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ろうを生きる難聴を生きる▽西日本豪雨から半年1~安心のためにできること※字幕

    半年前、各地に甚大な被害をもたらした西日本豪雨。聞こえない人の中には、雨音が聞こえず、情報も得られないまま朝を迎える人もいました。夜の災害では見えず、聞こえない状態になります。災害から身を守るには?2週にわたり考えます。前編は岡山県の取り組み。伴徹さんは、68年前のろうの子ども16人が犠牲となった火事の経験から、避難訓練の大切さを訴え、また聞こえる人と連携するための活動をしています。

    出演者ほか

    【語り】高山久美子

    番組ダイジェスト

    西日本豪雨から半年1~安心のためにできること

    去年(2018年)7月、西日本を襲った豪雨。雨が激しさを増し、避難が必要なことに。聞こえない人の多くが気付けなかったといいます。
    岡山市で理容店を営む、坂口雅夫さんと環さん。この夜は、自宅の2階で寝ていました。

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    周囲の音が聞こえず、危険がすぐそこまで迫っているとは思いもよりませんでした。

    坂口環さん
    「水位が上がって来ていたらしいけど、静かだった。私は寝ていて分からなかったんです。主人に起こされて…。でも何が起こっているのか分かりませんでした。」

    30分ほどで、水かさはあっという間に1m以上に達します。

    坂口環さん
    「夜中の3時に水が来たとき、避難しようかと思ったけれど、外は真っ暗で、家も停電していました。」

    避難情報は見たものの、緊急性や逃げる方角などが、すぐには分からなかったという人もいます。

    若林泰子さん
    「(川の)水が土手を超えてくると、テレビの字幕で避難を呼びかけていました。でも、テレビの字幕だけでは、どの程度、超えてくるのかが分かりませんでした。朝になって見たら、屋根まで水が来ていたので、びっくりしました。」

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    全日本ろうあ連盟 理事 荒井康善さん
    「実際に手話通訳者は被災した1日目は道路が通れなくて動けない状況がありました。特に西日本豪雨については大変な大雨でしたので、昼間なら雨のひどい状況が見て分かりますよね。でも、夜だと真っ暗で見えません。雨がどれぐらい強いのかは分からないんです。」

    西日本豪雨から半年。この災害を教訓に、ろう者同士、そして聞こえる人たちと連携する取り組みが始まっています。「安心」のためにはどんな備えが必要か2週にわたって考えます。

    岡山県立岡山ろう学校です。

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    寄宿舎があり、小学生から高校生まで10人が生活しています。7月の豪雨は週末だったため、皆、自宅に帰っていました。もし平日に災害が起きたら、安全に避難ができるか、大きな課題です。
    12月中旬、1人の男性が訪ねてきました。伴徹さん、この学校の卒業生です。

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    教員
    「昭和25年の時も寒かったですか?」

    伴徹さん
    「寒かったです。暖房もなかったから。」

    教員
    「火鉢だけだったそうですね。」

    伴さんは小学3年の時に、ある災害を経験。その教訓を今に語り継いでいます。68年前の12月20日、多くの犠牲者が出る火災が発生しました。寄宿舎は全焼。当時、聞こえない生徒と見えない生徒が生活していましたが、見えない生徒は全員無事だったといいます。しかし一方で、聞こえない生徒16人が亡くなったのです。

    伴徹さん
    「これが2階。」

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    火元は見えない生徒が寝ていた1階の静養室でした。2階にいた聞こえない生徒。伴さんは幸い避難できましたが、多くが逃げ遅れました。その差は、寝ていた場所だけでなく、日頃の備えにあったといいます。

    伴徹さん
    「盲の子どもは、先生や先輩たちの方につかまって、ここは洗面所とか便所とか風呂場とか…と覚えて、建物の構造をよく覚えていた。だから、目の見えない人は無事に逃げられたんです。私の場合、火事になると、赤い、暗い、見えない、まして聞こえないので、もし、きちんと避難訓練をやっておけば、16人も死ぬことはなかったと思うんです。見えるから、大丈夫って…。」

    教員
    「本当に訓練は1回もしてなかったんですか?」

    伴徹さん
    「なかったです。」

    教員
    「必要だったんですね。」

    伴徹さん
    「避難訓練をやったのは『年に2回』と。新聞にも書いてあったけれども、それはうそだった。私が見たのは、消防車が来て『かっこいいな』って。ホースから水をまいた様子を見ただけで、避難訓練ではなかった。」

    学校では現在、1学期に1度、また寄宿舎でも1学期に1度、避難訓練をしています。一緒に逃げるペアを決め、経路を詳しく確認する実践的なものです。地元の消防署の人たちを招き、手話で交流もしています。さらに災害発生時に何が起きたか一目で分かる表示を部屋の入り口に置くなど、さまざまな備えをしています。

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    でも何より大切なのは、生徒たち自身が、災害に備える意識を持つことです。伴さんの話を受け、話し合いの場が持たれました。

    教員
    「今日、聞いたんだけど、それまでは訓練はしていなかった。もし夜、寝ているときに火事が起きたらどうしますか?」

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    生徒
    「起こす。」

    生徒
    「起きたら、女子と男子それぞれの部屋にある非常口から一緒に逃げる。」

    生徒
    「一緒の部屋の人と一緒に逃げる。」

    教員
    「避難ペアの人と一緒に逃げるんだよね。」

    生徒
    「私は少し聞こえるから逃げられると思うけど、どこに逃げていいかは、まだ分からない。」

    生徒
    「安全な場所にいればいいよね。」

    教員
    「そうよね、場所。逃げる場所を聞かないといけない。」

    いつ来るか分からない災害から身を守るため、自分たちにできることは何か、真剣に話し合われました。

    生徒
    「今年は岡山県にとって初めてのことだったので、私たちも見て驚きました。」

    生徒
    「こんなにたくさん雨が降るのを初めて見て、とても心配しました。避難はどうしたらいいかと思って、山に逃げるのがいいのか、どこが安全かを考えました。」

    豪雨被害の大きな爪痕は、いまだに残っています。
    この日、伴さんは岡山市の公民館にいました。手話講座に集まった人たちに体験を語るためです。災害が起こった時には、聞こえる人たちとの連携が欠かせないと考えています。

    伴徹さん
    「盲の人のほうが、見えないから危ないと言われるのですけど、それは違います。この火事のとき、真っ暗でした。何でも起きた後に考えていくというやり方では困ります。そこは皆さんと一緒に考えていきたい。」

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    受講生から質問が出ました。

    受講生
    「災害のとき、やってほしいことは何ですか?」

    伴徹さん
    「どう言ったらいいかな。ろう者のことをきちんと理解してもらって対応してほしい。何かを食べさせてくださいということではありません。この人は聞こえないから、手話なんだと分かったら、手話で対応してくれるというのがいちばんいいと思います。助けが必要ですかと聞いてもらうのがいちばんだと思います。」

    受講生
    「聞こえる人たちは災害が起きたりしても対応できるけど、ろう者の人は今、話されたみたいに対応するのが難しいから、そういうところは手助けしたいと思いました。」

    12月20日、ろう学校の生徒たちが中庭に集まりました。

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    68年前の火災で亡くなった16人の命日。今でも毎年慰霊祭を行っています。生徒たちは自分の命を守るために行動することを誓います。伴さんたち当時火事に遭遇した卒業生も訪れました。あの時、起こった悲しい出来事を無駄にしないために―。

    伴徹さん
    「火事が起こったあと、友達は聞こえないからしかたがないと思っていました。でも、大きくなるにつれて、よく考えてみると、私が聞こえないのは確かです。でも、しかたがないと片づけるのではなく、これを教訓にして、二度と起こらないようにしてほしい。それが慰霊になると思って、今日まで頑張ってきました。(この気持ちを)どう話していいか分かりません。」

    自分たち、そして今を生きる子どもたちの安心のために、伴さんは語り継いでいく自分の役割の重さを改めて感じていました。

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