
「すごい!すごい!スムーズですよ。これだけできたらバッチリです。」
タケシさん
「いやー、うれしいです。」
「聞こえない自分で、人生をやり直そう」―。最近そう思えるようになってきたタケシさんです。
タケシさん
「(手話の勉強が)楽しいですよ。忘れてしまってた人との付き合い方とか、人と接して、家族以外で、赤の他人さんと接するのが、どんだけ大事かっていう、久しぶりに感じられた。」
新島さんが再就職にむけて、大きな一歩を踏み出すことになりました。この日、ろう者を積極的に採用する企業が職場を見学させてくれることになったのです。広告やステッカーなどの印刷物を製造する工場です。人事の担当者は、目で見てわかるようにと、タブレットを使って会社説明をしてくれました。しかし緊張からか、表情が硬く、うなずくだけの新島さん。
続いて工場内の見学に向かいます。かつて印刷会社に勤めていた新島さんにとって、興味深い現場です。20人の聴覚障害者が働いていました。製版部門のリーダーを務めているのは、ろう者です。手話で仕事の内容を細かく説明してくれました。
製版部門のリーダー
「これをここに流して、洗浄します。黒い所だけをそいで、金を塗ります。」
必要な配慮もあり、同じろう者の仲間もいることに安心した新島さん。いつの間にか積極的に会話できるようになっていました。
新島浩章さん
「自分が経験したやり方はちょっと違うんですけど、塗る時は3種類(のインク)を使い、メッキを使って混ぜていました。」
最後は聞こえる社員の人とも、にこやかに挨拶。前向きな感触を得ることができました。
新島浩章さん
「手話を少しやっている人もいました。口話ができる人は口の動きを読み取っていました。自分にぴったりの職場でした。ろうの仲間もいるし、行きたくなりますね。」
大阪ろう就労支援センター 理事長 前田浩さん
「みなさんそれぞれスキルの面でも、人としても成長していらっしゃるとすごく感じます。全てをろう者、本人に負わせるのではなく、会社も、ろう者が落ち着いて働けるような職場環境を一緒に考えていく。私ども支援する側も、もっと企業に対して、提案、発信、働きかけが必要かなと。」
聞こえない人も聞こえる人も一緒に働ける喜びを味わえる社会に—。就労支援センターの取り組みは2年目を迎えています。